日本橋に残る「消えたデパートの面影」――江戸時代から続いた老舗百貨店が遺した「あるもの」とは?
各地で再開発が活発に行われている東京。街の景色が移り変わっていく中で姿を消すデパートも少なくありません。今回は江戸時代から平成まで約300年の長きにわたって日本橋に店を構え、人気を博した老舗百貨店「白木屋」について、都市商業研究所の若杉優貴さんがご紹介します。日本橋の街に遺された「消えた百貨店の忘れ形見」を探して 都内各地で大型再開発が続く昨今。今年(2023年)1月には「東急百貨店渋谷本店」が閉店するなど、永年親しまれた老舗百貨店も姿を消してしまう例が少なくありません。 以前の記事では銀座の街を舞台に「消えた百貨店の面影」を探しましたが、今回は場所を日本橋に移して、百貨店跡地に眠るかつての名残を探していきたいと思います。 最終営業日の東急百貨店渋谷本店。都心でも再開発で姿を消してしまう百貨店は少なくありません。(撮影:渋谷諒)三越や高島屋より古かった! 日本橋にあった「超」老舗百貨店 今回訪れたのは、再開発の槌音が鳴りやまない日本橋。日本橋交差点に面する東京メトロ日本橋駅直結の複合ビル「コレド日本橋」(日本橋一丁目三井ビルディング)がある場所には、1999年まで老舗百貨店「白木屋日本橋本店」(のち東急百貨店日本橋店)がありました。 日本橋交差点のランドマーク「コレド日本橋」(日本橋一丁目三井ビルディング)。ここにはかつて江戸時代から続く百貨店「白木屋」がありました。(撮影:若杉優貴) 白木屋は1650年ごろに近江商人・大村彦太郎が京都で創業。1662年に江戸に進出し、1665年にはのちの日本橋店となる場所に出店しました。江戸時代から人気呉服店として知られ、幕末には安藤広重の浮世絵にも描かれています。 明治の世になると、近くにあったライバル「三越呉服店」(現:日本橋三越本店)と競い合うように店舗を拡大。早くも1903年には飲食店が入居する形式の多層型建築になり、日本における近代百貨店の基礎を築きました。関東大震災の被災を経て1931年には高層の近代的な店舗が完成した一方、1932年末にはクリスマスツリーからの出火によって「日本初の高層ビル火災」を起こしてしまいます。 1930年に撮影された日本橋の航空写真に写る増築中の白木屋。三越本店、野村ビルディング、日銀など現存する建物の姿も見られます。白木屋はこの2年後に大火災に見舞われることに。(当時の絵葉書より) すぐに火災からの復興を遂げた白木屋でしたが、終戦に伴い建物の一部をGHQが接収したこともあって経営難に。1946年には総合電機・メディア企業「ソニー」の前身が日本橋店の一角で創業するなどさまざまな歴史を見てきた白木屋でしたが、接収の影響も大きく業績不振に陥り、「企業の乗っ取り屋」と呼ばれた実業家・横井英樹氏の株買い占めを経て1956年に東急グループが買収。1967年には屋号を捨て「東急百貨店日本橋店」と改称されたのち、1999年1月に閉店し、334年の歴史に幕を下ろしました。 その後も各地で再開発が続いている日本橋。閉店から24年、果たして白木屋の面影を見つけることはできるのでしょうか。 江戸時代から続いた老舗百貨店が遺した「水」 白木屋の建物は閉店後に解体・再開発が行われ、跡地には2004年に「コレド日本橋」が完成しました。 再開発が続く日本橋だけあって、探した限り周辺に「白木屋」「東急百貨店」が残る看板などは見つからないばかりか、今はその当時の建物さえ少なくなっています。跡地のコレド日本橋の地階には東急百貨店のデパ地下を引き継ぐ形で東急系のスーパーマーケットが出店していましたが、こちらも2014年に閉店。小売業的にも「白木屋」の面影は消えてしまうことになりました。 かつて白木屋のエントランスがあった日本橋交差点。現在もコレド日本橋の商業ゾーン入口となっています。(撮影:山村巧巳) どこかに白木屋の名残が残っていないか探しつつコレド日本橋を一周すると、建物の北側で「白木屋」の文字を発見。