ツルならぬ「カラスの恩返し」? 男女の悲しい別れを描く『水神』【連載】東京すたこら落語マップ(13)
落語と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがありませんか? いやいや、そんなことないんです。落語は笑えて、泣けて、感動できる庶民の文化。落語・伝統話芸ライターの櫻庭由紀子さんが江戸にまつわる話を毎回やさしく解説します。真っ黒な着物の美しい女「鶴の恩返し」や「羽衣伝説」など、民話や昔話では多くの「異類婚姻譚(いるいこんいんたん)」が語られています。人間とそれ以外の存在が結ばれる説話です。 落語にもいくつかありまして、民話と落語との高い親和性がうかがえます。 今回紹介する『水神(すいじん)』も、そのひとつ。主人公が「見るなのタブー」をおかしてしまう、ちょっと切ないお話です。 歌川広重「隅田川水神の森真崎」名所江戸百景(画像:櫻庭由紀子)※ ※ ※ 向島(現・墨田区)の三囲(みめぐり)神社の縁日。歳は30恰好のみすぼらしい形をした男が、腹を空かせて泣く乳飲み子を抱えて途方にくれていた。 そこに、豆や柿を屋台で売っていた女が声をかけた。 「どなすったんです? まあ、赤ん坊、震えて泣いているじゃありませんか」 見ると、黒い着物に黒い帯、足袋まで真っ黒な出で立ち。なのに肌の色はぬけるように白い。目鼻立ちの良く品の良い、それでいて妙な色気のある女だ。 「かわいそうに。さあ、赤ん坊をこちらに早くお出しなさい」 女は男からもぎ取るように赤ん坊を抱きとると、着物の胸を広げ赤ん坊に乳を飲ませた。 「よっぽどお腹が空いていたのね。おかみさんはどうなすったんです」 男はきまり悪くためらったが、頭をかきながら話し出した。 「あっしは生まれついての怠け者でしてね……、稼ぎが悪いってんで、かかあのやつ、出てっちまったんです。子どもは嫌いだとは言ってたんですがね、なにも赤ん坊まで置いていくこたあねえだろうって。俺の意気地がないばっかりに、こいつまでひもじい思いをさせられていやがる」 腹が満足したのか寝息を立てている赤ん坊を見ながら女は、赤ん坊に乳を飲ませてくれる人がいないのだったら、自分のうちに来るように言う。 「今は独り身ですから、良いんですよ。あたしは、こう、というんですの」 「お幸(こう)さんってんで。あっしは、屋根職の杢蔵(もくぞう)てえもんです」 お幸の家は水神様の境内にあった。水神の森の中で、ふたりはやがて夫婦となった。 「お幸、行かないでくれ」「お幸、行かないでくれ」 働きに出るお幸に励まされ、杢蔵も仕事に精を出すようになる。仕事が早いと親方から気に入られ、すっかり働き者の屋根屋に生まれ変わった。 ある朝、いつもは早いお幸が起きてこない。本当なら自分が養わなくてはならないところを、毎日屋台を出して働いているんだ、疲れているんだから休ませてやろうと、そっと布団をかけなおしてみると、お幸の肌は真っ黒。濡れたような艶やかな黒い羽根。 「お幸は烏(カラス)の化身か」 そういえば、お幸は「朝の姿を決して見ないで」と頼んでいた。しどけない姿を見られたくないからだと言っていたが、そうではない。烏であることが知れてしまうからだ。 四つになる子どもは、烏の羽にくるまれて安心して眠っている。あれから4年、お幸は怠け者の俺を好いてくれて、俺の子どもを大切に育ててくれたんじゃないか。俺が言わなければ済む話だ。 そっと布団をかけて部屋を出ようとすると、お幸が起きあがった。 「おまいさん、あたしの体を見たんだね」 杢蔵が白状すると、お幸は深い息をつき話し始めた。 「わたしは、水神のお使い姫の烏です。あるとき、神様の御用を忘れてしまったときに、5年人間になって修行をするようにと仰せられました。5年修行をしたら、またお使い姫で戻ることができます。でも、今はまだ4年。見られてしまったからには、わたしは野烏にならなければなりません」 「俺がだまってりゃ済む話じゃねえか。お幸、行かないでくれ」 「わたしは、あなたのことを知っていました。小梅の裏通りを飛んでいると、あなたの長屋が見えたんです。よくおかみさんに怒られておいででしたね。おかみさんが赤ん坊を置いて出て行ってしまったのを知って、あなたのおかみさんになろうと思いました。わたしは、あなたのことが好きです。4年ですけど、こうして夫婦でいられたんですもの」 女房に会いたい一心で空へ……女房に会いたい一心で空へ…… お幸は、杢蔵に黒の羽織を渡した。 「この羽織を着ると烏になれるんです。寂しくなったらこれを見て、わたしを思い出して……」 一陣の風が吹き、お幸の姿は消えた。同時に、これまで住んでいた家も消えてしまった。 膝には子どもが寝ている。起きた子どもに聞いてみると、お幸の記憶はなく、家も以前住んでいた小梅だという。行ってみると、以前よりも暮らしぶりがよくなっているようで、近所からもひとり身になってから働き者になったと評判になっていた。 どうやら、お幸と過ごした4年は、杢蔵の記憶だけのものになっているらしかった。 