品川駅の南にあるのになぜ「北」品川? 周辺は旧東海道、さっそく歩いてみた
品川駅から南にひと駅下った北品川駅。南にあるのに「北」品川とはいったい? その理由と周辺散策について、紀行ライターのカベルナリア吉田さんが解説します。弥次さん喜多さんも歩いた東海道 昼過ぎの京浜急行品川駅ホームは大混雑! エアポート急行羽田空港行き、横浜方面に向かう12両編成の快特など電車が次々に来て、大勢の人が乗り込んでいきます。 そんな中やってきた普通電車は、短い4両編成。乗客も多くなく、余裕で座れてボーッとしていると、電車は動き出しました。 と思ったら速度を上げないまま、すぐに「次は~北品川~」のアナウンス。発車して1分もたっていないのでは? せっかく座れたけどそんなわけで、北品川駅で降ります。そして路線は南へ下っているのに、品川駅の南の駅が、なぜ北品川? 京浜急行の北品川駅(画像:カベルナリア吉田) 改札を出て、目の前を横切る第1京浜を、少し北へ戻ります。程なくJRの線路をまたぐ八ツ山橋が見えてきます。橋の向こうに高層ビルが何棟もそびえ、周辺は摩天楼の風景。でも近くに立つ地図を見ると、橋のそばにゴジラの絵が! ここは1954(昭和29)年公開の映画『ゴジラ』で、初代ゴジラが上陸した記念すべき? 場所なんですね。 そして第1京浜の東側に、歩道のない往復2車線の道が延び「旧東海道」の表示が立っています。弥次さん喜多さんが歩いた東海道は、この道なんですね。 潮風の残り香を感じつつ、そぞろ歩き潮風の残り香を感じつつ、そぞろ歩き 江戸の日本橋と京都の三条大橋を結んでいた東海道には、ご存じのとおり五十三の宿場がありました。日本橋を出てひとつめの宿場が、品川宿。日本橋から近い印象なので、わざわざ泊まる人はいたのかなと思いますが、それがなかなかにぎわったそうです。 品川駅があるのは、実は品川区ではなく港区。その南に品川区が隣接しています。そして品川宿の中ほどを東西に目黒川が流れ、川の北側が北品川、南側が南品川。なので品川駅の南にあっても、目黒川より北にあるから北品川というわけなんですね。 道ばたに立つ「従是南(これよりみなみ)品川宿」の表示を横目に、旧東海道を南へ下ります。道はそのまま「北品川本通り商店会」となり、道ばたにオシャレなカフェや、風情漂うソバ屋もあります。 旧東海道、北品川本通り商店会(画像:カベルナリア吉田) 左右に路地が何本も枝分かれして、その1本の入り口に「問答河岸跡」の案内板が立っています。ただし長年の雨風に耐えかねたのか、説明文は全く読み取れません(ここを訪ねた徳川家光に、出迎えた沢庵和尚が禅問答をしたそうです)。取りあえず路地を進みます。 坂道を下った先に、屋形船の看板が見えます。さらに古びた「北品川橋」が現れ「大正14年竣工」の文字。大正14(1925)年! そして水路に行き当たり、屋形船が何艘(そう)も係留しています。背後すぐに高層ビルがそびえ、これまた不思議な景観です。 ここは品川浦の舟だまり。品川宿は海沿いに開けた、風光明媚(めいび)な宿場だったそうです。それにしても今や新幹線も止まる大都会・品川に、こんなひなびた風景が残っているとは思いませんでした。 宿場本来の雰囲気は脇道にアリ宿場本来の雰囲気は脇道にアリ 旧道に戻り、再び南へ――おおっ、宿場だけに宿が、ゲストハウスがあります。驚いて見ていたら、金髪青い目の欧米人が出てきました。東京を観光する外国人が利用しているようです。 いっぽうで引き続き、左右に何本も路地が現れます。自転車1台がやっと通れる路地に、これまた年季の入ったスナックと居酒屋が。「今年で46年になりました」と貼り紙も。店と店に挟まれた、極細の隙間に猫が1匹。「ニャーン」と鳴き、近づいても逃げる気配もありません。 横町。年季の入った居酒屋がたたずむ(画像:カベルナリア吉田) 旧東海道品川宿はここ数年、観光名所として人気が出て、散策する人も増えているそうです。そのせいでしょうか、道沿いの店の多くは洗練された雰囲気です。宿場本来の雰囲気を感じるなら、あえて脇道に迷い込むほうがいいかもしれません。 