ここには「名水 白木屋の井戸」と書かれた石碑がビル軒先の壁に張り付くように置かれていました。 ひっそりと佇む「白木屋の井戸」の碑。(撮影:山村巧巳) 石碑に添えられた説明によると、この碑は1711年に白木屋の二代目当主が私財を投じて掘った井戸を記念したもの。江戸時代初期、海に近い日本橋では水の確保が難しかったといい、この湧水は名水として地域の人々の生活に貢献することになったほか、松平家も汲みに訪れていたそうです。 名水は白木屋の百貨店化後も店内の噴水として使われていましたが、現在のコレド日本橋の店内や周辺にはそうした名残は見られません。この「白木屋の井戸」の石碑も、かつては白木屋→東急百貨店のエントランスに近い日本橋交差点側に置かれていましたが、再開発によってコレド日本橋の裏側にあった「コレド日本橋アネックス」の噴水広場(但し湧き水ではない)近くへと移動。目立たない場所へと移ったものの、いかにも「名水」を感じさせられる環境でした。しかし、噴水広場も新たな再開発「日本橋一丁目中地区市街地再開発事業」のため2020年に姿を消すことになり、石碑は再び移動。さらに目立たない、コレド日本橋裏の軒先に設置されることになったのです。 ちなみに白木屋がデパートとなった明治時代、旧コレド日本橋アネックスの広場には、夏目漱石の名作『三四郎』や『こころ』に登場する寄席「木原亭」(木原店)があったそうで、広場内には「漱石名作の舞台」の碑も設置されていましたが、再開発に伴いこの碑もコレド日本橋の裏へと移されています。 再開発によりコレド日本橋の裏に移された「白木屋の井戸」「漱石名作の舞台」の碑。石碑にとって安住の地となるのでしょうか。 (撮影:山村巧巳)最近まで各地にあった「白木屋」の面影 さて、かつて大手百貨店であった「白木屋」は東京都内各地に店舗網があったため、その面影は最近までさまざまな場所で見ることができました。例えば、JR大塚駅前には1948年まで白木屋大塚店だった建物が2017年まで現存していましたし(跡地は星野リゾート)、五反田駅前にある東急スクエア(建物は建替え済み)はもともと白木屋から東急に転換した店舗を前身としています。 また、白木屋の店舗は遠くハワイにもありました。白木屋は日本橋店の閉店後も東急グループを離れたハワイの「白木屋アラモアナ店」のみで営業を継続。ハワイ唯一の日系百貨店として親しまれていました。ハワイ旅行の際に白木屋でお土産を買った経験がある人も居るのではないでしょうか。この白木屋アラモアナ店は2016年には飲食店・食品・土産品を中心とした新業態のデパートへとリニューアルするなどして江戸時代から続く屋号・旗印もそのままに営業を続けていましたが、2021年に新型コロナ禍の影響を受けて事実上閉店。400年近くの長い歴史に幕が下ろされています。 かつては都内各地にあった「白木屋」ですが、その面影も少なくなっています。大塚駅前にあった店舗跡の建物は2017年に解体、跡地は星野リゾート「OMO5」。(撮影:若杉優貴) 常に姿を変え続ける東京・日本橋。かつて噴水と「名水 白木屋の井戸」の石碑があった広場跡には、高さ284メートルの超高層ビルが建つ予定となっています。 再開発後には再びどこかに水辺が設けられ、石碑も「名水」が感じられる場所へと移されるとしたらうれしいのですが…今後の行方が気になるところです。 参考:東京都中央区観光協会オフィシャルブログ https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/ 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 日本橋」 https://smtrc.jp/town-archives/city/
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