全フロアに漂う強烈な個性 サブカルの聖地「中野ブロードウェイ」、時空を狂わす魅力と歴史を振り返る
新宿から5分の場所に混とんとした空間があります。その名も「中野ブロードウェイ」。サブカルの聖地と知られる同商店街の歴史と魅力について、都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。アメリカの複合施設がお手本 秋葉原と対をなす、西のサブカルの聖地・中野ブロードウェイ。全国の商店街を対象にした調査で、繁盛しているのはわずか2パーセントという現在、開館から50年以上も経ちながら、令和の今もおおいに繁盛する中野ブロードウェイの魅力に今回、迫ってみたいと思います。 中野ブロードウェイの4階にある、グレイの標本が陳列された漫画専門の古書店「まんだらけ」の事務所(画像:黒沢永紀) 中野ブロードウェイ(NBW)は、中野駅北口のサンモール商店街と早稲田通りを繋ぐような形で建つ、地上10階・地下3階の複合ビルです。まだ複合ビルというものが珍しかった1966(昭和41)年の竣工当時、その規模は「東洋一」とまでいわれたとか。開業時にはなんと15万人もの客が詰めかけたといいますから、その話題性が伺えます。 NBWの歴史は、昭和30年代に始まります。住宅街によって寸断されていた、中野北口美観商店街(現 サンモール商店街)と昭和通り(現 早稲田通り)を繋げるべく、中野北口開発株式会社が4階建ての下駄履きアパート(1階が商店、2階以上が住居構造のアパート)を計画するも、ほどなく資金難で頓挫。 その後を継ぐように、高級ヴィンテージ・マンションで知られる東京コープの宮田慶三郎が、アメリカで見聞した複合施設を手本に、大規模な複合ビルの建設を計画しました。 難航を重ねた土地買収や北口商店街の猛烈な反対を制して完成したのがNBWです。オープンから5年で経営難に陥り、あえなく自主管理体制となりますが、今でも居住階への入口には、正式名称の「CO-OP BROADWAY」の表示が残されています。 さまざまな業種が乱立状態さまざまな業種が乱立状態 商店街の繁栄条件として最も重要なニ大要素は「交通の利便性」と「商店の充実度」です。新宿から中央線で5分、約400店舗が入店するNBWは、基本的な発展要素をしっかりと備えていることがわかります。 中野ブロードウェイの入口付近の様子(画像:写真AC) 加えて、住みたい街ランキングで過去10年間、常に10位前半をキープしている中野の中心部に位置することも、人出が絶えない要因でしょう。これら必須条件を揃えながら、更に「商店街の個性」を兼ね備えているのが、NBWの最大の魅力ではないでしょうか。 複合ビルといえば、所有会社が全館を経営するテナント制のものが多い中、NBWは当初から多くのスペースを分譲の形でスタートし、それは今でも変わっていません。その結果、全フロアがほとんど個人系の店舗で埋め尽くされています。 元々、1階と3階はファッション、2階は飲食店、というように各階の区分け基準があったようですが、オーナーの度重なる入れ替えで、現在はさまざまな業種が乱立状態。このカオスこそ、「NBWをNBWたらしめる」最も大きな特徴だと思います。 ショッピング・モールとなっている地下1階から4階の造りが面白いことも魅力のひとつでしょう。サンモールのアーケードと同じ高さを印象付けるため、1階のメインストリートは2階まで吹き抜けの構造となっています。 これによって、いつNBWに入ったのか気がつかない人も多く、この「連続性」も客足の途絶えない一つの要因だと考えられます。なお、1階のメインストリートを、サンモールと同様に広いショッピング通りとする構想から、ブロードウェイと名付けられました。 南北2か所にある昇りエスカレーターは、いずれも3階への直通。2階へは階段でしか行けず、3階から4階へ行く場合も同様です。また、地下へ降りるエスカレーターは南、中央、北の3か所もあり、しかも、昇りエスカレーターと隣接せず、独立して施工されています。 階段は、南、中央、北の3か所にあるほか、南寄りには非常階段といいつつも普通に利用できるものもあり、複雑なエスカレーターと併せて、まるで迷宮のような構造が、かえってサブカル好きの好奇心に油を注ぐのかもしれません。 かつてはさまざまな都市伝説も生み出したかつてはさまざまな都市伝説も生み出した メインストリートである1階と3階には、明るく間口の広い店舗が数多く入店しています。ただし、茶舗の「駿河園」(1階)や「明屋書店」(3階)をはじめ、当初から入店している個人店舗も数多く、時には店構えすらオープン時と変わっていないのには、驚かされるばかりです。 