お金持ちの象徴「タワマン」が密集! 東京・豊洲はいつから「憧れの街」になったのか
タワーマンションの並ぶ湾岸の繁華街として知られる江東区「豊洲」。その繁栄の変遷について、フリーライターの出島造さんが解説します。かつては「陸の孤島」 湾岸タワーマンションが密集し多くの富裕層が住む「憧れの街」、江東区・豊洲――関東大震災後の埋め立てで生まれ、かつて五号地と呼ばれたこの地域は、石川島播磨重工業(現・IHI)の東京第一工場や新東京火力発電所が立地し、東京都港湾局専用線の線路が張り巡らされた工業地帯でした。また工場の周辺にはそこで働く従業員の社宅や商店が並び、現在とは違うにぎわいがありました。 豊洲(画像:写真AC) そんな豊洲に変化が起きたのは1988(昭和63)年6月。有楽町線が延伸し、豊洲駅が開業した頃からでした。1990(平成2)年6月に、東京都が豊洲・晴海地区開発の具体的な方向性を示した「豊洲・晴海開発整備計画」を発表。ここでは埠頭(ふとう)機能の移転などによって住宅地と商業地を整備し、21世紀初頭までに6万人が住む都市を目指すことが計画されていました。 豊洲が新たな街へと進化するきっかけは、間違いなく豊洲駅の誕生でした。それまでの豊洲は有楽町までわずか4kmというエリアでありながら、公共交通機関は都バスのルートが4本のみ。有楽町線開通を報じる当時の新聞各紙も「陸の孤島だった」と書いていますから、確かに不便だったのでしょう。今でも有楽町方面には勝どき経由などで都バスが走っていますが、地下鉄がなければ確かに不便です。 この開通を祝い、当時74店舗からなっていた商店街の組織・豊洲商友会では、豊洲駅近くにあった石川島播磨重工グラウンドを借りて「’88豊洲フェスティバル」を開催、パレードやミニSLで大いに盛り上がりました。 この時点で再開発計画はまだ動き出したばかりで、十数年後に豊洲がタワーマンションを軸とした一大繁華街になると考えている人は決して多くありませんでした。 タワマン林立は1992年からタワマン林立は1992年から 豊洲の再開発は急ピッチで進んでいきます。 豊洲駅に続いて弾みをつけたのは、1992(平成4)年10月に完成した豊洲センタービル(江東区豊洲3)です。IHIが遊休地を活用して建設した地上37階建てのオフィスビルは、豊洲が工業地帯から新たなエリアへと変化する象徴となりました。 1990年代後半になると、豊洲でもいよいよタワーマンションが姿を現します。その先鞭(せんべん)をつけたのが、大京と住友不動産の共同事業で行われた地上20階建てのグランアルト豊洲(豊洲5)です。 グランアルト豊洲(画像:写真AC) 2000年8月に完成したこのマンションに続き同じ年の11月にはキャナルワーフタワーズ(豊洲1)が完成しています。ちなみに、この当時はまだタワーマンションという言葉が浸透しておらず「大規模マンション」という表現が使われています。 こうしてみると、わずか20年あまりの間にタワーマンションという言葉が当たり前に使われるようになったことには驚きを隠せません。 豊洲に再開発で新しい街ができると期待されたのか、マンションの人気は上々でした。『住宅新報』2000年4月11日付によると、前述のグランアルト豊洲は第1期販売分の110戸は倍率7倍で完売したと報じられています。 2006年、ららぽーとが上陸 こうしてマンションが立ち並ぶようになった豊洲ですが、2000年代前半はまだまだ寂しい街でした。今では信じられませんが、休日に豊洲駅に降りると人がまばらだったのを筆者は覚えています。マンションが建ち、住民も増えていましたが、まだにぎわいと呼べるものはありませんでした。 そんな状況を大きく変えたのは、IHIの工場跡地を使って建設された商業施設・アーバンドックららぽーと豊洲(豊洲2)の開業です。2006年10月のことでした。 アーバンドックららぽーと豊洲(画像:写真AC) アーバンドックららぽーと豊洲はすぐに話題を呼びました。と言うのも、日本初の子どもが職業体験をできるキッザニア東京が入っていたからです。 キッザニア東京の効果もあり、オープンからしばらくは東京ディズニーランド(千葉県浦安市)よりも混雑しているといわれているほどでした。 子連れに優しいまち子連れに優しいまち もし、ららぽーとが一時的な話題だけで終わっていたなら、豊洲は今のように発展しなかったでしょう。 筆者は全国のほとんどのららぽーとを訪問していますが、豊洲店は特にファミリー層向けの店舗が充実しており、太鼓判を押せます。もっとも優れたポイントは、ベビーカーを押したり、子ども連れでブラブラしたりしやすいことです。 ららぽーとは全般的にほかの商業施設よりも一段と回遊性が優れており、なかでも豊洲店は吹き抜け構造や、造船所の施設跡を利用した中庭で独特の開放感があります。特に目当ての買い物などなくても、子ども連れで歩いているだけで十分に満足できる構造になっています。中庭から運河沿いに遊歩道が整備されているのも高ポイントです。 夜の豊洲(画像:写真AC) 子ども連れで商業施設を利用するには腰が引けるファミリー層が多い昨今、ここに限っては平日でも多くの子ども連れでにぎわっていました。 豊洲が人気のエリアになったのは、タワーマンションが次々と建ち、そこに暮らす「キャナリスト(運河に面した湾岸エリアに住む人)」と呼ばれる新たなご当地マダムの出現が指摘されがちですが、筆者は経験上、ららぽーとなくしてはなし得なかったと断言できます。
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