丘陵地開発で景観も充実 梨とニュータウンの「稲城市」を巡る【連載】多摩は今(4)
多摩ニュータウンの最東部に位置する稲城市。多摩川と多摩丘陵に挟まれた同市の魅力について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。多摩ニュータウンの最東部に位置 多摩ニュータウンは東京を代表するニュータウンで、その造成事業では多摩丘陵の中に南北2~3km、東西14km、総面積約2850haと広大な面積が開発されました。 そのため開発エリアは複数の自治体にまたがっており、ニュータウンの中心と言われるのは多摩市のほかに八王子市、町田市、稲城市の4市に開発エリアがまたがっています。 中でも最も東京都心寄りにあるのが稲城市です。今回はそんな多摩ニュータウン最東部、稲城市の様子の「今」を紹介したいと思います。 稲城市(画像:(C)Google) 東京都心から稲城市へは調布まで京王線、調布から京王相模原線でアクセスします。稲城市内の京王相模原線には京王よみうりランド、稲城、若葉台の3駅があり、新宿から稲城駅までは30分弱かかります。また、稲城市内にはJR南武線も通っており、矢野口、稲城長沼、南多摩の3駅があります。 稲城市は大きく分けて京王相模原線沿線で多摩丘陵の中にあたるエリアとJR南武線沿線で多摩川に近い平地エリアのふたつに大別されます。多摩丘陵エリアでは住宅開発が進み、多摩川に近い平地エリアには一軒家中心の住宅地と農地が入り交じっています。 市内の農地を潤す大丸用水 市名となった稲城という地名はそこまで古くなく、明治時代に生まれたものです。 1889(明治22)年に公布された町村制に基づき五つの村が対等合併する際に命名されたものですが、由来には諸説あり、はっきりしていません。説によっては「稲穂」や「稲毛」という地名が候補としてあったというものがあります。いずれにしても「稲」の字は使われており、稲作が行われていたことがうかがえます。 また、「城」としては鎌倉時代から室町時代に使われていたとされる城跡があり、そのうち市北部にあったとされる大丸城跡には城山公園(稲城市向陽台)が整備されています。 市内を流れる大丸用水(画像:(C)Google) 大丸城跡北側から始まり、稲城市内の農地を潤しているのが大丸(おおまる)用水です。江戸時代に開削され、現在の稲城市東部と川崎市多摩区北部の水田を潤していました。現在もJR南武線に近いエリアで大丸用水の堀を見ることができます。 市の名産は梨市の名産は梨 現在、大丸用水に近いエリアでは水田は見られず、梨の栽培が行われています。梨は稲城市の名物でもあり、市のイメージキャラクター「稲城なしのすけ」のモチーフにもなっています。 稲城における梨作りは江戸時代から始まり、明治時代以降に新品種「長十郎」の導入で本格化しました。水田は次々に梨畑に変わり、稲城でも「稲城」を始めとした新品種も作られました。 稲城市で作られている梨(画像:稲城市) 第2次世界大戦中はいったん主食の生産に切り替わった後、第2次世界大戦後は観光農園化し、梨の生産は1960年頃にはピークを迎えます。しかし、その後は住宅地の開発が始まり、栽培面積が減っていきます。現在も稲城市内では梨園がいくつもあり、夏から秋にかけて直売所で梨を買い求めることができます。 また、市内には梨保護のため、梨がかかる病気の伝染源になるビャクシン類(貝塚イブキや玉イブキなど)を庭木などで植えないように呼びかける看板が見られます。 梨は市東部で栽培が盛んであったのに対し、梨と入れ替わるように盛んになった住宅開発は市西部を中心に行われます。まずは1970(昭和45)年に東京都住宅供給公社が南西部の平尾地区に平尾団地を造成します。 当時ちょうど多摩ニュータウンは事業計画が決定し、工事が始まったばかり。京王相模原線も建設中でした。そのため、当時は東京都心へのアクセスでは小田急小田原線にほど近い平尾地区が有利だったのです。実際に平尾団地には多くの人が移り住み、1971年には稲城市が誕生します。 市内のニュータウン開発は平成から その後多摩ニュータウンの開発が本格化し、1974年に京王相模原線が京王多摩センターまで延伸開業すると、稲城市内も住宅開発を待つことになりました。 しかし、雨水排水の問題から開発着手が遅れ、最初の造成地「向陽台」で分譲が始まったのは1988年のことでした。その後は長峰、若葉台と開発が進みます。 最後の若葉台のまちびらきは1999(平成11)年のことです。昭和後期に開発されたイメージが強い多摩ニュータウンですが、むしろ稲城市内の多摩ニュータウンは平成に入ってからの開発なのです。 平成に入ってからのニュータウン開発だった稲城市内では、長方形かつ4~5階建ての均質的な住棟が立ち並ぶニュータウンとは異なる景観が見られます。 代表的なのが「弓なりのスカイライン」で、丘陵地の高い所から高層住宅、中層住宅、一戸建て住宅と配置し、丘陵地帯に開発される住宅地の強みである「眺望」を最大限にいかすものです。京王相模原線の車窓からは丘陵地を立体的にいかした迫力ある住宅地を見ることができます。 向陽台の「弓なりのスカイライン」(画像:稲城市) また、地区センターとして指定された若葉台には大型で低層の商業施設が複数立地し、生活圏内にあるとうれしいテナントが多数入居しています。こうした大型かつ低層の商業施設が複数立地していることも近年開発されたエリアらしいと言えます。 住宅開発は平尾団地や多摩ニュータウン以後、現在も続いており、平尾地区と若葉台の間に位置する上平尾地区や稲城駅南東の南山地区といった多摩丘陵でも未開発だったエリアに戸建てを中心とした住宅地が今も造られています。 景観スポットも充実景観スポットも充実 ここまで紹介したような自然と住宅地の近さは、多摩にある多くの自治体が備えた特徴と言えますが、稲城は中でも果実生産が盛んであることがわかりました。そして丘陵地の開発は住宅地を生み出しただけではなく、丘陵地と多摩川が近いゆえのユニークな景観スポットをいくつも生み出してきました。 代表的なのは川崎市内にある「よみうりランド」へのアクセス手段として都県境をまたぐ「スカイシャトル」です。京王よみうりランド駅近くのスカイシャトル乗り場からゴンドラに乗れば、稲城市内を始めとした南多摩一帯を一望できます。都心方面は城山公園に立つ向陽台ファインタワーからできます。 向陽台ファインタワーから都心方面を望むイメージ(画像:(C)Google) ただ、向陽台ファインタワーは5月から10月の午後限定でしか登れないので注意が必要です。このほかにも住宅開発で生まれた公園には景観スポットが多く、昼はもちろんのこと、日の出や夜景も楽しめるスポットもあります。 果実生産からベッドタウンに変遷しつつも自然を残し、景観スポットがいくつもある稲城市。今後も人口増加が期待され、さらなるまちの変遷が楽しみなまちです。
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