スカイツリーに1番近い銭湯 元料理人の店主が仕掛ける、年2回の「パクチー湯」 薬師湯
スカイツリーから歩いて徒歩2分、開業から66年 スカイツリーから歩いて徒歩2分。下町の雰囲気が残る曳舟川通りに昔ながらの銭湯「薬師湯」(墨田区向島)があります。 1953(昭和28)年開業の薬師湯。1988(昭和63)年に一度改築をし、時代に合わせてマイナーチェンジを続けながら現代までたくさんの人々を癒し続けてきました。 スカイツリーから歩いて徒歩2分「薬師湯」の外観(2019年3月、高橋里実撮影) そんな銭湯の伝統を引き継いで守り続けているのが、3代目店主の長沼秀三さん。 「子どもの頃から銭湯を継ぐって決めていたんですよ。小学校の文集で将来の夢とか書くじゃないですか。そこに銭湯をやるって書いたら、親父から、銭湯はこれからなくなっていくと思うから、うれしいけどやめた方がいいぞって言われて」 父親の予想通り、長沼さんが大人になるにつれて銭湯の数は減少の一途をたどり、長沼さんも一旦は料理人の道へ。自分の飲食店を持ちたいという新たな夢もでき、突き進んでいたある日、父親から「継いでほしい」と打診があったそう。 「親父もまさかこんなに続くとは思っていなかったんでしょうね。新しい夢もあったので一度は断ったんですけど、元々興味もあったので」 長沼さんは2002(平成14)年11月に薬師湯を継ぐことになりました。 当時周辺には60軒ほどの銭湯があったそうですが、銭湯が減っていくペースは変わらず、街並みも少しずつ静かになっていったといいます。 「隣の銭湯がなくなってよかったわね、とかよく言われたんですけど、そんなことないですよ。横のつながりもありましたから、やっぱり寂しいです。それに、銭湯に行く文化がなくなってしまうのでは、っていう不安もありました」 長沼さんも薬師湯を継続させるために、SNSを始めたり、イベントを考えたり、それまで3種類程度だった日替わり湯を100種類以上に増やしたりと尽力。事情がありお店自体の改装はできないため、あるものでいかによくするか、知恵を絞りながら続けてきました。 「料理人ってまかないを作るんですけど、それと似てますね。あるものでいかに美味しくするか、みたいな。あの頃の経験が生きてるのかなって思います」 2011(平成23)年3月に東日本大震災が発生。帰宅難民も大きく報じられましたが、当日の薬師湯はいつも通り営業したそうです。深夜までかなりの来店があり「ここに銭湯があってよかった」「来てよかったよ」とほっとして帰っていく利用客の姿が印象的だったと長沼さんは語ります。 その後、計画停電などもありましたが、通常営業を続け、自粛ムードの漂う地域に銭湯として癒しの時間を与え続けました。 スカイツリーがもたらした影響とは?スカイツリーがもたらした影響とは? そんな中、墨田区に明るいニュースが訪れます。2012(平成24)年5月、スカイツリー開業。周辺が整備され、観光客や外国人も増加。地域の観光マップが配布されるようになり、取材を受ける機会も増え、薬師湯の認知度も次第に上がっていきました。 昭和28年開業当時の薬師湯(画像提供:薬師湯)「意外だったのは、近隣の若い人たちが来るようになったことですね。ここに銭湯があるということを知ってもらえたみたいで。それにスカイツリーの従業員の方も仕事後に立ち寄ってくれるようになりました。銭湯文化がなくなる不安も今は少なくなりました」 さらに近くには、ゲストハウスなどもオープン。宿泊すると薬師湯でタオルを借りられるように提携したことでさらに集客につながっていったそうです。 「今でいうWin-Winの関係ですよね。お互いに良い関係になっています」 スカイツリーができてお店が繁盛しても、古くからの設備を大切に使ってきた薬師湯。マニアの間では「薪で沸かす銭湯」として愛されている側面もありました。 しかし、2017年にガスに変更。繁盛店であるがゆえの人手不足や故障などが重なり、やむを得ずの判断でしたが、管理の大変だった薪からガスに変えたことで時間が浮いたため、サービスの向上や新たなイベントの企画などもできるようになったそうです。 「SNSで要望をもらうことも増えて、パクチー湯もやってみました。匂いが嫌だという声もあったんですけど、面白がって来てくれるお客様もいるので1年に2回くらいやるようになりましたね。今後は近くの飲食店とのコラボなどもしたいなと思っています」 時代の変化とうまく順応しながら、昭和、平成、そして令和を迎える薬師湯。 「僕が継いでから本当に色んなことがありましたが、スカイツリーができてうちの店だけでなく、街自体も元気になったなぁと感じています。できれば先々、娘にも継いでほしいという思いもあるので、頑張っていきます」 今日も薬師湯は温かいお湯でたくさんのお客様を迎えています。
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