幕末の偉人・吉田松陰をお祀りする世田谷の松陰神社―東京神社案内【10】
東京都には約2,000社の神社があると言われています。初詣や祈願成就で参拝したり、散歩がてらに立ち寄ったりと神社に行く機会は何かと多いのでは。そこで本シリーズでは、写真家の石津祐介さんが、神社の見どころや土地とのつながり、オススメの授与品を紹介し、神職の方からお話を伺います。第10回は「松陰神社」です。吉田松陰の御霊を祀る神社 世田谷区に鎮座する松陰神社は、幕末の志士たちに大いなる影響を与え、思想家、教育者として知られた吉田松陰をお祀りする神社で、境内には吉田松陰にまつわる見どころも多くあります。今回は、宮司の齋藤憲輝さんに神社を案内していただきました。 「当社は、吉田松陰先生をお祀りしている神社です。松陰先生は安政の大獄で江戸で処刑され、回向院(えこういん)に罪人として埋葬されていましたが、高杉晋作ら門下生によって長州藩所縁のこの地に改葬されました。やがて時代も明治となり西南戦争も終わった頃、長州藩の関係者から『松陰先生の御霊を祀るために神社を建てよう』という声が上がり、明治15年11月に墓所の側にお社を建てたのが、神社の始まりです」(齋藤さん) 世田谷の地に鎮座し、吉田松陰を祀る松陰神社(画像:石津祐介)【写真】境内に復元された松下村塾など>> 境内の見どころ 神社の大鳥居をくぐり参道を進むと、右手に「吉田松陰先生像」があります。これは神社が所蔵する石膏像から鋳造されたブロンズ像で、より本人らしい像だと言われています。 「石膏像は、靖国神社の大村益次郎像などで知られた彫刻家の大熊氏廣によって製作されました。松陰先生の親族にもアドバイスを受け、より本人に近い造型をしています」(齋藤さん) 神社ご鎮座130周年記念で作られたブロンズ像(画像:石津祐介) 社務所近くに並ぶ石灯籠は、毛利家の当主、毛利元昭や門下生の伊藤博文や山縣有朋ら縁故者により奉納され、全部で32基あります。刻まれた文字は、書家の高田竹山による八分隷書体となっています。 伊藤博文、山縣有朋らによって奉納された石灯籠(画像:石津祐介) 「松陰先生他烈士墓所」には、吉田松陰をはじめ志半ばで散った志士たちの墓碑があります。墓所は禁門の変の後、長州征伐の際に幕府によって破壊されますが、明治になり修復されました。また墓所には、修復の際に謝罪の意を込めて徳川家から奉納された水盤と石燈籠もあります。 「長州征伐の際に、墓所も含めて藩のものが壊されましたが、明治元年に桂小五郎らによって修復されました」(齋藤さん) 墓所の入り口の鳥居は、修復の際に木戸孝允(桂小五郎)が寄進したもの(画像:石津祐介)吉田松陰や長州藩士の墓碑、禁門の変の際に亡くなった藩邸員の慰霊碑が並びます(画像:石津祐介)徳川家が奉納した水盤(画像:石津祐介) 境内には、復元された「松下村塾」があります。もともとは国士舘大学の構内にあったもので、昭和16年に松陰神社へ寄贈されました。 「山口県で幕末に建てられた建築物の古材を東京に送り、大学の構内で作られました。最近、修復工事が終わり新しい材料を使っていますが、雨に当たらない場所などは当時の古材のまま残っています」(齋藤さん) 吉田松陰が教えを説いた「松下村塾」を復元した建物。土日には内部が公開されています(画像:石津祐介)人気の授与品や御朱印をいただこう 授与品は、吉田松陰直筆の「勝」と「志」の文字をいただいたお守りと絵馬が人気で、御朱印は通常のものに加えて、月命日の27日にいただける御朱印があります。また、今年は7月1日から社殿前に風鈴棚を設置して、願掛け風鈴が頒布される予定です。 上左から「勝絵馬」と「勝守」、下左から「志絵馬」と「志守」(画像:石津祐介)辞世の短歌「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」が書かれた御朱印帳(画像:石津祐介)今回、神社を案内していただいた宮司の齋藤さん(画像:石津祐介)■松陰神社(しょういんじんじゃ) 住所:東京都世田谷区若林4-35-1 TEL:03-3421-4834 神社開門:7:00~17:00 お守り・お神札受付:9:00~17:00(不定休) ご祈祷受付:9:00~15:30(不定休) 【夏詣御朱印(願掛け風鈴)頒布】7月1日~8月31日 ※休務日は公式SNS等でご確認ください アクセス:東急世田谷線 松陰神社前駅より徒歩3分 ※例大祭「幕末維新祭り」の実施は例年10月下旬です
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- 松陰神社前駅