SNSで誹謗中傷してる人に伝えたい 日本にうっすら根付く「性善説」を取り戻そう
SNSなどネット上での誹謗中傷が社会問題として注目される日本。しかし日本は本来、「性善説」に基づいて成り立っている社会だと、ライターの鳴海汐さんは指摘します。こんな時代だからこそ、あらためて一緒に考えてみませんか。コロナ禍を国民の努力で乗り切った日本 新型コロナウイルス感染拡大による「緊急事態宣言」が発令された頃、ニュースで頻繁に見聞きした言葉のひとつに「性善説」がありました。 ロックダウン(都市封鎖)が行われた欧米、同じアジアの中国や韓国、台湾などと違い、日本には憲法13条の「国民の基本的人権(自由)」などの規定があるため、他国のような罰則規定を設けられません。外出自粛は「要請」ベース、つまり国民の善意にかかっているというものでした。 当初は、コロナ陽性判明者が外出して故意に他人にうつしてしまう事案などが発生し、もはや日本では性善説が立ち行かないのでは……というムードが流れたのは確かです。しかし国民の努力で外出自粛がしっかり行われ、第1波をなんとかやり過ごすことができました。 2020年5月、SNSなどネット上での誹謗中傷が大きな問題として注目された(画像:写真AC) このように日本では性善説をベースとした仕組み、考えが生活の隅々まで浸透しているようです。身近な例では、郊外に野菜の無人販売があり続けること。「お天道さまが見ている」と思えば、悪いことができないのが多くの日本人なのではないでしょうか。 ロンドンの駅で実感した、日本の柔軟さ そんな日本の社会に慣れ切った筆者が、イギリス滞在中に戸惑った出来事があります。 ロンドンの地下鉄は、間違って改札を出てしまうと、無かったことにして入り直すことができません。料金を払い直しての再入場になります。乗り換えのときに間違って改札を出てしまったことが少なくとも2回はありますが、間違えたので入れてもらえないか、と駅員にお願いしても絶対に「NO」でした。 駅改札の再入場で対応がわかれる日・英駅改札の再入場で対応がわかれる日・英 個人的な経験ベースではありますが、日本では駅員さんに説明したら、大抵入れてもらえます。またうっかりミスでなくとも、次の電車まで時間が空いてしまうので、いったん入った改札の外にあるコンビニや自販機に行きたいと伝えれば、筆者の最寄り駅では快諾してもらえます。東京都内の別の駅でも、同じ対応をしてもらえました。 日本と比べると対応がしゃくし定規? ロンドンの地下鉄(画像:写真AC) イギリスではシンプルなシステムを追求しているのか、乗客がキセルする可能性を無くすことに重きが置いているのか、理由がわかりませんでしたが。日本では乗客のミスやイレギュラーな事態をその都度駅員がジャッジする柔軟さ、臨機応変さがあるように感じました。 またこれもイギリスの話ですが、券売機で切符を購入した際に発行される領収書など何枚かの印字物のうち1枚を取り忘れたことがありました。あろうことかその1枚が一番大事な切符だったのですが、その切符は次のお客さんが持って行ってしまったようでした。 対応を求めたところ案内所や駅員の切符販売所をたらい回しにされてしまい、最終的な結論は「再発行は無理」とのことでした。確かに切符を人に渡すなど悪用の可能性も考えられるので仕方ないかもしれません。 2020年現在はわかりませんが20年ほど前の当時の日本では、切符の紛失を性善説で対処していたので、海外は融通が利かないのだなと面食らった経験でした。 もし道端に1万円札が落ちていたら……? もうひとつ、海外との感覚の違いを実感した話を。ロンドンの語学学校で、「これまでの人生でお金を拾ったことがあるか」という話題になり、生徒たちが順番に回答していくことになったときのことです。 15年近く前になりますが、筆者は通勤途中に1万円札を拾ったことがあります。JR新橋駅を出て人気のない朝の道をオフィスに歩いて向かっていたところ、道端に1万円札が落ちていたのでした。拾い上げて前方を見ると、また違う1万円札が! 風が吹いてきて、さらなる1万円札が数枚、宙を舞いました。 もし道端に1万円札が落ちていたら、あなたはどうしますか……?(画像:写真AC) 飲み会の翌日で寝不足ぎみだったので、これは現実なのか夢なのかと軽く混乱。記憶が不確かなのですが、トータルで5万円から7万円くらいだったかと思います。 警察官を当たり前に信頼している日本人警察官を当たり前に信頼している日本人 これらを拾って、近くの交番に届け出ました。警官の方々と、「昨晩酔っぱらいが落としたのかもしれませんね」と話しながら、遺失届出書に状況などを書き込みました。 2007(平成19)年12月10日に施行された改正・遺失物法より以前だったので、現在の3か月後でなく6か月後でしたが、拾い主がいなかったという連絡があり、そのお金を受け取りました。 そんな話をしたところ、イギリス人の先生やブラジル人の生徒たちの反応はというと、日本ではお財布を無くしてもその後出てくるといったうわさは知っていたようで、そこまで驚いたわけではなかったようですが、「そんなのが成り立つのは日本だけだ」「自分だったらそのままもらう」「そもそも警察に届けない。自分の国だったら、お金を届けたら警官が自分のものにする」と口々に言っていました。 どちらかというと、「それが成り立つ日本がすごい」、「うらやましい」というより、「ちょっと特異」「生ぬるい」といったニュアンスを感じましたが、自国に対する自虐的な意味も込められていたのかもしれません。 日本における警察への信頼は極めて厚い(画像:写真AC) 確かに、日本の警察に対する国民の信頼度は高いです。海外ではもっと煩悩たっぷり、(悪い意味で)“人間らしい”警察が珍しくないと知って、根底が覆されるような驚きを感じた日本人はきっと少なくないでしょう。 日本のドラマでも、警官や官僚が悪役を演じる設定はありますが、「こんなことでは何も信じられなくなる」と恐怖を覚える度合いは、他の国民の追随を許さないはずです。 「完璧な善人」になりきれなくでもいい「完璧な善人」になりきれなくでもいい ちなみになぜ筆者が警察に届けたかというと、落とし主のためというより、そのまま自分のものにしたら「バチが当たる」という思いからです。 善人的な行いは気持ちよいですし、うまくいけば(しかも、おそらくかなりの確率で)自分のものになるであろうと考えたのも確か。警官の方々も、「多分、落とし主は出てこないでしょう」と話していました。 半年の間、時折思い出しては「落とし主が出てきませんように……」とこっそり祈ってもいたので、決して自分を善人とは思っていませんが、そんな程度でもいいのかもしれません。 2020年5月、日本ではSNSなどネット上での誹謗(ひぼう)中傷が大きな問題となりました。対処法として制度改正の検討も進められています。人間の悪い面が浮き彫りになった出来事ではありますが、しかし、私たちの中にある「善」は消え去ったわけではありません。 善なる心は本来、きっと誰の心にも宿っているはず(画像:写真AC) 本来備わっているはずの善なる意識を呼び起こしていく。国際競争力ではちょっと落ち目の日本ですが、日本人の性善説は、一朝一夕には築けない、大きな宝なのではないでしょうか。
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