ほかの路地より少し広い「大横町」に入ってみます。まっすぐ進んだ先に、かつて「御殿山」がそびえ、ほかの横町より広いから「大横町」だそうです。 年季の入った居酒屋に理髪店、そして銭湯も――あれ? 自販機の側面に、グラマーな金髪お姉さんの写真入りチラシが貼られています。髪をかきあげ悩殺ポーズ、これはいったい……? 北の吉原、南の品川北の吉原、南の品川 実はその昔、品川は東京を代表する色街のひとつで「北の吉原、南の品川」と呼ばれるほどにぎわったそうです。それで日本橋から近いこの場所に、男たちは宿を取り、一夜を過ごしたのかもしれませんね。 とにかく洗練された旧道そのものより、チョイチョイ脇に延びる横町のほうが、往時の猥雑(わいざつ)な雰囲気を感じられます。ぜひ横町に寄り道しつつ進んでほしいですね。 旧道に戻り、南へ。引き続き「黒門横町」に「竹屋横町」、かつて本陣があった聖蹟(せいせき)公園など、歩きどころ見どころが次々に現れます。 その先の交差点に「東海道北品川」の表示。ここから西に延びる道は品川神社の参道で、これまた店がたくさん並んでいます。そして参道を抜けて、第1京浜を渡った先には、品川神社の大鳥居がドーン! 53段の石段を登った先に社殿があるほか、ひときわ高く岩を積み上げた富士塚があります。 江戸時代は富士山信仰が盛んで、神社の境内などに造られた「ミニ富士山」富士塚の参拝もはやったそうです。そして富士塚の山肌に沿って、石段が延びています。足元に気をつけつつ、いざ山頂へ。 富士塚からの眺め(画像:カベルナリア吉田) けっこう高くてビックリ! そして品川の街を一望できて、気分爽快です。かつてはきっと間近に、海も見えたのでしょうね。 夕暮れどきは素朴な雰囲気夕暮れどきは素朴な雰囲気 間近に北品川の一駅隣、新馬場駅も見えてくるなか、旧街道に戻りさらに南へ。程なく目黒川に行き当たり、北品川はここまで。渡った先は南品川です。 よく歩きました。北品川駅から新馬場駅まで距離は短いですが、横町をテクテク歩いたら足が棒になりました。かつて街道を旅した人も、いろいろ寄り道しつつ進んだのでしょうか。 新馬場駅前のカフェで一服。隣席の女性の荷物が、こちらの陣地にはみ出してきたりして、しばし現実に戻ります。そしてボーッとしていると――『夕焼け小焼け』のメロディーでチャイムが流れてきます。夕方5時、このまま帰るのはつまらない。横町の居酒屋に繰り出すとしましょうか。 夜の旧東海道に表示がともる(画像:カベルナリア吉田) 暮れなずむ北品川商店会の街灯に「東海道品川宿」の文字が。一眼レフカメラで写真を撮っていると、 「そんなの持って重いでしょう」 フイに声をかけられました。買い物帰りらしき初老のご婦人が「私の孫もね、この前そんなカメラ買ったのよ」と普通に話しかけてきて、「意外に重くないんですよ」と普通に答えます。まさか品川の路上で、見知らぬ人と言葉を交わすとは思いませんでした。 居酒屋のお母さんの爆笑トーク居酒屋のお母さんの爆笑トーク 道ばたで焼き鳥を焼いていて、煙がモウモウと立ち込めるなか、行列ができています。大都会、品川にいることを徐々に忘れ、横町の居酒屋へ。 カウンター席の先客は50代くらいのご夫婦と、ご主人のお母さん推定80代。お母さんの隣に座ると、普通に「お疲れさま」と言われ、なんとなく乾杯して話し出します。 これまたなんとなく「カフェで隣の女性の荷物がハミだしてきて~」と話したら、お母さんがこの一言。 「その人はね、アナタのことを好きなのよ!」 ええーっ、そんなまさか! というわけで爆笑しつつ、品川宿の夜はふけていきました。 夜の旧東海道、北品川本通り商店会(画像:カベルナリア吉田) 手軽に歩ける旧街道の宿場町、北品川。週末の天気のいい午後にでも、ブラリと出掛けてみてはいかがでしょうか。横町に寄り道して、さらに夕暮れ後の「第2部」も歩けば、楽しさも倍増すると思いますよ。
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