今やカフェの定番 「エスプレッソ」はいつから日本人に飲まれるようになったのか
1996年、スターバックス到来 今や全国どこでも見かけるコーヒーチェーンのスターバックスコーヒー。店舗数は、なんと1553店舗(2020年3月末現在)もあり、日本最大の規模となっています。 ちなみに、ドトールコーヒーは1094店舗(同年4月末現在)、都内で増えてきたコメダ珈琲店は873店舗(同年2月末現在)、タリーズコーヒーは741店舗(2019年11月末)となっています。 エスプレッソを作るイメージ(画像:写真AC) 1971(昭和46)年にアメリカのシアトルでスタートしたスターバックスですが、日本の1号店は1996(平成8)年8月に銀座でオープンした銀座松屋通り店(中央区銀座)です。 スターバックスの到来は、従来の喫茶店にかわって主流になりつつあったコーヒーチェーンの常識を塗り替えるものでした。 普及に時間がかかったエスプレッソ 当時のコーヒーチェーンは、一杯160~180円程度。それに対してスターバックスは250円からで、コーヒーのサイズもボリュームたっぷり。店の雰囲気も、それまでの日本にはないスタイルでした。 またトレーニングを受けた「バリスタ」と呼ばれる専門家がエスプレッソ(コーヒー粉に高圧蒸気を通して入れた濃いコーヒー)をメインに、アレンジを施したコーヒーを入れるというではありませんか。 そう、ここから日本にはバリスタという言葉が定着し、エスプレッソが普及していくことになったといえます。 海外のバリスタのイメージ(画像:写真AC) 今ではメニューに加えている店も多いエスプレッソですが、日本での普及は結構な時間がかかっています。 なぜなら日本では、「コーヒーとはブラックで飲むもの」という固定観念を長らく持っていた人が多かったからです。入れたとしても砂糖だけ、といった状況でした。 ちなみに「何も入れずに飲むのがおいしい」という人と、砂糖をドバドバ入れる「甘くなければコーヒーではない」と人という、ふたつの「派閥」がありました。 しかし本場イタリアではエスプレッソに砂糖を入れるのは常識で、クリームなどを混ぜたバリエーションも多数あったのですが、残念ながらそれらも当時普及していませんでした。 先駆けた味の素先駆けた味の素 そんな日本でも、古くからエスプレッソの存在は知られていました。 UCCカフェプラザでは1987(昭和62)年、エスプレッソが既にメニューに入っています。価格も150円となかなかお得な価格です。 前述のように、イタリアはエスプレッソに砂糖を入れて楽しむわけですが、日本は「この苦みがおいしい」といった調子で徐々に人気が出てきます。 エスプレッソを作るイメージ(画像:写真AC) ここで最初に普及に乗り出したのは、味の素(中央区京橋)。1988年1月に「TRAD」のブランド名でエスプレッソを缶コーヒーで発売します。 当時の記事はエスプレッソを、 「長時間ばいせんした豆を素早く抽出したもので、濃厚でほろ苦い味がする」(『読売新聞』1988年1月3日付)。 と解説しています。 今では当たり前となったエスプレッソですが、当時はそのくらい解説しないと知らない人が多かったわけです。 「TRAD」はヒット商品になり、翌1989年1月には、味の素ゼネラルフーヅ(現・味の素AGF)から「AGF プライムコレクション エスプレッソ」が発売されています。これは、今も販売されているエスプレッソタイプのインスタントコーヒーの元祖です。 ヒットしたエスプレッソメーカー 当時、イタリア料理店が増えていたこともあり、「イタリアでは脂っこい料理を食べた後で、濃いエスプレッソを飲むんでさっぱりする」という知識がまことしやかに伝えられていました。 そこに濃いコーヒーを求める需要が相まって、エスプレッソは人気になっていったわけです。 原料となるコーヒー豆のイメージ(画像:写真AC) 都内の東急ハンズは、1990(平成2)年に早くもエスプレッソメーカーを販売。月に100個あまり売れる人気商品になりました。 こうして徐々にエスプレッソに親しむ人が増え、「単に量が少なくて、苦くて濃いだけじゃない」と疑問に思う人たちが増えたところにやってきたのが、スターバックスだったわけです。 底に残った砂糖をなめる人も底に残った砂糖をなめる人も ちょうどその頃、フジテレビで放送されていた人気番組『ワーズワースの冒険』(1994年4月~1997年3月)で、エスプレッソを番組テーマにした回がありました。 『ワーズワースの冒険』は「スノッブ(俗物)」という言葉が見事に似合うオシャレ指向の番組で、ここで「イタリア人は朝食を、砂糖をたっぷり入れたエスプレッソで済ませる人もいる」という新たな知識を持つ人も増えました。 これ以降、エスプレッソを飲むときに砂糖をたくさん入れて、最後に底に残った砂糖をスプーンでなめながら、「これが本場だ」という雰囲気も出てきました。いずれにせよ1990年代後半から、コーヒーには無数のバリエーションがあることが知られたというわけです。 「ブルーボトルコーヒー 清澄白河フラッグシップカフェ」の外観(画像:(C)Google) その後、サードウエーブコーヒーという新たな流れが日本に上陸し、江東区の清澄白河周辺に人があふれるようになりました。 次は、どのようなコーヒーが東京に現れるのでしょうか。
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