浜田省吾『恋の西武新宿線』――豊島区と呉のビーチ・ボーイズ好き少年をつなぐ 中野区【連載】ベストヒット23区(11)
人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。中野サンプラザと言えば、山下達郎 今回は「ベストヒット中野区」。中野区 × 音楽と言えば、全国的に有名なコンサートホール = 中野サンプラザ(中野区中野)ということになります。 「中野サンプラザ、解体決定」という情報が流れて久しいのですが、しかし、一向に解体される気配もなく、今でも、さまざまなコンサートが開催され続けています。 中野サンプラザの外観(画像:写真AC) 私自身も、解体がうわさされてから、岡村靖幸、ゴダイゴ、村上“ポンタ”秀一、ザ・グッバイなど、中野サンプラザで行われたコンサートに足を運びました。口の悪い向きは「壊す壊す詐欺じゃないか?」などと。 日本経済新聞の2020年1月6日(月)の記事によれば、「老朽化が進む現在の中野サンプラザは24年度から解体を始め、新施設は28年度末の完成を予定している」とのこと。なので、まだしばらくは、あの、いい感じに昭和の香り漂う空間でのコンサートを楽しめそうです。 今でも通っているくらいですから、私自身、生涯で最もたくさんのコンサートを見た会場だと思います。その中で、ひとつだけ選ぶとすれば、1994(平成6)年4月27日の山下達郎「TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE」コンサートです。 中野サンプラザと言えば、山下達郎。音にこだわる達郎氏がコンサートを繰り返し開催しているということは、多分いい音響なのでしょう(私にはわかりませんが)。 26年前の「41歳」は立派な中年だった26年前の「41歳」は立派な中年だった そんな「中野サンプラザ × 山下達郎」シリーズの中でも、私の見た中では、達郎氏がかつて在籍したバンド = シュガー・ベイブ時代の曲を歌うという振れ込みのコンサートが最高だったのです。 忘れられないのはアンコール。アコースティックギターを抱えた山下達郎が、『MY SUGAR BABE』を歌う前のMC――「皆さん、かっこよく年を取っていきましょう」。 これにはシビれました。このとき山下達郎41歳。今の感覚の41歳は「年を取る」なんて言葉が似つかわしくない年齢ですが、当時は十分に「中年」。シニアに片足突っ込んだイメージがあったのです。 ちなみに私は当時28歳で、今年54歳。果たして、かっこよく年を取れているのかどうか。まるで自信がありません。 筆者所蔵の「TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE」パンフ。バックステージ・パス付き(画像:スージー鈴木) さて、そのコンサートで山下達郎は、あるシンガーの曲をカバーしました。「私と同じ年にバンドでデビューして、私と同じ年にソロになったシンガーの曲です」といった内容のMCに続けて。ちなみにシュガー・ベイブのデビューは1975(昭和50)年。山下達郎ソロデビューは1976年。 そのとき私は一瞬「あ、矢沢永吉だ」と思ったのですが、これは間違い。矢沢永吉率いるキャロルのデビューは1972年で、シュガー・ベイブより3年早かった。ま、『ファンキー・モンキー・ベイビー』を歌う山下達郎も見てみたかったものですが。 切った板で波に乗っていた浜田省吾切った板で波に乗っていた浜田省吾 MCに続けて歌われたのは、愛奴(あいど)というバンドの『二人の夏』という曲。愛奴とは、吉田拓郎のバックバンド出身で、そこでドラムスをたたいていたのが、浜田省吾。 そうです。正解は浜田省吾。愛奴のデビューは1975年で、浜田省吾のソロデビューは1976年で、山下達郎の歩みとまったく同じ。その上同学年。 『二人の夏』は、ビーチ・ボーイズのテイストがあふれる名曲。ビーチ・ボーイズと言えば山下達郎ですが、実は浜田省吾もビーチ・ボーイズ・ファンとして、少年時代を過ごしていたようです。 広島県呉市の海沿いに住んでいた浜田少年。ビーチ・ボーイズのジャケットに写っているサーフボードを見て、「何だ、この板切れは?」と思いながら、見よう見まねで板を切って、海に持っていって、波に乗ったという逸話の持ち主。 灰ケ峰山頂から見る呉市内の様子(画像:写真AC) 1994年4月27日の中野サンプラザは、東京都豊島区(山下達郎)と広島県呉市のビーチ・ボーイズ好き少年がつながりあった夜でした。 ここで「ベストヒット中野区」を決めてしまいます。今回は愛奴、浜田省吾に話が展開しましたので、浜田省吾が、愛奴時代から歌っていた曲『恋の西武新宿線』を「ベストヒット中野区」に認定します。 「西早稲田通り」が指し示すものとは「西早稲田通り」が指し示すものとは「西武新宿線」というと、「新宿区」と思ってしまいますが、中野区の北側を走る西武新宿線の五つの駅、新井薬師前、沼袋、野方、都立家政、鷺ノ宮は、すべて中野区になります。 それにしてもインパクトのある駅名が多い。特にインパクトがあるのは「都立家政」。駅前に「東京都立家政高校」があるわけでもないのに。実は、駅前にある「東京都立鷺宮高校」の昔の呼称が「東京府立中野高等家政女学校」だったことに由来するそうです。 赤枠に囲まれたエリアが中野区。区内に新井薬師前、沼袋、野方、都立家政、鷺ノ宮の各駅が入っているのがわかる(画像:(C)Google)『恋の西武新宿線』は、愛奴のデビューアルバム『愛奴』(1975年)に収録された曲で、ソロとなった浜田省吾がアルバム『君が人生の時…』(1979年)でセルフカバーしている、こちらもうっすらとビーチ・ボーイズ・テイストが流れている曲です。 歌詞を読んでも、中野区が舞台であることを示すフレーズは出てこないのですが、唯一の手がかりとして「西早稲田通り」というフレーズに着目します。 実は「早稲田通り」はあっても「西早稲田通り」は存在しません(「西早稲田」という地名は新宿区にありますが)。これを、千代田区から杉並区に続く「早稲田通り」の西側と解釈すると、中野区あたりを指す可能性が高くなるのです。 『恋の西武新宿線』がセルフカバーされた1979年――東京都豊島区と広島県呉市でビーチ・ボーイズを聴いていた少年たちが、バンドでデビューして、ソロになって、不遇の時代を過ごしながらも、ブレーク寸前。彼らが音楽シーンのリーダーとして君臨する1980年代が、もうそこまで来ています。
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