2020年オープン 豊島区の都市型公園「イケ・サンパーク」の場所にはかつて造幣局があった!
現在大きな注目を集めている東池袋の都市型公園「イケ・サンパーク」。公園ができる前、この場所には造幣局がありました。その歴史について、フリーライターの小西マリアさんが解説します。面積は1万7000平方メートル 2020年12年、サンシャインシティ(豊島区東池袋)の東側に公園「IKE・SUNPARK(イケ・サンパーク)」(同)が全面オープンしました。 イケ・サンパークの位置(画像:(C)Google) サンシャインシティの東側は商業施設もないため、かつては明確な用事がない限り、あまり訪れる機会がありませんでした。しかし、豊島区役所の新庁舎も2015年5月にオープンしたことから注目を浴びています。 サンシャインシティ周辺では、これまで2007(平成19)年に東池袋4丁目地区の再開発が行われ、地下鉄有楽町線の東池袋駅から直結するタワーマンションと劇場・中央図書館などの入居するビルが誕生しました。つまりこの周辺(東池袋)は、十数年をかけて新たなにぎわいの拠点として徐々に整備が進められてきたのです。 そんな東池袋のニュースポットとなったイケ・サンパークは、正式名称を「豊島区立としまみどりの防災公園」といいます。面積は1万7000平方メートル(東京ドーム0.4個分)で、芝生を植えた園内にはカフェもあります。また各種のイベントを行うことができ、都会の中で広い空も見渡せる――まさに都市型公園といってよいでしょう。 かつてあった造幣局東京支局 池袋駅周辺の騒がしさから距離のある東池袋といえ、実際に足を運んだ人は、きっと「池袋にこんなにまとまった土地があったのか」と驚くでしょう。そんな土地を豊島区が入手できたのは、元々ここに造幣局東京支局があったためです。 造幣局は国の機関のなかでも、貨幣の発行や勲章の製造、金地金(きんじがね。投資対象として作られる金の塊)の製造などを行う極めて重要な機関です。東京支局(本局は大阪です)が東池袋に設置されたのは、1939(昭和14)年のことでした。 当時は都市化が進んでいたとはいえ、まだ郊外かつ都心にも近いということで造幣局は設置されました。しかし戦後になり、池袋の街が発展すると事情が変わってきます。 1967(昭和42)年発行の地図。造幣局の記載がある(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕) 3.37ha(3万3700平方メートル)もの土地を所有する造幣局を都心に移転すれば、もっと有効活用できると考えられたのです。 豊島区の度重なる陳情豊島区の度重なる陳情 造幣局に移転してもらい、跡地に防災公園を建設するという案を豊島区が最初に出したのは1972(昭和47)年の区再開発基本計画でした。それ以降、1982年の区基本計画でも移転と防災公園の建設は明記され、区をあげて大蔵大臣(当時)への陳情が行われました。 この陳情に対して、大蔵省(現・財務省)は1989(平成元)年、代替地を示すことを要求。そこで豊島区では、東京都が開発を進めていた臨海副都心に移転用地の確保を求めます。しかし東京都は計画が既に決まっているとして難色を示し、移転は実現しませんでした。 1990年頃の造幣局東京支局(画像:国土地理院) 移転を求める声が豊島区で再び高まったのは、2004年のことです。この頃進んでいたのが、地上デジタル放送の開始を見越した「新東京タワー」の」建設計画です。この計画のなかで、豊島区は造幣局の敷地を利用する誘致案を打ち出します。もちろん、造幣局の移転が前提です。 豊島区がこのときに打ち出した計画は、39階建てのビルを建設してその上にアンテナを設けるというもの。地上からアンテナの先端までの距離は約600mです。区では当時、展望料収入だけで毎年110億円という試算を行っています。 当時、高野之夫区長は実現に向けて 「都内の再開発が汐留、お台場、六本木などに集中しており、城北地域は取り残されているとの感は否めない。ぜひ誘致したい」 と語っています。 頓挫した新東京タワー案 2000年代前半の池袋は既に新宿・渋谷と並ぶ副都心でしたが、イメージ的には「昭和っぽい」感じでした(もちろんそれが魅力でした)。そうしたなかでのタワー誘致は、にぎわいから外れた東池袋周辺を激変させる要素と考えられたのでしょう(『朝日新聞』2004年9月22日付朝刊)。 しかし、新東京タワーは現在の東京スカイツリー(墨田区押上)として建設されることになり、夢ははかなくも破れました。 墨田区押上にある東京スカイツリー(画像:国土地理院) その後も豊島区では2007年、池袋駅周辺に次世代型路面電車(LRT)を建設し、造幣局周辺に大規模な駐車施設をつくって「パーク・アンド・ライド」(最寄りの駅などの手前まで自家用車で行って駐車し、そこから鉄道やバスに乗り継ぐ移動方式)を実現させる案を打ち出したり、造幣局跡地の活用案を何度も打ち出したりしました。 造幣局移転の契機となった東日本大震災造幣局移転の契機となった東日本大震災 こうしたなかで、2011(平成23)年の東日本大震災を契機として、一度は塩漬けになっていた防災公園案が再び浮上します。 造幣局はこれを受けて、移転の候補地探しを本格化。2012年9月に埼玉県さいたま市の三菱マテリアル研究所跡地を取得、工場のほか、併設する造幣東京博物館などの全面移転を決定しました。 こうして造幣局は長年の歴史に終止符をうち、2016年4月からさいたま支局として操業を始めました。それと同時に土地を取得した豊島区では、防災だけでなく地域の憩いの場所となる公園の整備を行い、その結果、イケ・サンパークが完成したのです。 また造幣局跡地のうち、3分の1は東京国際大学に売却され、現在2023年の開校を目指して池袋キャンパスの建設が進んでいます。同大では現在の川越キャンパス(埼玉県川越市)の定員のうち3500人を移転する予定で、うち2000人は留学生になるとしています。 新キャンパスを伝える東京国際大学のウェブサイト(画像:東京国際大学) 近くの都電荒川線沿いでは道路の拡幅整備工事や再開発も進んでおり、数年後には東池袋は今とまったく違う街へと発展しそうです。
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