80年代の伝説ブランド「セーラーズ」が復活 世界的シンガーも夢中になった輝かしい歴史とは
ファンシーでガーリーなポップカルチャーの編集者として多くの著書を持つ竹村真奈さんが、ファンシーカルチャーにまつわるあれこれを掘り下げていきます。今回のテーマは、「セーラーズ」です。おニャン子もヒデキもとんねるずも愛したデザイン 80年代、昭和アイドル全盛期――。 サングラスにサテン地のハーレムスーツでギラギラしていた「竹の子族系」、聖子ちゃんヘアにレースやフリルのついたワンピースの「ぶりっ子系」、おさげやポニーテールに胸元に大きなリボンをつけたボレロスタイルが似合う「清純派系」、あえてのダークな色みと露出度高めの「セクシー系」などなど、アイドルファッションから目が離せませんでした。 80年代に大人気を博したセーラーズのファッション(画像:SAILORS) そこで、今回ご紹介したいのは、元気いっぱいの豊富なカラーバリエーションと、手が隠れるほどのビッグシルエット、スポーティーさも持ち合わせているのに、女の子が着るとめちゃくちゃかわいくなっちゃうファッションブランド「SAILORS」(以下、セーラーズ)です。 あまりの人気に「1日の入店は2000人まで」あまりの人気に「1日の入店は2000人まで」 おなじみの水兵さんのキャラクターは、オーナー兼デザイナーの三浦静加さんが世田谷区下北沢の古道具屋さんで偶然見つけた、50年以上も昔にアメリカ海軍の潜水艦のトイレにかけられていた看板だったそう。 そのイラストをもとに、三浦さんが現在の「セーラーくん」のイラストをデザインし、1979(昭和54)年に商標登録を提出したことが始まり。 オリジナル商品1号として販売したトレーナーも大好評! 女性誌『JJ』(光文社)に掲載されたり、人気スタイリストのクロさんがテレビ番組で「セーラーズ」を着用したりすると、共演していた西城秀樹さんをはじめ、とんねるずやシブがき隊などの人気アイドルたちの間に見る見る広まっていきました。 1984(昭和59)年に渋谷公園通りの路地裏にわずか9坪のお店をオープンすると、初日の開店前から1200人もの長蛇の列が! これにはさすがの三浦さんも驚いたそう。 連日、長蛇の列ができた渋谷公園通りのセーラーズ(画像:SAILORS) デザイナーは三浦さんただひとり。生地や刺しゅう・縫製にこだわり、1アイテムにつき同じデザインは2~3種類しか作らない徹底ぶりが「セーラーズ」最大の魅力。 オンラインなどもない時代、修学旅行生など遠方からのお客さんで毎日大にぎわい。そこで、「1日の入店は2000人まで」「15分で40人の入れ替え制」「15歳未満の方は保護者同伴」「お買い物はひとりにつき15万円まで」というルールまで作りました。 セーラーズを着たくて応募した女の子もセーラーズを着たくて応募した女の子も そんな目がくらむような忙しさでも、店頭に立ってレジ打ちや接客だって楽しんでやるのが三浦流。だからこそ、商品を手に入れることができた人は、自分だけ! という特別感があったのです。逆に、欲しくて仕方がなかったけど買えなかったと嘆く声もありました。 当時の楽曲がリバイバル発売されるほど、今も人気のおニャン子クラブ(画像:ポニーキャニオン) そして、バラエティー番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)放送開始から間もなくして番組からの依頼で、おニャン子クラブの衣装として「セーラーズ」が大抜てき。 メンバー全員分の衣装を、ひとりひとり違うデザイン(コーディネイト)で作り、限られた予算の中で定期的に衣装チェンジしていくという、やりがいはあるけど、素人目線で想像しただけでもなかなかハードなお仕事。 「ザ・スカウト アイドルを探せ!」というコーナーに合格するとおニャン子クラブのメンバーになれるというもので、結果的に「セーラーズ」の衣装が着たくて応募してきた女子高生もたくさんいたそうです。そして、おニャン子クラブのファンの間でももちろん「セーラーズ」は憧れの的となりました。 マイケル・ジャクソンから直々の指名マイケル・ジャクソンから直々の指名 これだけでもかなりのシンデレラストーリー的展開なのですが、「セーラーズ伝説」はこれでは終わりません。 1987(昭和62)年、日本の幼児が巻き込まれた事件に心を痛めたマイケル・ジャクソンが犯人逮捕に協力したいと申し出たことに始まり、来日コンサートのスタッフが「日本の若者に人気のある『セーラーズ』を着用して犯人探しを訴えかけてはどうだろう」と提案し、オリジナルジャンパーの制作を依頼してきたというのです。 マイケル・ジャクソンなど、ビッグスターからも愛されたSAILORSと三浦さん(画像:SAILORS) 納期は3日。革製品やウール製品は禁止といった条件のなか、引き受けることを決意した三浦さん。一度は断ろうとも思ったそうです……いやいや、マイケルからの依頼を断れるわけがない! と思いますよね? しかし、テレビや映画を見る時間がないくらい忙しい毎日を送っていた三浦さんはあのマイケルの存在すら知らなかったのです。 周囲のスタッフからの後押しや業者さんの協力があって引き受けることを決意し、以降マイケルが来日するたびに会うほど長きにわたって交流する関係になったというから驚きです。 そしてマイケルのみならず、スティーヴィー・ワンダー、ホイットニーヒューストン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、マイク・タイソンなどなど、超ビッグスターたちから熱いラブコールを受けるブランドへとさらなる成長を遂げていったのです。 突然の閉店……そして、待ち望んでいた復活突然の閉店……そして、待ち望んでいた復活 おニャン子クラブ全員分の衣装制作に、納期3日というマイケルからの依頼など、厳しい条件を三浦さんは自分のこだわりを一切変えず次々と乗り越え、「セーラーズ伝説」を更新し続けていきました。 しかし、長女を出産した翌年の2000(平成12)年に突然の閉店。その理由は、まな娘であるセーラーちゃんが脳性まひと診断されたからです。 「セーラーズ」誕生から、テレビや映画を見る暇もないくらい無我夢中に駆け抜けた三浦さんは次のステージへ上がるかのように、なんのためらいも迷いもなく、まな娘のために人生をささげることを決断したそうです。 目まぐるしく動いていた「セーラーズ」の時間はピタッと止まってしまったかのようでした。 2019年7月に発行された『SAILORS SHOULDER BAG BOOK』の表紙(画像:宝島社) 人気絶頂期には年商28億の売り上げを記録した、時代を象徴するブランドとして、どのジャンルにも属さぬまま、わが道を行くスタイルで昭和を駆け抜けた「セーラーズ」が残した軌跡はあまりに偉大。根強いファンは多く、復活を求める声が三浦さんのもとへ届きました。 そして、2014年にはラフォーレ原宿(渋谷区神宮前)で期間限定のポップアップショップとして復活。2019年には当時の型やデザインを再現した復刻ショルダーバッグつきブランドムック『SAILORS SHOULDER BAG BOOK』(宝島社)を発売。 同年、SPINNS原宿竹下通り店(渋谷区神宮前)と公式通販にて期間限定ショップをオープンするなど、じわりじわりと復活の兆しを見せているのです! いつも新しいものに目を向け、動き続けている三浦さん。時間が止まっていたのは私たちでした。これからも「セーラーズ」は永遠不滅です! 参考文献:竹村真奈『’80s ガールズファッションブック』(グラフィック社)、2020年4月
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