上京し、恋や死を見つめ続ける「あいみょん」が歌詞に「東京」を描かないワケ
人気若手シンガー・ソングライター、あいみょん。兵庫県西宮市から上京してきた彼女の書く歌詞には、「東京」の街を描いたものは決して多くないと、法政大学大学院政策創造研究科教授の増淵敏之さんが指摘します。それはなぜなのでしょうか。音楽的ルーツは浜田省吾と自認 若手シンガー・ソングライターのあいみょんは、もはや現在のJ-POPシーンに欠かせないアーティストのひとりでしょう。 彼女のメジャーデビューが2016年のことですから、すでに4年の月日が流れたことになります。彼女や米津玄師の活躍もあり、再びアイドルの時代からアーティストの時代への揺り返しがきたように筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)は思います。 音楽評論家の柴那典(しば とものり)氏は、「あいみょんは平成最後に浜田省吾を受け継いだ“J.GIRL”であり、ようやく登場したミスチルとスピッツの正統後継者説」を唱えています(「CINRA.NET」2019年6月12日付)。 あいみょんの2019年4月発売シングル「ハレノヒ」(画像:ワーナーミュージック・ジャパン) ここで挙げられた浜田省吾は昭和、平成、令和と長きに渡って、多くのアーティストに影響を与えてきました。 あいみょんはさまざまなメディアを通じて、音楽的ルーツは浜田省吾、スピッツ、吉田拓郎、河島英五、尾崎豊、フリッパーズ・ギター、平井堅などを挙げていますが、特徴的なのは彼女と同時代のアーティストではなく、かつ男性アーティストが大半を占めるという点です。 あいみょんと浜田省吾の共通点 さて、柴氏が言うところの浜田省吾とあいみょんの共通点はどこにあるのでしょう。 少なくとも時代は違えども、浜田が広島県呉市から上京してきたように、あいみょんも兵庫県西宮市から上京。同じ地方出身者ということになります。つまり東京との付き合いが上京後になる点で共通しています。 地方出身者が東京をどのように捉えているのかが、彼らの歌詞に見え隠れします。 「2016年社会保障・人口問題基本調査第8回人口移動調査」によると、東京生まれ東京育ちは、東京の人口の54.4%とのこと。つまり約4割強が地方出身者。ざっくり言えば、東京では東京出身者と地方出身者が拮抗(きっこう)しているといってもいいのかもしれません。 また東京へ移住してくる年齢層は20代前半が多いのですが、これは大学進学や就職に伴ってのことでしょう。前者でいえば現在、日本の大学生の約3割が東京に集まっているといわれています。また雇用先に恵まれない地方からすれば、東京は就活生の目指す場所にもなっています。 つまり東京は、地方出身者の存在なしに成立はしない都市だともいえるでしょう。 故郷から遠く離れた場所と母親故郷から遠く離れた場所と母親 浜田省吾は1976(昭和51)年のソロデビュー曲の「路地裏の少年」で、呉、東京、彼の通っていた神奈川大学のある横浜らしき場所を、やや抽象的な表現で描いています。 この楽曲が収録されているデビューアルバム「生まれたところを遠く離れて」の裏ジャケットは、まだ高層ビルが林立する前の西新宿の木造アパート街の風景の中にいる彼とひとりの女性の写真です。 あいみょんが強く影響を受けたと語る、浜田省吾のファーストアルバム「生まれたところを遠く離れて」(画像:浜田省吾公式ウェブサイト) あいみょんにとって1枚めとなるミニアルバムに収録された「夜行バス」には、夜行バスの片道約8時間の旅が描かれています。そして主人公はバスの中から母親にメールをします。そこには、ひとりの女性が夢を追うための苦しさが吐露されています。 おそらくバスの向かう先は東京。また浜田のアルバム「生まれたところを遠く離れて」に収録されている表題曲にも、車窓越しに見送る母親が登場します。 呉も、西宮も東京からは遠い場所にあります。そして故郷の象徴としての母親です。あいみょんも上京当時は東京に対して「故郷を遠く離れ」た場所という思いがあったのでしょうか。 楽しくゴージャスだけが東京か 浜田省吾の「東京」はシングル曲ですが、1980(昭和55)年に発売されたアルバム「Home Bound」に収録されてもいます。浜田本人によれば沢田研二「TOKIO」(作詞・糸井重里)へのアンサーソングだったとのこと。 