月日は過ぎ、子どもは奉公先の呉服屋の娘に思われて、養子となった。婚礼が済んでしまうと、杢蔵はさみしさから烏になったお幸を探すようになった。 水神に来てみると、たくさんの烏がいる。 「烏さん、おれの女房だったお幸って烏を知らねえか。もし知ってたら、杢蔵が会いたがっていると、ことづけを頼まれてくんねえかな」 杢蔵は、よっぽどお幸が恋しくなったのか、お幸が置いていった羽織をかかえて屋根へと上がった。 「いっそのこと、俺も烏になろう。そうすりゃ、おめえが無事でいるか、ほかの烏にたずねることもできる。それがいいやな。俺は烏には慣れてねえ素人だから飢え死にしちまうかもしれねえが、そん時は線香の1本でもたむけてくれ」 羽織に両腕を通すと不思議や袖は羽根になり、杢蔵は大空高く舞い上がった。 「おう、飛べる、飛べる! お幸……、お幸……」 「水神」の舞台 墨田区・向島を歩く「水神」の舞台 墨田区・向島を歩く●三囲神社 墨田区向島2丁目、杢蔵とお幸が出会った三囲神社は、元禄年間の日照りの際に、俳人・宝井其角(たからい きかく)が雨乞いの句を詠み奉納したところ雨が降ったことで有名になった神社です。境内に「雨乞いの碑」があります。 杢蔵がお幸で出会う前に住んでいた「小梅」は、三囲神社の裏手一帯に当たります。現在では、小梅橋や学校名にその名をとどめるのみです。 鳥居が堤の土手に面しているため、対岸から見ると鳥居の頭だけひょっこり飛び出して見えていたそうで、浮世絵にも描かれています。 越後屋(現・三越)の三井家の守護神としても有名です。境内には池袋三越のライオン像が奉納されており、三越本店と支店に分社があります。日本橋本店の三囲神社に祀(まつ)られている「活動大黒天」は名匠・高村光雲が彫ったもので、左甚五郎ではないということです(落語「三井の大黒」)。 ●隅田川神社 三囲神社から北に徒歩30分ほど、同区堤通2丁目に位置する神社が、この噺(はなし)に出てくる水神さまです。もとの名を浮島神社といい、古くは水神社、水神宮、浮島宮などとも呼ばれ、「水神さん」として親しまれてきました。 当時の隅田川は重要な船運ルートでした。このため、隅田川神社は「水神さま」として下町の人々の信仰を集めてきたのでしょう。現在は高速道路ができ、土手は高く積み上げられ、隅田川を望むことはできません。 鳥居をくぐると東白鬚(しらひげ)公園となっており、緑が広がります。このどこかに、杢蔵とお幸が束の間に暮らした、幻の家があったのでしょうか。 原作は「君の名は」の菊田一夫原作は「君の名は」の菊田一夫●木母寺 隅田川神社のすぐ近くにある木母寺(もくぼじ)は、「梅若伝説」の梅若丸の供養のために建てられた念仏堂が起源です。 木母寺の三遊塚(画像:櫻庭由紀子) 梅若伝説とは、平安時代、人買いにだまされてこの地で亡くなった梅若丸という子どもと、その子を捜し求めて旅に出た母親にまつわる話です。この伝説を元にして、能の「隅田川」や歌舞伎、浄瑠璃などの「隅田川物」が作られました。 このことから、多くの役者が梅若丸の供養と興行の成功ならびに役者自身の芸道の上達を祈念する「木母寺詣(もうで)」を行い、芸道上達のお寺として広く信仰を集めるようになりました。 境内には、初代三遊亭圓朝(えんちょう)が建立した「三遊塚」があります。揮毫(きごう)は、圓朝に無舌の境地を教えた幕末三舟のひとり山岡鉄舟です。 『水神』は、劇作家・菊田一夫が6代目三遊亭圓生(えんしょう)に書き下ろした新作落語です。初演は1963(昭和38)年第53回東京落語会。この頃、圓生は菊田氏の『がしんたれ』に出演しており、NHKから新作を頼まれた際に菊田氏に依頼したといいます。 菊田氏は、名作『君の名は』を執筆した劇作家です。なにしろ飛ぶ鳥を落とす勢いで人気がある作家のこと。忙しくてなかなか仕上がらないのを、間際になって催促して1枚ずつもらいながらどうにか書いてもらったと、「圓生全集」の解説で振り返っています。 実は原作では異なったラスト実は原作では異なったラスト 圓生は、杢蔵がお幸からもらった羽織を着てカラスになって飛び立つところでサゲて(落語を終わらせて)いますが、原作では杢蔵はカラスにはなりません。 羽織を持って屋根に上った杢蔵は、羽根になって魂だけ大空に飛び立つのです。翌日になると、普請場の下に年老いた屋根職人が笑うような安らかな顔で死んでいたという終わり方になっています。 歌川広重「三囲之景」江戸高名会亭尽(画像:櫻庭由紀子)「これでは、落語の噺としてすこし寂しい」と、カラスになって飛び立つように改作しました。このため、カラスの名前も「お幸(こう)」に。サゲの「お幸、お幸」は、カラスの鳴き声というわけです。 お幸の名を呼びながら空に飛び立つ杢蔵の姿。原作のラストを知ることで、さらに切ない思いが胸に残ります。どうかお幸と再び出会えることを願うばかりです。
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