満たされた会社員生活は「上司からの評価」を気にしないことから始まる
世間への意識は「放て」…その心は? 職場の上司や同僚、また旧友や親など、「他人からの評価」は気になるものです。他人から言われた言葉が頭を離れなかったり、他人の目を気にして言動が縛られたりすることもあるでしょう。「人から認められたい」のは誰もが抱える欲求ですが、そのせいで本意ではない言動をとったり、縛られてしまうのは行き過ぎです。 とはいえ生きている限り逃げられない、他人からの評価。上手く付き合っていく方法について、哲学はどう考えるのか、知恵を借りてみましょう。 難しい人間関係を表したイメージ(画像:写真AC) 世間に認めてもらうために愛想を振りまき、自分の予定を変えてでも相手に合わせ、周囲に褒められるレールを歩む。そうやって常に世間を意識している人は、具体的に「そもそも世間って何だろう?」「どのコミュニティの、誰のことだろう?」と考えてみましょう。 同僚や上司、仲間や旧友、親や親戚など、多くの人がいると思います。それぞれひとりひとりに認められることは、ほんとうに可能でしょうか。 育ってきた環境、価値観や好みは十人十色です。また口では言っていることと、本音が違う人は多いもの。そのような世の中で誰にでも認められ、好かれるなんて無理な話。世間を「放て」というのが、曹洞宗の開祖・道元(1200~1253)です。 世間に縛られるのは「奴隷」の証拠?世間に縛られるのは「奴隷」の証拠?「世間を意識しないなんて怖い」とも思いますよね。はじめほど、恐怖心が勝つものです。しかし今のままでは、「世間ばかり気にし過ぎている」状態。世間を気にすればするほど、たくさんの人の期待に応えようとするほど、自分自身を見失ってしまいます。 「放てば手に満てり」という道元は、思いきって手放すからこそ、自然と満ちてくるものがあるといいます。こればかりは、経験者にしか分からない感覚でもあります。「そうは言っても怖い」と思う人は、まず小さなものから放ってみる挑戦をしてみましょう。 難しい人間関係を表したイメージ(画像:写真AC) 上司、先輩、取引先、権力者など、自分より上だと思う相手ほど、強く意識して合わせていませんか? 権力者に気に入られるため、こびへつらったり、自分の気持ちを押し殺す。その度合いが強くなれば強くなるほど、「奴隷そのものの心理」といえるでしょう。 奴隷の両親のもとに生まれ、小さな頃は自身も奴隷だった古代ギリシアのストア学派(ギリシャ哲学の一派)、エピクテトス(50~135年頃)。自ら奴隷だったからこそ、他人の評価に縛られるのは奴隷になっていることとと同じだといいます。他人を気にしてばかりいるのでなく、「自分自身にそう思われればよい」と説くのです。 他人に言動を縛られてしまうのは、他人の人生を生きているのも同じこと。肝心の中身がなく、自分を主人公として生きていません。そうやって他人の目ばかり気にして生きていても、充足感は感じられず、かといって誰も責任は取ってくれないのです。 逃れられないからこそ、付き合っていく練習を逃れられないからこそ、付き合っていく練習を 他人の意見ばかりを気にすると、自分の気持ちが分からなくなります。一度周囲の声から離れ、自分の本音と向き合ってみてみましょう。そして自分の気持ちを隅に追いやるのでなく、中心として大切にするのです。 これにはある程度、練習が必要です。どうしても「自分の気持ちは後回し」という癖がついている人が多いでしょう。定期的に自分の時間を作り、自分の気持ちを大切にしてみましょう。自分を取り戻すほど、奴隷ではなく、自分の人生を生きていると言えるでしょう。 難しい人間関係を表したイメージ(画像:写真AC) 生きている限り、他人からの評価から逃れることはできません。だからこそ「気にし過ぎない」「自分を大切にする」練習が必要になります。 「諦める」というのは仏教用語で、「明らかに見る」という意味です。「世間の実体」を明らかに見れば、全員に合わせるのは無理だとわかります。そういう意味での諦めも必要でしょう。 道元の言うように、世間への意識を放ってみる。エピクテトスのいうように、自分の気持ちを大切にしてみる。気にし過ぎてしまうときは、古の哲学者たちの言葉を参考に調整をとっていきましょう。
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