戦前の大横綱「双葉山」が敗れた日――両国の石碑に面影をたどって
世間をどよめかせた、1939年1月15日。 大相撲初場所が真っ盛りです。令和になって初めての初場所。どんな展開になるのか、大相撲ファンにはわくわくどきどきの毎日でしょう。 今から80年ほど前、69連勝中の横綱・双葉山が前頭の安芸ノ海(あきのうみ)に敗れるという大番狂わせが起こりました。世間は「双葉が敗れた」と言って、天地が引っ繰り返るほどの騒ぎだったといいます。なぜ、そんなに大騒ぎしたのでしょうか。 大相撲初場所が行われている両国国技館(画像:(C)Google) 当時の大相撲は春秋の2場所制で、1場所が11日間。1937(昭和12)年から13日制。15日制になるのは、双葉山が敗れた次の場所となる1939年秋場所からなのです。双葉山は 1936年1月場所の7日目から丸3年間も勝ち続け、 盤石の強さを見せつけました。 この時期の相撲人気はすさまじく、観衆は前夜から国技館に押し掛けました。「一年を二十日で暮らすよい男」という、力士たちの暮らしぶりをうたった川柳まであったほどです。年6場所、 1場所15日間の現在では想像もできない盛況でした。 その日――。1939年1月15日は、大相撲1月場所4日目。日曜日で、藪(やぶ)入りの日でした。 初入幕の安芸ノ海が勝負後に打った電報初入幕の安芸ノ海が勝負後に打った電報 藪入りというのは、奉公人が年に一度休みをもらい、晴れて実家に戻る日です。驚かれる人も多いでしょうが、当時は子守とか女中などといって、職業ともいえない 「おてつだいさん」 のような人が大勢いたのです。 双葉山は初日から3日間勝ちっぱなしで、前人未到の69連勝。この日の相手の安芸ノ海は前場所に初めて入幕を果たした新鋭です。 この取り組みに勝つと節日の70連勝に達するので、観衆は大きな期待を寄せ、盛んな声援を送りました。 仕切り直しを10回重ねて時間いっぱい、両者は立ち上がりました。以下、展開を記すと こうです。 ※ ※ ※ 安芸が突っ張り、双葉がそれを突き返す。 安芸が右の前まわしを引き、右上手を取って頭をつけた。双葉は上手が取れないまま、右からすくい投げを2度打つが決まらない。双葉の体が後ろに反り返ったとき、 安芸は右前まわしを引きつけ、とっさに外がけを放った。その瞬間、双葉の体は左から崩れて土俵下に落ちた――。 ※ ※ ※ 無敵の双葉山が負けた、場内は騒然となりました。まるでこの世に何事か起こったよう な異様な雰囲気になりました。新聞は驚き、号外を出す騒ぎになりました。 双葉山が敗れた瞬間を報じる東京朝日新聞(画像:合田一道) 翌日の東京朝日新聞は、社会面トップで次の見出しで伝えました。 “不抜(ふばつ)双葉城” 陥落す/英雄安芸は泣く/ 藪入日に/鉄傘(てっさん)未聞の嵐 写真は3枚組で、安芸が突っ張る場面、安芸が外がけを掛ける場面、双葉が横転する場面を掲載しました。 読売新聞の小島六郎記者は、取り組み後の様子をこう書きました。 (双葉山は)悠々と起き上がり、座布団の雨が降る。殺気をおびた興奮の大鉄傘(国技館の丸屋根)の騒音をあとにして引き上げていったのである。 双葉山を敗(やぶ)った安芸ノ海は一躍、ヒーローになりました。最後に掛けた外がけが右足か左足か、と問われて、 「夢中だったので、 どっちかわからない」 と答えました。そしてもみくちゃになるなか、広島の母親に電報を打ったのです。 「オカアサン カチマシタ」 世界大戦への道を歩みゆく日本で世界大戦への道を歩みゆく日本で 翻ってわが国はこの時期、戦争への道を歩み始めていました。 世界軍縮会議を脱退して孤立を深めるなかで、 中国・盧溝橋(ろこうきょう)事件を契機に戦線を拡大させ、ついに日中全面戦争へ突入していきました。国民は日本軍の戦いぶりに、双葉山の無敵ぶりを重ね合わせて、歓喜に酔いしれていたともいえましょう。 双葉山はその後復活して優勝を重ね、 安芸ノ海との対戦も10回ありましたが一度も負けませんでした。 結局優勝12回、うち全勝優勝8回を数えました。安芸ノ海は双葉山には勝てなかったとはいえ、着実に勝ち星を積み上げ、横綱に昇進しています。 両国の諸宗山回向院にある、力塚の石垣に刻まれた「双葉山定兵衛」の文字(画像:合田一道) 両国国技館に近い墨田区両国2丁目の諸宗山回向院(えこういん)境内には「力塚」が建っています。 ここは1833(天保4)年から春秋の定場所が催され、1909(明治42)年に旧両国国技館ができるまでの76年もの間、大相撲が行われていたところです。ちなみに1月は春場所、5月を秋場所と呼ぶのは旧暦に基づくものです。 「力塚」は相撲協会が歴代年寄の慰霊のため1936(昭和11)年に建立したもので、石垣に「関脇豊前 双葉山定兵衛」の文字が刻まれています。 ここに立つとその時代に吹いていた風を感じて、思わず身が固くなります。
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