今やお口の定番「のどあめ」 普及の発端は首都圏「駅の売店」だった
激減する都内の喫煙所 2020年10月からたばこが値上げされ、主要銘柄はついに500円台へ突入しました。 欧米は日本円で一箱1000円以上という国も多いため、価格が高いとはまだまだ言えませんが、「これを機会に止めよう」という人も少なくないことでしょう(ちなみにロシアだけは日本よりも価格が安いです)。 喫煙所は都内の繁華街でも激減中。その結果、灰皿を置いているたばこ販売店に人が集まりすぎて問題化。灰皿がなくなり、さらに喫煙所が減るという、愛煙家は真っ青になりそうなスパイラルが起きています。 たばこは長らく紳士のたしなみであり、コミュニケーションツールでした。話のきっかけに「まあ、一服」とたばこを差し出すのが、会話のテクニックだった時代もあります。 「男が甘いものなんて」という風潮 そんなたばこが嗜好(しこう)品としての価値を落としていったのは、言うまでもなく「健康志向の高まり」で、日本では1980年代に入ってからのことでした。 当時の日本は現在と異なり、街角でたばこを吸っていてもとがめられることはありませんでしたし、ポイ捨ても当たり前の時代。それにもかかわらず喫煙者が減っていったのは、「吸い過ぎると健康を害する」と考える人が自然と増えていったのでしょう。 でも、たばこを止めると口が寂しい――そんな人たちに人気を得たのが、ガムとあめです。 のどあめのイメージ(画像:写真AC) それまであめは、あくまでお菓子。現在よりも「男らしさ」が求められた当時、「男が甘いものを買うなんて」という風潮がまだありました。そんな時代で「たばこの代わりにあめ」ですから、価値観がかなり衝撃的に変化したとも言えます。 菓子としてののどあめが大流行菓子としてののどあめが大流行 そんな時代に売り上げを伸ばしたあめが、のどあめでした。 のどあめは元々、せきやたん、炎症の痛みや不快感を癒やすためのもので、薬局や薬店で売っていました(現在でも、浅田飴のように医薬品や医薬部外品として効能を明記しているものもあります)。 こうした製品とは異なり、菓子扱いでその効能をうたうことはできないものの、販売の制約のないのどあめが1980年代初頭から著しく普及し始めたのです。 菓子としてののどあめは、1972(昭和47)年に山之内製薬(現・アステラス製薬)がスイスから輸入販売を始めた「ハーブキャンディー」が始まりです。それらが禁煙者の嗜好品として、にわかに人気を集めるようになりました。 それからというものの、特に首都圏の駅の売店ではサラリーマン男性がたばこの代わりにお菓子を買う姿が徐々に増えていきました。1980年代によく売れていたのは、 ・チューインガム ・あめ ・酢こんぶ などです。 駅の売店のイメージ(画像:写真AC) そうしたなか、複数の企業が参入したのがのどあめでした。1986(昭和61)年10月にロッテは、都市部で限定販売していたのどあめの好調を受けて全国展開を始めました。 キャンディー市場を底上げキャンディー市場を底上げ 1989(平成元)年、キャンディー市場は前年度比8%の伸びを見せますが、のどあめに限ると15%もの伸びとなりました。 市場拡大のイメージ(画像:写真AC) 禁煙と健康志向が広まったことで、のどがスッキリして身体に良い感じがするのどあめは、消費者のニーズをがっちりと掴みます。その勢いたるや、「商品名に『のど』を付ければ、ある程度の売り上げが取れる」と言われるほどでした(『朝日新聞』1991年2月23日付夕刊)。 この頃の各社商品のラインアップを見ると、ロッテはカリンエキス入りのどあめ、カンロはユーカリエキス入りのどあめ、不二屋はキンカン風味ののどあめと、それぞれに工夫を凝らした商品展開していたことがわかります。 なお味覚糖は風邪薬メーカーの龍角散と提携し、龍角散のどあめを売り出しています。 関連製品のマーケットも開拓 首都圏の駅の売店で気軽に買えるのどあめの攻勢に対して、医薬品としてののどあめも負けてはいませんでした。 昭和の駅のイメージ(画像:写真AC) 前述の浅田飴は女優の南野陽子さんを起用し、「あなたはまだ気づかないの薬なのよ」という広告を展開し、存在感を高めました。 この各社の競争を経て、気軽にのどをスッキリさせてくれる冬の必需品であるのどあめは都会の生活に欠かせないものとして定着していくことになったのです。 また、この「のどをスッキリさせたい」という消費者のニーズに応じる形で、他の製品も進歩し始めました。 スプレータイプや塗るタイプののど薬の種類が増えたのも、この頃からです。 小林製薬が綿棒で塗るタイプの「のどぬーる」を発売したのは1989年。翌年には興和がスプレータイプの「フィニッシュコーワ」を発売します。 当初はそれほど売り上げを期待していなかったといいますが、2月にテレビコマーシャルを始めたところ、瞬く間に売り切れが続出することに。その人気たるや、生産が追いつかないためコマーシャルを一週間で打ち切るほどでした。 こうして、たばこの存在感はわずか10年ほどの間に減少し、のどをすっきりさせたい人は増加したのでした。 現在では「たばこ焼けした声」という表現も耳にしなくなりました。社会の禁煙化は、もう常識ということなのかもしれません。
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