ホルモン食べて国際親善? 観光地じゃないコリアンタウン「三河島」のススメ
ファッショナブルな印象が漂うコリアンタウン・新大久保。そんな同地とは異なる、本場韓国の濃い雰囲気を味わえるのが三河島です。紀行ライターのカベルナリア吉田さんが解説します。濃密な韓国の雰囲気がただよう街 東京でコリアンタウンといえば? 真っ先に新宿区の大久保を思い浮かべる人が多いでしょう。でも韓流ブーム以降、大久保は華やかな店が増えすぎて、何だかテーマパークのよう。そして東京のコリアンタウンは大久保だけじゃありません。リアルに濃密な韓国の雰囲気を感じるなら、荒川区の三河島がオススメです。 コリアン食材の店が並ぶ三河島駅周辺の街並み(画像:カベルナリア吉田) 上野からJR常磐線で2駅めが三河島駅。実は23区内のJR駅で5本の指に入る「乗降客が少ない駅」でもあります。小さな改札口を抜けるとそこは、素っ気ないガード下。目の前を尾竹橋通りが横切り、歩道を豪速で自転車がバビュンと駆け抜けていきます。 そして聞こえてくる、勢いのある韓国語。喧嘩している? と思ったら、どうやら普通に話しているだけ。呆気にとられる目の前を再び自転車がバビュンと走り抜け、なんだかエラいところに来たなと早速思います。 どこまでも続く商店街 とりあえず尾竹橋通りを歩きます。通りは駅を挟んで北側が宮地通り商友会、南が親交睦商店街。そのどちらにも点々と焼肉屋が見えます。 街角の注意書きやポスターもハングル表記(画像:カベルナリア吉田) まずは宮地通り商友会を北へ。大きな交差点を過ぎた先には「道灌山通り商和会」と「冠新道商興会」が延び、どちらもその先で西日暮里駅周辺に合流します。いっぽうで道灌山通りから、さらに昭和の香り漂う「こばと商店街」が枝分かれ。歩くほどに商店街が次々につながり、地の果てまで商店街が続いているような錯覚に陥ります。 ちなみに道灌山通りには、水泳の北島康介選手のご実家である精肉店があります。また宮地通りの途中から分かれる「荒川仲町通り」もいい感じ。狭い道沿いに店がひしめき、地元では「小さなアメ横」なんて呼ばれているそうですよ。 いっぽうで駅の南側へ進むと、途中で「七五三通り」と「カンカン森通り」が分岐。日暮里7、5、3丁目を一本化した道だから「七五三通り」という説があり「なごみ通り」と呼ぶ人もいるとか。またカンカン森通りを進んだ先には、300年以上前に建立された「神々森(かんかんもり)猿田彦神社」があります。かわいい通り名にも実は、深い歴史があるんですね。 済州島出身者が受け継ぐ地元の味「チャリフェ」済州島出身者が受け継ぐ地元の味「チャリフェ」 というわけで、なかなか歩き甲斐がある三河島駅周辺。街の雰囲気に慣れてきたら、大通りから徐々に、分岐する路地に入ってみましょう。焼肉屋に加えてキムチ専門店や韓国食材店が並び、焼肉屋から漏れてくる韓国語もひときわ大声で、より濃密な「コリアの空気」を感じられるはず。歩き進むうちに、日本にいることすら忘れてしまいそうです。 やっとありついたチャリフェ(画像:カベルナリア吉田) そして数軒の焼肉屋の店先に「済州島のチャリフェあります」と書かれた貼り紙が。チャリフェってなんでしょうか? 江戸時代に徳川家康が、この地を開墾するため三河(のちの愛知県)から人を連れてきたのが、三河島の始まりだという説があります。辺りはしばらくは稲作が行われる田園地帯で、冬には鷹が飛来するため、将軍が鷹狩りも行ったとか。 それが明治時代以降は皮革工場と下水処理場ができ、街がひらけていきます。中でも軍に卸す靴やカバン製造で財をなした朝鮮半島出身の人がいて、彼が同郷者を呼び寄せて半島出身者が増えていきました。その大半が韓国南部の済州島、それも島の北部の寒村「高内里(コネリ)」の出身だそうです。 それで済州島名物らしき、「チャリフェ」を出す店が多いのか。じゃあさっそく食べてみよう! と1軒の焼肉屋に突入してみたのですが――。 「日本のかたには、チャリフェは食べにくいかもなあ」とヤンワリ断られてしまいました。そうなると食べてみたい! 数日がかりで数軒回った結果、1軒の小さな居酒屋のママさんから、 「私の弟の店なら食べられるかも」 と耳寄りな情報が! さっそく教えていただいた店に行き、ついにありついたチャリフェは――唐辛子入りのタレであえた小鯛の刺身でした。骨がついたままのブツ切りで、確かに慣れないと食べにくいかも。でもピリッときいた辛さがほどよくて、お酒が進みます。ちなみにチャリフェは済州島の夏の風物詩なので、メニューに並ぶのも夏だけです。 濃厚な脂の風味がたまらないホルモン濃厚な脂の風味がたまらないホルモン チャリフェを平らげたら、いよいよ焼肉に突入! カルビにハラミ、タン塩もいいけれど、やはりイチ押しはホルモン! 唐辛子風味のタレに漬け込んだホルモンを、皮のほうを下にして熱した網に乗せます。ほどなく白い脂身から、透き通った脂が滴り落ちて、ほんのり焦げ目がついたら食べごろ。箸でつまみ上げ、口の中へ! 三河島のホルモンは絶品(画像:カベルナリア吉田) 噛むほどにジュワッと広がる、濃厚な脂の風味がたまりません。お酒はビールもいいけれど、ここはマッコリで。軽く口に含み、脂をサッと洗い流したら、2切れめのホルモン――箸が止まりません。おいしいし、そして安い。僕はそれまでホルモンに興味がなかったのに、三河島に通いだしたら大好物になりました。本当においしいんです。 ホルモンに陶酔する僕の横を「わーっ!」と叫びながら、子どもがドタバタ駆けていきます。店のお客の大半は近所の家族連れで、子どもたちのにぎやかなこと! 走り回る子どもたちをお父さんとお母さん、そして店の人も笑いながら韓国語で叱り、とにかくどの店も家族の温りでいっぱい。いっぽうで店の人が、 「チャリフェは食べられましたか?」 と声をかけてくれたり、ヨソ者を敬遠する雰囲気はありません。 そういえば韓国の釜山を旅したときも、現地の人にとても親切にしていただきました。韓国は気さくで温かい人が多いなと、三河島に行くたびに思いますね。 数奇な運命を乗り越え、たくましく生きる 年配の人は「三河島」と聞くと、鉄道事故を思い出すかもしれません。1962(昭和37)年5月3日、三河島駅構内で列車3本がからむ多重衝突事故が起こり、160人もの人が亡くなりました。事故後も「三河島」という地名には悲惨なイメージがつきまとい、1968(昭和43)年に行われた地名変更で「荒川区三河島」という住所はなくなりました。今ではJRと京成線の駅名ほか、数件の施設にその名を残すだけとなっています。 近くの寺に立つ、三河島事故の慰霊碑(画像:カベルナリア吉田) 仕事を求め、海の向こうの国から人が集まり、事故にも負けず街を育み――数奇な運命を経てきた三河島の街は気さくさの根底に、何物にも揺るがないたくましさを感じます。 日本と韓国の関係がギクシャクしていますが、民間レベルまでいがみ合う必要はありません。次の休みは三河島でホルモンを食べ、スタミナをつけつつ国際親善してみませんか?
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