松任谷由実『ようこそ輝く時間へ』――地上61mの空から後楽園コンサート史に思いを馳せる 文京区【連載】ベストヒット23区(8)
人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。「音楽コンサートのメッカ」としての後楽園 前回の目黒駅から、南北線に乗って後楽園駅に移動します。そこから徒歩で向かうのは文京区の東京ドーム、ではなく「後楽園球場」。 若い人のために説明すると、後楽園とは東京ドームの前身で、1987(昭和62)年のシーズンまで、日本プロ野球のメッカとして親しまれた球場でした。 球場の位置は現在の東京ドームと同じ位置ではなく、現在のプリズムホール(文京区後楽)、ミーツポート、東京ドームホテルのあたり。ちなみに後楽園の本塁側は東京ドーム方向、外野は水道橋駅方向になります。 後楽園球場(左)と東京ドーム(画像:時事) 地の利がいいこともあり、さまざまな球団が後楽園を本拠地としましたが、閉場する1980年代は、読売ジャイアンツと日本ハムファイターズが本拠地として使用。1981年のシーズンは、この2チームが日本シリーズに進出、全試合が後楽園で開催される「後楽園シリーズ」と言われました。 しかし今回は、野球場としてではなく、音楽コンサートのメッカとしての後楽園の歴史を振り返りながら、「ベストヒット文京区」を考えてみたいと思います。 雨、雷鳴、そして稲妻 1971年の伝説の夜雨、雷鳴、そして稲妻 1971年の伝説の夜 野球場としての後楽園と言えばジャイアンツですが、コンサート会場としての後楽園の歴史は「タイガース」から始まりました。 日本人初の後楽園単独コンサートを成し遂げたのはザ・タイガース。沢田研二をはじめ、加橋かつみ、森本太郎、瞳みのる、岸部修三(現 岸部一徳)、岸部シローらが在籍。60年代後半の日本で一大ムーブメントとなった「グループサウンズ」(GS)の中でも、最大の人気を得たバンドです。 コンサートが行われたのは、1968(昭和43)年の8月12日。タイトルは「ザ・タイガース・ショー 真夏の夜の祭典」。 『ザ・タイガース研究論』(近代映画社)によれば、「沢田はオープンカーで手を振りながら登場、加橋はオートバイ、森本は早かご、岸部は木下大サーカスの象に乗って登場」とのことですので、純然たるコンサートというよりは、イベントという感じだったようです。同書によれば入場者数は「2万1000人を記録する。別の説では2万3000人または1万5000人」。 『ザ・タイガース研究論』の表紙(画像:近代映画社) 1970年代に入ると、英米のロックバンドが来日コンサートを次々と開催します。中でも半ば伝説化しているのが、1971(昭和46)年7月17日に開催されたグランド・ファンク・レイルロードのコンサート。 このコンサートを伝説化したのは、音楽というより天候でした。1971年の真夏の夜。大雨が降っては止み、また振り出し、そして光る稲妻、とどろく雷鳴。 その場に居合わせた音楽評論家・渋谷陽一の『ロックミュージック進化論』(日本放送出版協会)によれば、「雨はまったく止まず降り続いたが、客のほうは完全にお祭り気分ではしゃぎ回っていた」「そのうち一時間ほど降り続いた夕立は止み、嘘のような星空が広がった」。 しかし「コンサートが途中まで進んだところで、それまでつき抜けるように晴れていた星空に、雷鳴がとどろき、稲妻が走り始めたのだ。そして前以上の雷鳴が後楽園を襲ったのである」「すざまじい雨、雷鳴、そして稲妻。これ以上の演出効果はないだろう」。こうして、1971年の真夏の一夜が伝説の夜となったのです。 キャンディーズ解散コンサート、入場者数5万5000人キャンディーズ解散コンサート、入場者数5万5000人 邦楽に話を戻すと、後楽園コンサート史上、最大の話題を獲得したのは、1978(昭和53)年4月4日のキャンディーズの解散コンサートです。入場者数5万5000人、4時間、52曲という規模は、今の感覚でも相当大規模なコンサートです。 話題を盛り上げたのは、ザ・タイガースのときに比べて跳ね上がった入場者数です。このときはスタンドだけでなく、球場の中 = 「アリーナ」にも客席を作ったのです。後楽園は1976年に天然芝から人工芝に変わったのですが、その結果、「アリーナ」が設営しやすくなったと思われます。 その後、キャンディーズのライバル的存在だったピンク・レディーや、さらにはアリスも、後楽園で解散コンサートを開催するのですが、残念ながら、キャンディーズほどの話題にはなりませんでした。 後楽園コンサートの歴史の最後を飾ったのは、何とあのマイケル・ジャクソン。足掛け3年間にわたる「バッド・ワールド・ツアー」のしょっぱなが、閉場寸前の9月12日から14日の後楽園コンサートだったのです。マイケルはその後、西宮球場や大阪球場という、今はなき懐かしの球場を巡っていくことになります。 「夜空に浮かんだスタジアム」という記憶「夜空に浮かんだスタジアム」という記憶 と、駆け足で後楽園コンサートの歴史を見ていきましたが、「ベストヒット後楽園」は、「後楽園で歌われた曲」ではなく「後楽園『を』歌った曲」にしたいと思います。 地味ながらもファンの間で人気が高い松任谷由実のアルバム『パール・ピアス』(1982年)の1曲目に収録された『ようこそ輝く時間へ』は、後楽園ゆうえんちにある、地上61mの高さを上昇・下降するパラシュート型アトラクション = 「スカイフラワー」から、後楽園球場の試合を眺めるという歌詞です。 現在のスカイフラワーの様子(画像:写真AC) 左中間の奥にそびえ立つスカイフラワーを登っていくと、ジャイアンツの選手がプレーする「夜空に浮かんだスタジアム」に「歓声が舞い上がる」瞬間が見えた――。 けれど今、スカイフラワーに乗っても、スタジアムは決して夜空に浮かびません。歓声が舞い上がる瞬間も見えません。東京ドームの味気なく白い天井がぼんやりと視界に入るだけなのです。
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