吉原、品川など遊郭発祥の釜飯 かつては遊女と二人で食べる色っぽい食物だった
東京の浅草などで名物となっている釜飯。もとはというと、明治時代の吉原や品川などの遊郭発祥の食物。その食べ方も、現在とは違い少し色っぽいものでした。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが釜飯の発祥とその変遷を解説します。 作家・長谷川伸が炊いた品川の釜飯釜飯(画像:photoAC) 『一本刀土俵入』 で有名な1884(明治17) 年生まれの作家・長谷川伸は、貧しい家に育った苦労人。幼い頃から奉公に出され、働いていました。 1898(明治31)年頃、長谷川少年は品川の「魚角」という台屋=現在でいうところのデリバリー料理専門店で出前持ちとして働いていました。板前ではないので料理は作りませんが、釜飯を炊くことだけは、長谷川少年に任されていたそうです。 “釜飯といって二人前の小釜で焚く(原文ママ)、油揚入りの信田飯、蛤あさりの深川飯、鶏肉入りの一番飯などは焚けました。”(『長谷川伸全集第十巻』1971年刊所収の「ある市井の徒」より) 当時の釜飯の具は、油揚げ、ハマグリとアサリ、鶏肉だったそうです。 “出前は多く遊女屋で、素人屋へも行きました。” 当時の品川は遊郭が並ぶ街。長谷川少年は、遊女とその客向けに釜飯を炊き、配達していたのです。 明治時代の吉原名物だった釜飯 1908(明治41)年の雑誌『風俗画報』9月号は吉原特集。当時のことですから、遊郭がページの大部分を占めています。 明治時代の吉原 廣重『東京開化三十六景』(刊年不詳)より(画像:国立国会図書館ウェブサイト) 雑誌には吉原の方今(ほうこん)の名物(最新の名物)として、「加藤の写真」とともに「堀川の釜飯」が登場します。どうやら釜飯とは、新吉原や品川などの、明治期の遊郭に生まれた食物だったようです。 なぜ遊郭に釜飯なのか。長谷川伸の証言にそのヒントがあります。“二人前の小釜で焚く”、つまり当時の釜飯は現在のような1人前ではなく、2人前の釜で炊いていたようなのです。 遊女と客が2人きりで、小さなお釜からご飯をよそい、互いに見つめ合いながら食べる。そんなおままごとのような、かつ色っぽいシチュエーションを演出するのが、釜飯の原初の姿だったのかもしれません。 釜飯専門店の登場 その後、遊郭以外の場所に釜飯専門店が登場します。 作家の長田幹彦は学生時代(明治時代末)に放蕩(ほうとう)が原因で勘当されましたが、その頃浅草観音裏の釜飯屋に通っていたそうです。 “金が少しでもあると、ぼくは観音裏の釜めし屋というのへ上った。”(『あまカラ1956年1月号』所収の「勘当生活」より)。 観音裏にある釜飯の老舗「むつみ」(画像:近代食文化研究会) 現在、釜飯の定番となっている牡蠣の釜飯。この牡蠣釜飯を看板にする「大野屋」という店が、関東大震災前の芝の大門に存在しました。 “この芝の大門邊(へん)で、どうも具合式のよくなかつた『釜めし』が、現在浅草公園へ行くと、單に『かき飯』だけではない、『かに』で御座れ、『はしら』で御座れ、大いに殷賑(いんしん)を極めてゐる”(濱野待人『食通 1937(昭和12)年1月号』所収の「『太々餅』『いけす』その他」より) “最近釜飯屋が、二三軒も出來た(中略)何れも最近の産物である”(石角春之助『浅草経済学』1933年刊) 1930年頃には浅草に複数の釜飯屋が開店し、釜飯は浅草名物となりました。牡蠣に加えてカニや貝柱など、その具材のバリエーションも増えていったようです。 ちなみに当時の東京においてカニとはガザミ(ワタリガニ)のことを意味していたので、カニ釜飯とはおそらくガザミ釜飯のことだったと思われます。 ガザミ(画像:photoAC)) 遊郭名物から浅草名物へと変化した釜飯 このように吉原名物だった釜飯は、明治時代末には吉原から少し南の観音裏に専門店ができ、昭和時代にはさらに南の浅草公園で名物になります。次第に南下していったわけです。 作家の高見順は、1938(昭和13)年に浅草にアパートを借り、そこでの実体験を元にした小説『如何なる星の下に』を発表します。 『如何なる星の下に』には、浅草の釜飯屋に集う様々な人々の姿が描写されています。 “「爺さんや」「婆さんや」といたわり合っている風情で、口をモグモグさせながらも、その口をお互いの耳に近づけては、何かと楽しそうに話し合っている。そして話をしながら、婆さんは自分の釜から、牡蠣を取って爺さんの釜に移したりしていて、――そこだけ、周囲の喧騒に乱されない、なごやかな静かな空気が漂っているようであった。” 釜飯を食べる老夫婦の仲むつまじい姿が描かれていますが、この表現から、1930年代の釜飯は現在のように1人前の釜で炊いていたことがわかります。 釜飯は、遊女と客が2人前の釜を共有していた遊郭の時代から、専門店の普通の食事となり、現在のような1人前の釜炊きに変化していったのでしょう。
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