今や面影なし 神田神保町近く「九段下ビル」の淡き思い出
関東大震災後に建てられたビルが数年前まで、神保町にありました。名前は「九段下ビル」。そのビルの変遷について、フリーライターの下関マグロさんが解説します。関東大震災後に建てられたビル 1980年代半ば、筆者(下関マグロ。フリーライター)は神田神保町にある編集プロダクションで働いていました。編集プロダクションがあったのは、専大前交差点からすぐのビル。九段下の駅から出社していたのですが、「俎(まないた)橋」という橋を渡ったところにえらく古いビルがありました。 蚊帳のようなもので全体が覆われていた、在りし日の九段下ビル。2007年11月撮影(画像:下関マグロ) 会社の先輩にビルのことを聞いてみると、「ああ、九段下ビルね。(1923年に発生した)関東大震災の後に建てられたビルなんだけど、戦災に遭わずに残っているんだよ」と教えてくれました。さらに先輩は関東大震災で多くの建物が火災で消失したため、その教訓で九段下ビルのような鉄筋コンクリートの耐火ビルが建てられたのだとも教えてくれました。そういえば当時は、まだ古いビルがあちらこちらに残っていました。 先輩からそんな話を聞いたあと、筆者は何度か九段下ビルの中に入ったことがあります。雑居ビルで1階の入ってすぐのところに郵便ポストが並んでいたのですが、それを眺めながらどんな会社が入居しているのか見たりしていました。 1980年代の時点でも都内では珍しい古さでした。そしてずいぶん時は流れて筆者は2007(平成19)年11月22日、九段下ビルを撮影しました。 ビルの1階にあった喫茶店 筆者はこの日、「懐かしい喫茶店を探して、神田神保町から早稲田まで歩く」という散歩記事を書くために神田神保町をスタートしました。靖国通りを市ヶ谷方向へ歩くと、見慣れた九段下ビルが見えてきました。 しかし、全体に蚊帳のようなものがかけられていたのです。これは老朽化した外壁が落下するのを防ぐのにカバーされていたのです。ビルの1階にあった喫茶店も撮影しています。 ごく普通に営業していた九段下の喫茶店(画像:下関マグロ) この日取材をしているテーマが懐かしい喫茶店なので、ビルの1階にあった喫茶店も何枚か撮っています。この日は入りませんでしたが、食事メニューが充実しており、筆者も何度か利用したことがあります。お昼時はいつも近隣のサラリーマンやOLたちでいっぱいでした。 しかし元気に営業しているお店ばかりではなく、店を閉じてしまったところもありました。看板が取り外され、空っぽになった食品サンプルケースなどを見るにつけ、さびしさい気分になりました。 ビルの跡地に向かうと……ビルの跡地に向かうと…… 渋い感じのたたずまいだった九段下ビルにカバーがかかり、日が経つにつれてなんとなくお化けビルみたいなイメージになっていきました。 そして2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災が決定打となり、解体されることに。しばらくして前を通ったら更地になっていました。それを見たとき、「九段下ビルってこんな狭い敷地に建っていたんだ」と意外な印象を受けました。 雑草が生い茂っている九段下ビルの跡地。2017年7月5日撮影(画像:下関マグロ) 2017年7月、ふと「九段下ビルの跡地には何が建ったのだろうか」と思い、九段下まで行ってみました。九段下ビルの跡地には、雑草が生い茂っていました。その後、何度かこの空き地を見ましたが、雑草の背はどんどん高くなっていくばかりでした。 今回この原稿を書くために、筆者は再びビルの跡地へと向かいました。たどり着く前、地下鉄の階段をあがると、答えはありました。 俎橋の手前からカメラを向けると、跡地には高いビルが建設中でした。ビルの下まで行ってみると、専修大学の「靖国通り神田新校舎」という建物のようで、完成予定は2020年春とのこと。 もはや九段下ビルの面影はまったくありません。こうして街は変わっていくのですね。2020年春、またこの場所に行ってカメラを向けてみます。
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