江戸川区をよ~く見ると「島みたいな形」になっているのはなぜか【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(7)
まさに浮いているような地形 地図で見ると江戸川区は、ほとんど島のように見えます。江戸川に荒川、中川などの河川が南北に流れて、まさに浮いているようです。 実際に、島もあります。旧江戸川にある妙見島(みょうけんじま。江戸川区東葛西)は、本当に島です。 湾岸には埋め立てによってできた島のような土地はいくつもありますが、この妙見島は23区で唯一の自然の島。島の土地はほとんど工場が占めていますが、街歩きで尋ねる人も多いスポットです。 河川に囲まれ、まるで島のような形をしている江戸川区。そこには水害との闘いの歴史があった(画像:(C)Google) そんな妙見島のみならず、区域の全てが水に囲まれているとして注目を集めたのは2019年のことです。同年10月に関東一円に多大な被害をもたらした台風19号。3連休を直撃した大型台風は、上陸前から被害に備える人が東京都内でも目立ちました。 ハザードマップが話題に そんな中で脚光を浴びたのが、同年5月に改定したばかりの江戸川区の水害ハザードマップです。 区内の全世帯に配布するとともに、ハザードマップの過激な言葉がインターネット上で話題になりました。 表紙には江戸川区の全域が水に浸かっているイメージ画像が描かれ、その中心である江戸川区の部分には「ここにいてはダメです」と書かれていたのです。 江戸川区水害ハザードマップ(画像:江戸川区) 中身も文面は過激です。「区のほとんどが水没」「より安全な区外へ」となどという言葉が並びます。つまり、水害になったら江戸川区は危険なので、さっさと区外に逃げるように呼び掛けるというものだったのです。 通例、ハザードマップというのは「この地域はこんな被害が出るから備えを」とか、避難所をアドバイスするものなのですが、江戸川区は最初からどうあがいても絶望的だから早く逃げるようにと呼び掛けていたのです。 ここまで江戸川区が思い切った過激な文面を並べるのは、区が川の中に浮く島状になるに至った、水との闘いの歴史があります。 次々と襲い来る「大水害」の歴史次々と襲い来る「大水害」の歴史 もともと江戸川区は、江戸川の河口域に広がるデルタ地帯です。江戸川からもたらされる肥沃(ひよく)な土は古来より農村を栄えさせましたが、同時に海抜の低い土地には洪水が絶えませんでした。 1910(明治43)年8月に発生した「明治43年の大水害」では、荒川が氾濫し東京東部の下町は大きな被害を受けます。 この水害を契機として荒川放水路の建設が始まるわけですが、現在の江戸川区のエリアでは多くの地域が放水路の建設予定地となります。まだ農村が多かった地域にも関わらず、立ち退きは1000世帯を超えるもので、当時の船堀村や小松川村が廃止されるなど行政区分も変わるほどでした。 過去の水害をへて、堤防とともに整備された大島小松川公園(画像:(C)Google) こうして、まず、江戸川区(同区誕生は1932年)の土地は荒川と江戸川に分断された土地となります。さらに、江戸川放水路(現在の江戸川と呼ばれている川)と中川放水路(同じく、現在の中川)も完成し、江戸川区の「島化」は進みます。 こうした治水事業で水害の危険はなくなるかと思いきや、さらなる水の危険が迫ります。 農村地帯である一方、工場も増加していた湾岸部では、工場用水として地下水のくみ上げが盛んに行われていました。 その結果、ただでさえ海抜の低い土地で地盤沈下が進み、現在の7割がゼロメートル地帯という状況が生まれます。この地盤沈下、海沿いでは178haもの土地が水没したというから、とてつもなく規模の大きいものです。 「長靴」が住民の必須アイテムに「長靴」が住民の必須アイテムに それまでも、江戸川区は河川が決壊しなくても大雨で水がはけずに浸水したり、高潮が起きたりと、とにかく水に弱い町でした。そこにゼロメートル地帯が広がったことで、さらに事態は悪化します。 1947(昭和22)年9月のカスリーン台風では、区のほとんど全てが水没するという、前述のハザードマップで記されている警告が現実に起きたものです。 1947年9月に発生したカスリーン台風による浸水被害を伝える当時の写真(画像:江戸川区) そこまでいかなくても、雨が降れば道が水浸しになるのは当たり前。住人は常に長靴が欠かせないという、住むことすら困難な状況がありました。そして、洪水となれば土手の上やJR総武線の線路に避難した人がひしめき合う様子が何度も見られました。 キティ台風で決壊した堤防は5000m そんな江戸川区の治水が本格化したのは、1949(昭和24)年のキティ台風の後でした。 キティ台風が、江戸川区に隣接する千葉県浦安市を襲った様子(画像:浦安市) 江戸川区は、カスリーン台風に続いて大きな被害を受けます。中川の堤防が決壊して水が流れ込み、さらに台風の上陸と満潮が重なったことで高潮も発生し、海岸の堤防も決壊。ゼロメートル地帯ゆえに、一部地域では洪水の水位と中川の水位が同じになって水が引かないという被害も起こります。 このとき決壊した堤防の総延長は5000mにも及んだといいますから、信じられない被害です。 これを受けて、戦前に計画されるも中断していた葛西海岸堤防と新中川放水路(現在の新中川)の建設が着工されます。この新中川放水路の完成によって、現在の島状の江戸川区が完成したわけです。 その後、葛西海岸堤防から海側へと埋め立て地が拡大したことで「島」の面積は増えていっていると言えます。 水害の危険は江戸川区に限らない水害の危険は江戸川区に限らない 2019年の台風19号では、江戸川区は過激なハザードマップが話題になる一方で、人命に関わるような被害は出ませんでした。これは江戸川区のみならず流域全体で治水工事が進んでいるからという側面があります。 ただ、これはあくまで偶然のことに過ぎません。江戸川区のハザードマップに記されている通り、関東地方に降った雨の大半は荒川や江戸川へと流れてきます。さらに、低地が多いことから、降った雨が下水で処理できずにあふれる「内水氾濫(はんらん)」の危険もゼロではありません。 江戸川区の水害ハザードマップ。「江戸川区のほとんどが水没」など想定される被害を率直に伝えている(画像:江戸川区) 江戸川区住民はこうした土地の持つ危険性を熟知しているのか、2019年も早々と区外に避難する人が多かったようです。 しかし、東京で危険なのは何も江戸川区だけではありません。湾岸地域ではタワーマンションが増えていますが、こうした地域も歩いて見るとあちこちに水門があったりします。 首都ゆえ充実した治水対策が行われているものの、海に近い地域は高潮の被害がゼロではないのが実情です。 東日本大震災以降、地震に対する備えは当たり前になりましたが、水害などあらゆる災害に備えてこそ、安心した東京生活を送ることができるのではないでしょうか。
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