渋谷にかつて「お城」があった! 駅から500m、跡地にはいったい何が
文化の発信地として知られる渋谷、そんな渋谷にかつてお城があったことをご存知でしょうか。場所が気になるそこのあなた、フリーライターで、古道研究家の荻窪圭さんがあなたをご案内します。渋谷は意外な歴史満載の土地 神社仏閣参拝や史跡訪問って、最寄り駅から最短距離で直行するより、当時の古い道筋を辿って、昔の人たちと同じルートで歩いた方がより歴史を感じられて面白いと思いませんか? 古い道筋はナチュラルにカーブしていたり、ちょっとした谷を上手に避けていたり、江戸時代の石仏や道標が残っていたり、旧家が突然現れたり、そういうちょっとした歴史の痕跡との出会いも魅力です。 歴史を辿るには最短距離ではなく、「当時の道で訪問しよう」ということで「東京古道散歩」なんてやってる、フリーライターで古道研究家の荻窪圭です。 まずは意外性満載な歴史を持つ渋谷へ行ってみましょう。 鎌倉街道と渋谷城 渋谷がどんな町かは今更いうまでもありませんが、実は600年ほど前、渋谷に「渋谷城」があったのです。 夜の金王八幡宮境内と桜。中央にあるのが金王桜。花見客もちらほら見える(画像:荻窪圭) 渋谷城……不夜城の渋谷に渋谷城というのも、似合うような似合わないような感じですが、かつて渋谷の街道の要衝(ようしょう。商業や交通、軍事などで重要な場所)を抑える位置に城があったのです。城といっても鎌倉~室町時代なので、石垣もなければ天守もありません。地味なモノですが確かな歴史の痕跡です。 渋谷城があったのは、渋谷駅から500mくらい離れた場所。今は「金王(こんのう)八幡宮」という神社となって残っています。城内に勧請(かんじょう)されたという神社があったおかげで、城跡が開発されずに残ってくれたわけですね。 といっても、知らない人も多いかと思います。渋谷って、東西に横切る国道246号と首都高で南口を南北に分断されているので、南側って用事が無いとなかなか行きませんから。 ポイントは「並木橋」にありポイントは「並木橋」にあり では古道散歩の流儀に従って、当時の道を使って渋谷城跡へ行ってみましょう。 渋谷駅南口を出たら、駅前再開発真っ只中の歩道橋で国道246号(青山通り・玉川通り)を渡り、南に向かいます。明治通りは味気ないので、渋谷川沿いに作られた渋谷ストリーム(渋谷区渋谷)を歩くのがおすすめ。 渋谷は「渋谷川」が作った谷で、ちょうど谷底にJRの駅があるのです。渋谷ストリームの入口には小さな橋があります。これは稲荷橋。実はここ、「田中稲荷」という稲荷神社があったのです。 調べてみると、今の国道や首都高のルートに被っていたため、金王八幡宮の脇に移されていました。今や名前だけが稲荷があったことを教えてくれます。こういう名前を見て、「ってことは、昔この辺に稲荷神社があったのだな。今はどうなってるんだろう」と疑問に思いはじめると、歴史散歩は我然面白くなります。 渋谷川沿いの渋谷ストリームを終点まで歩くと並木橋です。ここがポイント。 並木橋の袂にある「鎌倉道」の解説板。渋谷城の話も書いてある(画像:荻窪圭) 並木橋の明治通り側に「鎌倉道」と書かれた解説板が立っており、「この右手の細い道を、古くから鎌倉道と呼び、源氏が鎌倉に幕府を開いて以来、東日本の各地に設けた軍道のひとつといわれています」と書いてあります。 鎌倉時代に、鎌倉と各地を結んだ道のひとつが渋谷を通っていたのですね。渋谷城もその文脈で捉えるといいでしょう。 今は八幡通りと呼ばれてますが、この道を西へ向かうと代官山を抜けて目黒川を渡り、さらに二子玉川か丸子のあたりで多摩川を渡って鎌倉へと通じてました。逆に東へ向かうと、坂を上り、渋谷城の前に出ます。 明治通りの交差点を渡って渋谷城へ向かいましょう。坂を上りきったあたりに「金王神社前」という交差点があります。ここをまっすぐ行くとやがて国道246号(青山通り。江戸時代は大山街道、矢倉沢往還などと呼ばれていた)に合流します。その先の鎌倉街道は原宿を抜け(鎌倉街道の宿があったのが語源という)、千駄ヶ谷の鳩森八幡神社前を通って北に向かい、岩淵で荒川を渡ってました。 交差点を左折して坂を少し下りた先に見えるのが金王八幡宮です。少しだけ坂を下るのは、かつてそこに黒鍬谷と呼ばれていた小さな谷があったから。この谷と渋谷川が渋谷城の天然の掘だったと考えられてます。そして階段を上って鳥居をくぐるとそこは金王八幡宮境内にして渋谷城跡というわけ。鎌倉街道を抑える交通の要衝で守りやすく監視しやすい高台という中世の城の立地条件にすごく合致しています。 渋谷城と金王丸伝説渋谷城と金王丸伝説 なぜ渋谷城が「金王八幡」なのでしょうか。そこに登場するのが渋谷金王丸伝説です。 金王八幡宮の表参道。少し高くなっているのがわかります。渋谷という土地にありながら立派な境内を持ち、参拝するビジネスマンの姿も(画像:荻窪圭) 伝説によると平安時代末期、渋谷金王丸という若者がおり、源義朝(源頼朝の父)に従って戦ったが平氏に負けたため、金王丸は出家して諸国を行脚、その後源頼朝に乞われて戦線に復帰して活躍したそうです。 金王八幡宮には、金王丸が17歳で出陣する際、自分の姿を彫刻して母に残したという木像が残されていたり(金王丸御影堂)、金王丸が所持していたという長太刀が伝わっているほか、1189年、源頼朝が渋谷金王丸の忠節を偲んで桜を植えたともいわれてます。その桜は「金王桜」として江戸時代に賑わい(江戸絵図にも描かれているくらい)、今でもその子孫がソメイヨシノより少し早い時期に花を咲かせています。 社殿の後ろに高層ビルが見える都心部らしい場所にありながら、静かで広い境内を持っていますし、宝物殿も無料で公開されていますから、渋谷の人混みに疲れたらここで一息という場所としてもおすすめです。 さて、渋谷城はその後どうなったか。 1524年の戦国時代、小田原の北条氏が江戸城の上杉氏(江戸城は1457年築城)を攻めたとき、北条氏の軍勢によって落城してしまいました。徳川家康が江戸に入った1590年にはもうなかったのです。 金王八幡宮の隣には豊栄(とよさか)稲荷神社があります。これは渋谷駅前にあった田中稲荷(稲荷橋のたもとにあった神社です)と道玄坂上にあった豊沢稲荷を1964(昭和36)年に合祀したもの。足を運んだ際には一緒に参拝してみましょう。
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