CMロケ地や灯台も!幕末志士も行き交った品川宿の面影を探して
新幹線にも羽田空港にもアクセス抜群の品川。今も進化を続けるエリアが実は、江戸時代から宿場町としても栄えていました。今もその面影を感じられるスポットを、旅行ジャーナリストのシカマアキさんが解説します。品川は、東京都心における交通の要所。東海道新幹線の品川駅があるほか、東京国際空港(羽田空港)へも電車1本で行くことができます。他にも在来線の多くが発着するほか、近年は高輪ゲートウェイ駅も開業。今も進化を続けるエリアです。 旧東海道 品川宿のあたり(画像:photoAC)この品川が交通の要所となったのは、江戸時代にさかのぼります。特に、旧東海道の沿道には今も社寺などが並び、宿場町の面影が感じられる場所も。 今回は江戸時代から明治初期にかけての幕末を中心とした品川駅からほど近いおすすめスポットを紹介します。 東海道で最初の宿場である品川宿、CMで人気のスポットも江戸時代に栄えた宿場町の雰囲気が最も感じられるのは、京浜急行線「北品川」駅から「青物横丁」駅にかけての旧東海道です。品川には江戸時代、日本橋を起点とする「東海道」五十三次で最初の宿場「品川宿」ができました。 安藤広重『東海道五拾三次』品川 日之出(国立国会図書館デジタルコレクションより)旧東海道から北馬場通りを抜けたあたりに「虚空蔵横丁(こくぞうよこちょう)」があります。品川宿にあった横丁の名残である赤レンガ塀が見られます。虚空蔵は、横丁の近くにある西安元年(1299年)創建と伝わる「養願寺」の本尊、虚空蔵菩薩にちなんだ名称。 赤レンガ塀はCMのロケ地に使われることも。 実は品川の歴史はさらに古く、その地名は平安時代からあったとされています。鎌倉時代には江戸湾に面した港として、大いに栄えました。 かつて「品川浦」と呼ばれ、江戸海苔の主要産地でした。現在は屋形船や釣り船が並ぶ「船溜まり」となっている場所が、昔ながらの港町らしさを残していると言えるでしょう。 幕末志士たちが歴史を作った重要拠点が品川にあった京浜急行線「北品川」駅から徒歩5分ほどのところに「土蔵相模(どぞうさがみ)跡」の木札があります。かつて旧東海道に面した飯売旅籠屋「相模屋」があり、外装が土蔵造りだったことにちなんだ名称。実はここが幕末に、数々の歴史の舞台となりました。 旧東海道「土蔵相模跡」に残る木札(画像:シカマアキ)長州藩の高杉晋作や伊藤博文ら幕末志士たちが集い、連日ここで密談が行われました。そして、文久2年(1862年)の英国公使館焼き討ち事件の時に長州藩士らがここから出発して行きました。当時の英国公使館は高輪に今もある「東禅寺」に置かれていました。 また、安政7年(1860年)の桜田門外の変の舞台にも。 襲撃の中心だった水戸藩を脱藩した17名の浪士たちが、襲撃前夜にここで決別の宴を催した場所でもあります。襲撃後、浪士たちは自刃、斬首刑などとなりました。 現在は、当時の建物はもうありません。マンションとなり、木札だけが残されています。 明治天皇が東京行幸で立ち寄った場所は市民の公園に東海道で最初の宿場町だった品川宿の本陣は、現在の「聖蹟公園」にありました。聖蹟公園という名称は、明治元年(1868年)に明治天皇が東京へ行幸した際に「行在所」(天皇がお出ましになった際の仮御殿)になったことにちなみます。 聖蹟公園に残る本陣跡(画像:シカマアキ)本陣は、大名や勅使たちが宿泊、休息するための旅宿でした。江戸前期は北品川宿と南品川宿、江戸中期以降は北品川宿のみに。現在の本陣跡は明和8年(1771年)からここにあった宿です。 明治5年(1872年)、全国的に宿駅制度が廃止。本陣跡は警視庁品川病院となりました。公園として整備されたのは、昭和13年(1938年)のこと。現在は公園内にいくつかの記念碑が設置されています。 旧東海道品川宿のことをより知るなら、北品川商店街にある「品川宿交流館」がおすすめ。旧東海道品川宿をはじめ、品川区にある他の観光スポット、お土産、天気予報などの情報収集が可能です。 幕末に海外からの江戸防衛で作られた台場と灯台の跡品川区立台場小学校の敷地にポツンと佇む、白い灯台。これは、江戸時代末期、ペリー来航後に江戸防衛のために築かれた「品川台場」の1つ、御殿山下砲台です。 台場小学校の入口に残る品川台場と品川灯台のレプリカ(画像:シカマアキ)当時ここに五稜形の砲台があり、154門もの大砲が配備されました。他の台場が海上に作られたのに対し、この御殿山下砲台は品川海岸から陸続きの場所に築造されました。 現在、同小学校の校庭にあるのは品川灯台のレプリカです。なお、品川灯台の実物は国重要文化財指定で、愛知県犬山市の明治村に移築されました。 品川の地名由来の地と海外姉妹都市との縁、実は…京浜急行線「青物横丁」駅に近い「品川寺」は、品川区で最も古いお寺。真言宗醍醐派の別格本山で、大同年間(806~10)開創と伝わります。実は品川寺は「ほんせんじ」と読み、品川の地名の由来となった由緒ある寺です。 寺内の鐘楼に、大梵鐘があります。これは「洋行帰りの鐘」として知られます。慶応3年(1867年)のフランス・パリ万国博覧会に出品された後、一時行方不明に。その約60年後にスイスのジュネーブで見つかり、品川寺に戻った逸話もあります。その縁もあり、品川区とジュネーブは平成3年(1991年)以来、姉妹都市となっています。 北品川商店街の夕方(画像:photoAC)旧東海道品川宿の周辺には、幕末などのスポットが今も点在しています。ちょっと散歩がてら、訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。
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