3月に閉店する新宿「タカノフルーツバー」、実はかつて男性客だけでは入店できなかった!
2021年3月31日(水)の閉店が発表された新宿の名所「タカノフルーツバー」。同店が最後までこだわった経営方針とは――フリーライターの本間めい子さんが解説します。男性は女性同伴がマストだった 新宿の名所「タカノフルーツバー」が2021年3月31日(水)で閉店することが発表され、長年のファンたちから驚きの声が上がっています。 新宿高野のウェブサイト(画像:新宿高野) タカノフルーツバーは、フルーツギフト専門店である新宿高野新宿本店(新宿区新宿3)の5階にあり、手頃な価格で季節のフルーツやそれらを使ったスイーツ、パスタなどを楽しめるスポットとして知られています。 そんなタカノフルーツバーですが、かつては男性にとって「ハードルの高いスポット」としても有名でした。 なぜなら、男性は女性同伴でなければ利用することができなかったから。ゆえに、店内は女性のみのグループか、男女のカップルのみ……チャンスに恵まれない男性は涙を飲んで撤退するしかありませんでした。一方、フルーツバーに入れた男性はそれだけで「勝ち組」になった気分を味わえたのです。 そのような歴史が長かったこともあり、じくじたる思いを抱えていた男性は多かったのですが、それも当然。タカノフルーツバーは、長らくカップルのデートスポットとしての歴史を育んで来たのです。 前身は100年前にスタート前身は100年前にスタート「果実問屋 高野商店」の看板を掲げた店が、新宿にオープンしたのは1900(明治33)年のこと。それ以前は繭仲買・中古道具の副業として果物を扱っていました。 現在の土地に店舗がやってきたのは、1921(大正10)年。このときにフルーツパーラーの前身である「縁台サービス」が始まっています。これが利用客にうけて、1926年には洋風建築の建物をつくり、フルーツパーラーができました。 フルーツバーの閉店を告げるウェブサイト(画像:新宿高野) 1923年に発生した関東大震災を契機に、東京の西部には住宅が増え、昭和初期は新宿が新たな繁華街として大発展した時代でした。 店はデートで欠かせないスポットとして発展。この頃は1階が小売りで、2階がフルーツパーラー。シャンデリアをしつらえた豪華な内装にもかかわらず、安くて盛りがよいと評判になりました。当時のデートのスタイルでは、映画や芝居を楽しんだ後に、まだ別れがたいカップルが憩う店として知られていたようです。 この頃の人気商品は、リンゴにミカン、桃、柿、スイカなどの果物が山盛りになった「フルーツコンサート」です。夏にはこれにシャーベットも添えられます。昭和初期の価格で20銭。1935(昭和10)年頃の米が1升30銭、コーヒーが1杯15銭でしたから、確かに安くて盛りがよかったのでしょう。それに加えて、カリー(40銭、チキン・エビが入ると50銭)などのメニューもそろっていたため、カップルが長く過ごすにはうってつけの場所でした。 「バイキング」を打ち出さなかったワケ さて、このフルーツコンサートはいわば時代の象徴ともいえる産物でした。今では「フルーツポンチ」という名称はレトロな響きがありますが、その始まりは1921年頃、銀座の千疋屋(せんびきや)だとされています。 フルーツポンチは日本で取れる果物を西洋風に飾り付けた盛り付けで、そのハイカラさが当時話題となりました。その後、神田須田町にあった万惣(まんそう)、そして新宿高野がその盛り合わせを競い合い、さらなる評判となったのです。 新宿高野が入るビル(画像:新宿高野) フルーツバーもまた、時代を繁栄して誕生した新たなスタイルでした。 タカノフルーツバーが始まったのは1987(昭和62)年のこと。人々の食への興味が高まるなかで、バイキング形式の料理店が東京のあちこちでオープンしました。タカノフルーツバーもそうした流れのなかで誕生したわけですが、他店と異なったのは、あくまで「バイキング」を打ち出さなかったことです。 バイキング形式を導入した大半の店舗は主な客層として20代以上の女性を想定していたことから、多くの量を食べないと見積もっていました。しかし、実際には10代の中高生も利用するようになり、女性客は皆想像以上に食べました。 その結果、バイキングには「質のよくないものを大量に提供する」といったようなイメージが次第と根付いていきました。 「本当においしいもの」を求めた経営方針「本当においしいもの」を求めた経営方針 対して、タカノフルーツバーは当初、ケーキバーやバイキングという言い方をせず、「高感度レストランの一部門」という方針を徹底していました。 さらに「中・高校生はともかく、二十代女性がバイキングケーキにこだわるのは腹いっぱい食べたいからではない。本当においしいものとの出合いを求めている」と考え、提供するケーキなどの質にもこだわりを欠かしませんでした(『流通サービス新聞』1991年4月19日付)。 長らくカップルの憩いの場として発展してきた歴史に裏打ちされたこの方針こそが、タカノフルーツバーを一般的なバイキングとはまったく異なるブランドへと押し上げたのです。 東京のカップルのイメージ(画像:写真AC) とりわけ男性にとって、タカノフルーツバーがデート時に一度は行ってみたいスポットとなったのは、単に女性同伴が必須だからではありません。ここに一緒に入ってくれる相手というのは、それだけ「心がつながっていること」を確認できる仲だったからです。 しかし、時代の流れとともにこのコンセプトも変わりました。2018年からは単独男性の入店も可能になり、「特別感」は失われました。現在では公式サイトにも「フルーツバー(バイキング)」という記述が見られます。 今回の閉店は新型コロナウイルスの流行との関連性が多く言及されているようですが、それだけでなく、時代の変化により特別感が失われたこともうかがえます。 誰もが思い出を持つタカノフルーツバーの閉店――このニュースを聞いて、多くの人たちが過去の甘酸っぱい恋愛体験を思い出しているはずです。 ああ、私たちの恋は清かった……と。
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