この当時、浜田は貧富の差をテーマとして取り上げることも多かったのですが、その後、発売された尾崎豊の「17歳の地図」にも同曲「東京」は影響を与えているとみてもいいでしょう。 それぞれの東京という都市との向き合い方について、さらに見ていきましょう。 「東京」というタイトルの曲はあまたありますが、浜田の作品では冒頭に「プールサイドで寝そべる金持ち」と「真夏の街を仕事を探してさまよう人」が対比されます。 時に貧富の格差をテーマに取り上げる彼の視点や指摘は、バブル崩壊以降、そしてコロナ禍の2020年現在、あらためて正しかったように思われます。 これは彼が、東京で生活して以降の蓄積が育んだ視点なのかもしれません。 自殺現場に着想したデビュー曲自殺現場に着想したデビュー曲 また同曲では「高速道路の下で生まれて 地下鉄の上で死んでいく」という表現で、東京の人々がシリアスに歌われます。それは東京という都市の持つシニカルな側面といってもいいのかもしれません。 「TOKIO」で描かれるように楽しくゴージャスな側面を持つ東京ではありますが、しかしそれと同時に、東京は他にもさまざまな顔を持っています。 あいみょんのメジャーデビュー曲「生きていたんだよな」も、テレビドラマ「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」(テレビ東京系)の主題歌であり浜田の「東京」と違う視点から描かれたシリアスな都会の物語です。 若者を中心にファンを増やし続けている、あいみょん(画像:あいみょん公式ウェブサイト) 自殺の現場を見かけたというきっかけから、命という重いテーマを彼女が懸命に考えるさまが歌詞に反映されています。この歌詞には直接的な東京の街は出てきませんが、ドラマとの関連付けからも十分に想起されます。そしてこのデビュー曲は多くの同世代の人々の共感を呼びました。 浜田省吾が作品の中で、東京を具体的に描いている作品はそれほど多くはありません。あいみょんも同様です。 北千住駅が出てくる彼女のシングル曲「ハルノヒ」にしても、映画「クレヨンしんちゃん新婚旅行ハリケーン~失われたのひろし」の主題歌になったからのように思います。しんちゃんの両親、ひろしがみさえにプロポーズしたのが北千住ということはファンの間では有名なエピソードです。 彼女は「好きって言ってよ」で浅草・合羽橋、「どうせ死ぬなら」では大阪の太陽の塔との対比で、東京の象徴としてスタジオジブリを歌詞に登場させています。「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」では、今は無きジュリアナ東京、ザギンという若者言葉の銀座が出てきますが、全体で見れば、やはりそれほど多くはありません。 東京という都市からの「浮遊」東京という都市からの「浮遊」 浜田もあいみょんも東京には一定の愛情を持ちつつも、どこかに距離を置いて対峙(たいじ)する、つまりさめた目で東京の風景と向き合うスタンスが共通しているのではないでしょうか。 ボヘミアン(社会の規範にとらわれず、自由で放浪的な生活をする人)的というか、一種の東京という都市からの「浮遊感」も感じます。これはもしかするとやはり地方出身者に共通する傾向なのかもしれません。 以下の文芸評論家・川本三郎氏の記述が示唆的に思えます。 彼は自身の書評集『言葉のなかに風景が立ち上がる』で吉田修一氏の「ランドマーク」を取り上げ、九州から出てきた建設工事に携わる主人公の若者を、 「その街に現実に住んでいながら、一度も自分の街だと思ったことがない。故郷でないからというのではないだろう。おそらく故郷に対しても、もう自分の街だとは思えなくなっている。どこに住んでいても、自分の居場所がない。都市のなかを浮遊して生きていくしかない」 と評しています。 銀座や六本木だけではない、さまざまな風景が東京にはある(画像:写真AC) さてこれから、あいみょんはどのように独自のまなざしで東京を描いてくれるのでしょうか、とても楽しみです。生活のなかで生きることに懸命になると、その場である東京を客観的に見ることを忘れがちになります。 そういう意味でもあいみょんは大事なアーティストなのだと思います。私たちに忘れていたことを気づかせてくれる貴重な存在なのです。
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