3階に入る「まんだらけ 本店」の様子(画像:写真AC) そして、NBWの個性、すなわち「限りなくカオスな異空間」が展開されるのは、それ以外のフロアです。まずは、開業時の姿を最も色濃く遺している地下1階。特に南寄りの階段やエスカレーターを降りた瞬間に広がる昭和の光景には、誰もが度肝を抜かれることでしょう。 大量の手書き値札が踊る下着屋、アメ横さながらな袋売りの乾物屋、8段積みのソフトクリーム屋、そして占いや大手宅配便の事務所など、まったく統一性がない店舗が入り乱れて、NBWらしいカオスが最も炸裂するフロアです。 なお、ネット上では地下2階まで店舗があるような記述も散見しますが、実際は地下1階まで。なぜそのような記述が生まれたのかは謎です。ただし地下2階と3階があるのは事実で、かつての館内空調のためのボイラーや配電室、事務所などがあります。 南寄りにある階下への階段が、地下1階の喧騒とは対照的にひっそりとして仄暗いことから、さまざまな都市伝説を生み出しました。 最も知られるのは、地下3階のボイラーの熱で、さらに下の階に大量のスズムシが繁殖し、夜な夜な大合唱している、というもの。それ以外にも、地下は5階まであり、地下鉄の駅があるとか、中野学校のスパイが現在も潜伏しているとか、果ては温泉が湧いてる、地底人が棲んでいる、巨大な遊園地があるなど、荒唐無稽な話がまことしやかに囁かれてきました。 それだけNBWという建物が、謎に満ちた印象を与えるのでしょう。なお、地下1階に釣り堀があったのは事実で、現在は大手宅急便の作業場として使われています。 2階は、他の階とはまた違ったオーラを放ち、訪れる者の時空感覚を狂わせわます。オープン当時からある「中野名曲堂」では、定期的に演歌ショーを開催。ド派手な電飾と等身大の演歌歌手のパネルが出迎える店内に、大量のカセットが並ぶ光景は、上野や浅草ならいざ知らず、東京左半分では、滅多にお目にかかれません。 サブカルの聖地と言われるようになった震源地「まんだらけ」が大量に入店するのも2階で、その数なんと16軒!他にもアニメ関連を始めとした趣味の専門店がいくつも軒を連ね、NBWで最もサブカル度の高いフロアですが、ここでも「Aライセンス」や「絵夢」など、オープン当初からの喫茶店が今でも営業しています。 NBWは類例がない商店街NBWは類例がない商店街 極め付きは4階です。もともとはクリニックや法律事務所などが入居していたフロアで、90年代頃までは人気(ひとけ)もなく、NBWの中で最も危険な場所と言われていました。現在は3階以下の店舗の事務所や倉庫として使われているスペースが多く、監視カメラも導入されて安全になったようです。 2階にある中野名曲堂は定期的に演歌の歌謡ショーを開催(画像:黒沢永紀) 特に、現代アーティスト・村上隆の事務所は、とても事務所とは思えない外観で見るものを圧倒します。飲み屋横丁のような入口やレトロなタバコ屋を施工した一角は、まるで昭和のテーマパークのよう。また、標本化されたグレイのディスプレイが並ぶまんだらけの事務所も、オレンジ色の室内とともに奇妙な異空間を作り出しています。 5階から上は居住者でないと入れないため、軽く触れる程度にしておきます。赤じゅうたんが廊下に敷かれた住居階は、一応高級マンションに分類され、入館セキュリティも当初から万全だったため、かつては沢田研二や岸部一徳、青島幸男をはじめとした著名人が数多く住んでいました。 また屋上は、ショッピングモールの猥雑さとは対照的なとても整然とした空中庭園で、噴水やゴルフ場、日本庭園、そしてプールなど、バブリーな施設が並ぶ様子は、高級マンションの面目躍如です。 中野育ちの筆者は、NBWに在住の友人も何人かいたので、子供の頃に何度かこのプールで遊びました。監視員のお兄さんが、昼飯をご馳走してくれた時は、さすが高級マンションのブロードウェイだな、と思ったものです。 以上、ざっとNBWの「個性的な特徴」を見てきましたが、その特徴を探れば探るほど、類例がないことに気がつきます。交通の便が良くて店舗の多い商店街は数多あるでしょう。また、リニューアルが成功している商店街もたくさんあると思います。しかし、ほぼ開館当初の姿をとどめるNBWは、わざわざリニューアルするまでもなく、そのままリアルな昭和のテーマパーク。 そして、増築を繰り返しながら唯一無二の姿になった九龍城のように、全フロアに密集する強烈な個性の店舗が、長い時間をかけて創り上げてきたパワフルなカオスこそ、最大の魅力だと感じます。時空感覚を狂わす予測不能な異次元体験、それが中野ブロードウェイなのです。
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