なんと総延長40m 中野区に「巨大な防空壕」が眠る禅寺があった
中野区にある成願寺の境内の片隅には、総延長約40mもの防空壕が今でも残っています。都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。戦争の記憶を今に伝える古刹 東京メトロ丸の内線の中野坂上駅から山手通りを徒歩で南下することおよそ5分。道端に巨大な達磨の筆絵と竜宮城のような門が現れます。 室町時代の1438(永享10)年に創建された「多宝山成願寺(たほうざん じょうがんじ)」(中野区本町)は、なんと戦中の防空壕が眠るお寺。今回は、戦争の記憶を今に伝える古刹の話です。 ジグザグに造られた成願寺の防空壕(画像:黒沢永紀) 開基の鈴木九郎は紀州で熊野神社の祭祀を代々務めた鈴木氏の末裔で、室町時代の応永年間に多摩郡中野邑(現在の東京都中野区)にやってきたと伝えられます。馬の飼育販売で財をなし、中野から西新宿にかけての荒地開拓に尽力したことから中野長者とよばれるようになりました。 祭祀の家系の出ゆえに信心深く、故郷の十二所権現を自ら開拓した地に勧請。これが現在も西新宿にある十二社(じゅうにそう)熊野神社です。 しかし娘を18歳で亡くし、その悲しみから出家して名を「正蓮」と改め、熊野神社と同じ十二社に禅寺の正観寺を建立。後年は、娘の供養と曹洞禅宗の普及に精進したといいます。その後、江戸の初期に十二社から移転し、自邸を改築して開いたのがこの成願寺でした。 鈴木九郎の墓は境内のほぼ中央にあり、身分の高い人に用いられることが多い宝篋印塔(ほうきょういんとう)型の墓石は、史跡に登録されています。 総延長約40m、高さ約2m総延長約40m、高さ約2m そんな縁起を持つ成願寺境内の片隅に、防空壕がひっそりと眠っています。先の大戦の際には、多くの家の庭などに、簡易な防空壕がありましたが、それらの多くはすでに埋められたり壊されたりしてしまいました。こうして防空壕が残っていること自体が、東京ではとても貴重なことといえます。 本堂となる大雄宝殿のそばから半地下の細い通路を抜けて裏庭に出ると、目の前に現れる木製格子の扉が防空壕の入口です。周囲はなだらかに盛り上がる小高い丘で、この隆起した土地の下に防空壕は造られていました。 裏庭にひっそりと佇む防空壕の出入口(画像:黒沢永紀) 総延長約40m、高さ約2m、総面積は約80平方メートル。軍が築造した防空壕の司令部などと比べれば小規模ですが、一般家庭に造られたものよりは、はるかに立派な防空壕です。 入口から入ると、ほどなくして右へ直角に曲がっているのは、爆風除けの措置でしょう。メインの壕は緩いジグザグ状で、奥まで見通すことができ、突き当たりから再び直角に右折して、反対側の出入口へと通じています。現在は崩落防止のため、防空壕の壁面は全て鉄板によって覆われています。 建造するのははさぞたいへんだっただろうと想像しましたが、鉄板の隙間からかつての壕の表面に触れると、ほんの少し力を入れるだけでポロポロと崩れる、とても柔らかい地質であることがわかります。この規模の壕を造ることができたのも、きっとそのおかげでしょう。 防空壕のほかにも見所満載防空壕のほかにも見所満載 かつてはいくつもの部屋があり、それぞれ本堂や風呂、そして雪隠などに使われていたそうですが、現在残るのは中央付近の小部屋ひとつで、仁王さまのような仏像が一体と温度計が置かれています。気温は16度。壕の中は温度が一定なので、夏は涼しく冬は暖かいようです。 この防空壕は、先の大戦の際、先代の住職が空襲に備えて掘ったものでした。近隣住民は、空襲のたびに大きな荷物を持って子供と一緒に逃げ込み、幾度も難を逃れたといいます。 1945(昭和20)年5月25日の深夜、中野から東京駅までを火の海にした山手大空襲によって、成願寺も全ての堂宇(どうう。堂の建物)や多くの仏像が焼き尽くされてしまいました。しかし、ご本尊、ご開山さま、そして一部の古文書は、防空壕の小部屋に移していたおかげで、かろうじて守られたそうです。戦争の記憶を風化させない遺産として、いつまでも残って欲しいと思います。 成願寺は、防空壕のほかにも見所が満載のお寺です。まず最初に目に入るのは、「大観通宝」の文字が浮き彫りされた軒瓦(のきがわら)の先端を飾る瓦当(がとう)。ほぼ全ての瓦当が、古銭を模した形をしています。 大観通宝の瓦当(画像:黒沢永紀) ある日、鈴木九郎が痩せ馬を千葉の馬市へ売りに行く途中、浅草観音へお参りをし、高値で売れた場合、その中に混じった大観通宝は全て観音さまへ差し上げると誓います。 馬は高値で売れますが、受け取った通貨を見ると全て大観通宝でした。しかし、観音さまとの誓いを守り、全てを観音さまへ納めて仕事にまい進した結果、中野長者と言われるまでに事業が成功したという伝説に因んでいます。 防空壕は、事前に申し込めば見学可能防空壕は、事前に申し込めば見学可能 観音信仰とのつながりが強い成願寺には、西国や秩父など、合わせて100の観音霊場と同じ姿の観音菩薩を安置した圓通閣(百観音堂)があり、百観音霊場詣りと同じ功徳があるとされます。 また、黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院ではよく見かける、竜宮城を思わせる明朝様式の三門は、曹洞宗の寺院としては、珍しいものといえるでしょう。 十二支が護る香炉堂の天井(画像:黒沢永紀) その他、中野区内で唯一の大名家の墓である鍋島家の十三基の墓碑や、邪鬼が支える香炉と十二支が屋根を護る香炉堂など、見応えのあるものが境内に点在します。 なお防空壕は、事前に申し込めば見学が可能なので、一度訪れてみるのはいかがでしょうか。もちろん寺院なので、お参りもお忘れなく。誰でも参加できる坐禅会や仏像彫刻教室なども、定期的に行われています。
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