【実録 東京人vs関西人 4】上京した関西人は愛してやまない「関西弁」を、あえて東京でも使い続けるべきか
「東京の関西人」の今後 鍵を握るのは関西弁 兵庫県出身の筆者(松田久一。ジェイ・エム・アール生活総合研究所代表取締役社長)が江戸・東京と関西の結びつきについて考える4回続きの連載。前回の第3話(東京に住む関西人は、大声で関西弁をしゃべる関西人に若干イライラしている)では、東京のなかの関西人の特徴を五つ挙げてみました。 すなわち、 1.関西弁がしゃべれないので、アイデンティティーを失いかけている 2.関西出身といえど「たこ焼き機」が家にあるとは限らない 3.ノリツッコミは、やろうと思えばできるけど、関西の笑いはそれだけではない 4.商人のような損得勘定と同時に、粋(すい)を極めた美意識も併せ持つ 5.上京したばかりの関西人が、関西にいるのと同じ感覚で振る舞うのが嫌い です。 これに加えてもうひとつ、面白い特長があったことを思い出しました。 東京とは異なる独自の文化を築き上げた関西・大阪。しかし最近の若者は地元の友達とも標準語で話すようで……(画像:写真AC) 東京にいる関西人の多くは、山の手線の西南に住みたがる傾向があるようです。逆に、山手線の東北エリアはまったく知りません。 お好み焼き(関西)店とうどん屋の知名度のある店の地理的分布を調べてみると、妙なことがわかりました。それは、それらの店が山手線の西南地域に偏っていることです。これは東京に住む関西人が“西”にこだわっていることを示すものでしょう。 さて、最終回となる本稿では、東京と関西の関係、また東京にいる関西人の今後について考えていきたいと思います。 地元でも標準語を話す関西の若者たち地元でも標準語を話す関西の若者たち 東京のなかの関西人はどうなっていくのか。そして、大げさな話ですが、東京のなかでどんな役割を果たしていくのでしょうか。 最大のポイントは、東京のなかの関西人は同質化するのか、それとも異質な存在で刺激し続けるのか、です。 もちろん個人によってそれぞれでしょう。ここでもやはり、関西弁が重要な鍵を握るのではないでしょうか。 関西に行って、驚くことがあります。それは、若者が標準語を無理なくしゃべっていることです。もちろん、親の話す関西弁も話せますが、友達とは標準語という若者が多いのです。 増え続ける東京在住の関西人。今後どのような形で存在感を発揮していくのか(画像:写真AC) 60代の筆者たち世代が経験したような標準語アクセント習得の難しさはないようです。「橋」と「端」、「雲」と「蜘蛛(クモ)」の区別が自然にできる。個人的には、意味として「橋」を想起しながら「端」と発音する。標準語を話す人は、関西でこれと反対をやればいいでしょう。 また、残念ながら東京には関西人を好まない層が確実にいます。こうした層が今後もし増えれば、むしろ関西弁をしゃべることがデメリットになります。言葉の特徴から「怖い」というイメージを持たれたり、反社会集団を連想されたりすることさえあります。 これは、映画やドラマ、また関西出身芸人などの悪い面での影響と言えるかもしれません。関西弁をしゃべることがデメリットになれば、東京で関西弁をしゃべる価値はなくなります。 関西弁をしゃべらない関西人は、東京と完全同化するでしょう。 「建前嫌い」な関西人が生み出す突破力「建前嫌い」な関西人が生み出す突破力 他方で、強烈な個性とアイデンティティーを持った関西人は同質化せずに、次から次へと新しい世代の関西人を東京に送り出し、東京の中でユニークな存在としての役割を持ち続けるでしょう。 標準語が支配するコミュケーションの中で、関西弁が新たな視点を発掘してくれることがあります。 重苦しい会議の中、何か面白いことを言いたくて仕方ない関西出身男性のイメージ(画像:写真AC) 標準語では建前が貫かれることが多いです。そのような例えば堅苦しい会議の場で、「ホンマか?」は硬直した議論を破壊し、新たな視点を提示できることがあります。問題解決の発想でも、「ホンマ?」と関西リアリティーで数回問うことにより、より現実的な解決策が生まれることがあります。 難しくいうと、標準語しか話さない人は、「話す言葉」も「書く言葉」=標準語という言語パッケージが装備されています。一方で関西人は、「話す言葉」=関西弁、「書く言葉」=標準語というような構造になっているので、話し言葉の視点でよりリアルに現実を捉えることができるのかもしれません。 関西人が「建前嫌い」で「本音好き」という独特のリアリティーを持っているのは、このためです。 関西出身の偉大な諸先輩に続け 関西弁で思考してユニークな業績をあげたのは、研究者では、湯川秀樹(物理学者)、今西錦司(いまにし きんじ、生物学者)、高坂正堯(こうさか まさたか、政治学者)、河合隼雄(かわい はやお、心理学者)などが挙がります。 湯川秀樹氏の功績を伝える、大阪大学総合学術博物館 湯川記念室のサイト(画像:大阪大学総合学術博物館 湯川記念室) 経営者なら、戦前の小林一三(阪急)、松下幸之助(現・パナソニック)、佐治敬三(サントリー)、山内博(任天堂)でしょう。彼らの業績には、関西人の持つリアリティーが見事に生かされています。 こうした視点は、異文化を持つ人間にしかできません。異質な人と異質な人との出会いが新しい創造を生み出します。 関西人は、標準語をもとにした同質的な日本人集団の中で、異質な存在であり続け、日本創造力の源泉となるかもしれません。お互いが違うことによって、江戸は大阪との相互依存の繁栄システムを築きました。 東京に住む関西人として、そう願いたいです。
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