コロナ禍でデパートが営業時間短縮も そもそも昔は18時に閉店していた
新型コロナ禍で閉店が早まった都内のデパート。しかしデパートはもともと早かったといいます。その歴史について、フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。「約30年前に戻っただけ」 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で、商業施設の休業が相次いでいます。5月になりようやく一部では再開が始まっていますが、それでも感染の再拡大を防ぐために多くの施設は営業時間を短縮。とりわけデパートは、18時や19時に閉店が設定されています。 普段でもデパートの多くは20時閉店と比較的早いため、「なんて短くなったのだろう」と思った人も少なくないでしょう。 しかし、これは「約30年前に戻っただけ」とも言えます。現在40歳以上の世代にとって、デパートは「18時に閉店する」のが常識だったのではなかったのでしょうか。 「夜型人間」の増加に期待したデパート デパートの営業時間の「常識」が変わったのは、1986(昭和61)年頃からです。最初は銀座・有楽町かいわいからでした。 まだバブル前で、景気が低迷していた時代。夜のにぎわいを少しでも取り戻そうという銀座の商店主らの要望と、「夜型人間」の増加にチャンスを見いだしたデパートの思惑が一致したのです。 この年の9月1日から営業時間を1時間延長し、19時としたのは三越、西武百貨店・阪急百貨店、そごうです。その後、松屋も10月から閉店を19時に延長します。 銀座三越(画像:写真AC) この動きは瞬く間に都内全域に広がります。 10月末までに日本橋や渋谷、池袋では営業時間の延長が決定。新宿や上野でも同様の動きが進み、1987年の夏までには、都内ほとんどのデパートが営業時間を延長することになりました。 大規模小売店舗法という規制大規模小売店舗法という規制 この当時、営業時間の延長は簡単ではありませんでした。というのも、デパートや量販店といった大型店舗は当時、「大規模小売店舗法」(大店法)によって、厳しく規制されていたからです。 西武池袋本店(画像:写真AC) 2000(平成12)年まで存在したこの法律は、中小の小売店舗を保護することを目的としたものです。大型店は出店の際、審査を受けて開店日や店舗面積、閉店時刻、休業日数を調整しなくてはいけませんでした。 そのため、営業時間の延長にあたっても地元商業関係者や学識経験者、消費者によって構成された商業活動調整協議会(商調協)に届け出て、審議の上で許可を得る必要があったのです。 20時閉店、先駆けたのは水戸市 こうして営業時間を延長したデパートですが、会社帰りに利用できると客の評判は上々だった一方、売り上げはなかなか伸びませんでした。銀座や有楽町は客足が伸びたものの、前年度比の伸び率「1ケタ」というデパートが大半でした。 しかし、首都圏ではコンビニの急速な普及による夜型人間の増加も相まって、19時閉店について次第に「早すぎる」という声は聞かれるようになりました。 最初に20時閉店の決断へと踏み込んだのは、東京ではなく茨城県水戸市の駅前でした。 水戸駅の位置(画像:(C)Google)『朝日新聞』1998年8月30日付に掲載された記事によれば、 「水戸市でも、郊外の国道50号バイパス沿いの飲食店や書店などは、22時過ぎになっても客が集まっている。営業時間の延長は世の中の流れ」 として、駅周辺のデパートなども「営業時間を延長すべき」という議論が始まっていることを伝えています。 これは、中小事業者保護のマイナス面の噴出と言える事態でした。規制のゆるい郊外では、夜遅くまでの営業が許可される大型店もこの頃増加していたのです。 こういった流れが、東京周辺の都市でよく見られる「郊外が栄えて駅前が寂れている」風景の始めの一歩と言えるでしょう。 「定休日消滅」の誕生「定休日消滅」の誕生 そして1994(平成6)年5月になり、大きな変化が訪れます。大店法が緩和され、閉店時間を遅らせる場合に必要な届け出時刻が「20時以降」とされたのです。 この規制緩和を受けて、ターミナル駅周辺のデパートでは20時閉店に踏み切ります。 このとき、営業時間とともに規制が緩められたのは休業日です。それまで44日以上とされていた年間休業日は、24日以上に変わりました。 松屋銀座(画像:写真AC) この結果起こったのが、定休日の消滅でした。 それまでデパートに限らず、大抵の店舗には定休日がありました。日本全国で、おおむね火曜日もしくは木曜日が休みという店は多かったのです。 当初は「思ったほど来店者数が伸びない」という不安もありましたが、やはり利便性が先に立ったのでしょうか。瞬く間に、20時閉店は定着していくようになりました。 新型コロナ禍で新しい生活様式が求められるなか、東京は再び夜型から朝型へ、眠らない街から眠る街に変化するのでしょうか。
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