AKB48誕生前後で激変した「秋葉原」 サトームセン・石丸電気は消え、最後に残ったものとは
いくつものミリオンヒット曲を持つ人気アイドルグループ「AKB48」。そんな彼女たちの楽曲の中で、東京・秋葉原の移り変わりを感じさせる“隠れた名曲”があるのをご存じでしょうか? チアライターの成田愛恵さんが、街の歴史とともに解説します。数々のヒット曲に埋もれて 秋葉原の地名を冠したアイドルグループ「AKB48」。 2021年5月には最後の1期生・峯岸みなみさんの卒業コンサートが開催。ともにユニット「ノースリーブス」を結成していた小嶋陽菜さんや高橋みなみさんをはじめ、大島優子さんや指原莉乃さんらレジェンドメンバーたちが多数出演し、話題になりました。 誰もが知っているアイドルグループに成長したAKB48。2010年10月4日撮影(画像:時事) AKB48と聞くと、皆さんはどんな曲を思い浮かべるでしょうか。 好きな人への抑えきれない思いを歌った『会いたかった』(2006年)や『大声ダイヤモンド』(2008年)。まぶしい太陽と笑顔が目の前に浮かぶ『ポニーテールとシュシュ』(2010年)に『真夏のSounds good!』(2012年)。 『ヘビーローテーション』(2010年)や『恋するフォーチュンクッキー』(2013年)といったダンスナンバーを聞くとついつい体が動いてしまう、なんて人もいるでしょう。 そんなAKB48の楽曲に、誕生の地・秋葉原そのものを舞台にした曲があるのはご存じでしょうか。 隠れた名曲『AKB48』の歌詞とは隠れた名曲『AKB48』の歌詞とは 2007(平成19)年発売のアルバムに収録されている、その名もずばり『AKB48』(秋元康作詞、渡辺未来作曲)は、電機とオタク文化が入り交じる秋葉原の景色、アイドルとして走り始めた彼女たちの決意を歌っています。 歌い出しから「愛しのAKIBAは 石丸・ソフマップ」と電機の街・秋葉原の世界に引き込むと、商業ビル「ラジオ会館」、メイド喫茶の老舗「@ホームカフェ」、AKB48劇場がある「ドンキホーテ」など、秋葉原を代表する店舗が続々登場。 2番では2005年8月に開業した「つくばエクスプレス」のフレーズで勢いに乗せてサビへとつなぎます。 サビで彼女たちはこう呼びかけます。 AKB48の活動開始と同じ年に開業した、つくばエクスプレス(画像:写真AC)<秋葉原48 私たちに 会いに来て 誰よりも 好きになって> <ここの場所で夢を追いかけるから 応援してね> オーディションを勝ち抜いて秋葉原に集まった20人(当時)の少女たちの熱意とあふれるパワー、“故郷”である秋葉原の地への愛が感じられる1曲です。 AKBの躍進とともに姿を変えた秋葉原AKBの躍進とともに姿を変えた秋葉原 電気街としての秋葉原の姿は、くしくも秋葉原が生んだAKB48によって塗り替えられていきます。 AKB48は2005(平成17)年にドン・キホーテ秋葉原内の常設劇場「AKB48劇場」で前田敦子さん、板野友美さんら1期生が公演を開始しました。初演時の客数はわずか7人。2006年に『会いたかった』でメジャーデビューすると、これまで劇場に行っていなかった層にも認知され一躍トップアイドルに。 「会いに行けるアイドル」の名の通り、AKB48劇場では連日、公演が行われている(画像:(C)Google) メジャーデビュー以降も劇場公演と握手会でファンと近い距離で交流を続けていることも話題になり、2007年にはNHK紅白歌合戦への初出場を果たします。 2009年から2018年に行われていた、ファンの投票で次期シングル曲のセンターを決めるイベント「AKB選抜総選挙」はテレビで生放送され、国民的イベントとまで呼ばれるようになりました。 AKB48が人気になるのとほぼ時を同じくして、秋葉原は電機の街からオタク文化の中心地「アキバ」へと変化していきます。 2000年初頭からできたメイド喫茶・メイドカフェや、コミックやフィギュアを扱う店も続々とオープン。2005年にはオタクが主人公のドラマ『電車男』がヒット。ユーキャン新語・流行語大賞2015トップ10には「萌(も)え~」(完全メイド宣言)がノミネートされました。 アイドルブームも巻き起こり、秋葉原に常設劇場を持つアイドルも次々に登場しました。 秋葉原から無くなったもの秋葉原から無くなったもの 新しく登場する文化の裏で、姿を消してしまったものもあります。 前述の曲『AKB48』の冒頭に出てくる「石丸」は、秋葉原電気街の象徴だった石丸電気のこと。1945(昭和20)年に石丸電気商会として創業後、秋葉原を中心に展開した家電量販店です。 JR秋葉原駅には、「電気街改札」という名称の改札口があるほど(画像:写真AC) しかし競争が激化すると郊外型の家電量販店の台頭もあり、業績不振に。2000年初頭にエディオンが完全子会社化すると、2012年には店舗の名称がエディオンに統一。旧石丸電気本店はエディオン秋葉原本店に名前を変更したのち、2013年に閉店してしまいます。 2番の歌詞に登場する「俺コン」はスズデンが展開していたラジオパーツや自作PCパーツなどを扱うショップ「俺コンハウス」。電気街に複数店舗ありましたが、アニメ・漫画文化の盛り上がりや、インターネット経由でのPCパーツ購入が増えたことなどから閉店。俺コンハウスの跡地には、まんだらけコンプレックスが建設されました。 ほかにも戦後の秋葉原で創業した「サトームセン」、自作PCパーツの老舗「ブレス」、ラジコンやミニカーなどを扱っていたホビーショップ「JUUJIYA」など、電気の街秋葉原の名物店が同曲にはいくつも歌われていました。 以前から秋葉原に足を運んでいた人がこの曲を聴けば、あの日の店のにぎわいや店内に入った瞬間の興奮を思い出すのではないでしょうか。 秋葉原からアキバ、そしてAKIBAへ秋葉原からアキバ、そしてAKIBAへ 戦後、焼け野原に商店が集まり人々が生活を取り戻していった秋葉原。ラジオやテレビの普及、復興と高度経済成長とともに電気の街へ。パソコンやゲーム機器などの最新デジタル製品発売にあわせて新商品に敏感なファンが集まる最新テクノロジーと熱狂の中心地になります。 その後アイドルやアニメといったオタクの聖地「アキバ」へと変化。作品は海外へ輸出され、コスプレをはじめ秋葉原が生んだポップ・カルチャーは海外からも人気に。訪日客に人気の観光地「AKIBA」になりました。 そして今、秋葉原はオフィス街の表情も見せつつあります。駅前には会議室を備えたオフィスビルが続々と建設。スーツ姿の会社員がせわしなく行き交い、春が近づくとリクルートスーツに身を包んだ就活生が緊張した面持ちで改札口を抜けていきます。 秋葉原のビル群と晴天(画像:写真AC) 秋葉原の変化は年々加速。その様子に寂しさを感じる世代もいるかもしれません。しかし色彩を変えてなお最新カルチャーの中心である秋葉原は、今も日本・東京が誇るべき文化都市のひとつといえるでしょう。 時にはブレーク前のAKB48の曲を聴きながら、かつての秋葉原に思いをはせてみるのはいかがでしょうか。
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