カフェー飯まで存在した!戦前の海水浴グルメ
明治時代にブームとなった海水浴。そして海水浴といえば、海の家や売店で食べる、焼きそばなどのさまざまなグルメ。戦前の海水浴グルメにはどのようなメニューがあったのでしょうか?食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。 明治時代に海水浴がブームにさまざまな食べ物、飲み物を提供する海の家 (画像:photoAC) かつてヨーロッパには、健康のために海水に浸かるという習慣がありました。海水には薬効があると、医師たちが主張していたからです。 この海外における健康のための海水浴という習慣が、幕末の開国とともに日本に渡来します。 もともと温泉による湯治という習慣があった日本人にとって、海水浴という習慣は理解しやすいものだったのでしょう。明治時代に各地に鉄道が開通し、海との距離が身近になると、海水浴がブームとなります。 東京でも大森などの身近な場所に海水浴場が設置され、夏になると人々は海に出かけるようになりました。 かつて大森海岸海水浴場があった場所 現在の平和島ボートレース場(画像:photoAC) そして各地の温泉に名物の食べ物があるように、海水浴においても日本人は特有のグルメを求めるようになります。 戦前から海の家や売店で提供されていたさまざまな海水浴グルメ。その先駆けが、炒り豆でした。 元祖海水浴グルメ、炒り豆 戦前の海水浴場の売店では、エンドウ豆などを炒って木綿袋に入れ販売していました。これを買うのは男の子。女の子は買いません。 その当時の男の子の水着はふんどし。豆を買った男の子は、ふんどしの紐にその袋を結わえつけます。そしてそのまま、海で泳ぐのです。 しばらく泳いでいると、炒り豆に海水が染み込んで、ちょうどよい味わいになります。泳ぎに疲れてお腹が空いた頃合いに食べる海水味の炒り豆は、たいそうおいしかったそうです。 東京の海水が、飲めるほどに清浄だった頃の昔話です。 “飲ん”でいたかき氷 かき氷もまた、今も昔も変わらない海水浴グルメです。 かき氷 (画像:photoAC) 木材を削る鉋(かんな)で氷を削ったのが、日本オリジナルの氷菓かき氷の始まり。明治20年代=19世紀末には既に、イチゴやレモン味のシロップや、氷あずきが存在しました。 戦前の東京ではかき氷のことを「氷水」といいました。また、かき氷を「食べる」のではなく「飲む」と表現しました。戦前の文学作品等で「氷水を飲む」という表現が出てきた場合、それは「かき氷を食べる」という意味なのです。 東京におけるシロップの使い方も、現在とは違っていました。いちごなどのシロップは、氷の上からかけるのではなく、皿に注いでからその上に削った氷を乗せました。 現在のかき氷という名前、および、氷の上からシロップをかける方式は、関西からやってきたものなのかもしれません。 人気だった熱い飲み物、食べ物 戦前の東京における夏の最高気温は、平均30度前後。温暖化が進んだ現在よりもかなり涼しかったのです。 海水温も今ほどには高くなかったのでしょう。海水浴で冷えたからだを温めるために、熱い飲み物や食べ物も人気でした。 海水浴場で人気の熱い飲み物が、甘酒や飴湯(あめゆ)。飴湯というと関西の飲み物のように思えますが、明治時代の東京でも飴湯が飲まれていました。 甘酒 (画像:photoAC) 熱い食べ物として食べられていたのが、煮込みのおでんにお汁粉。まだまだ暑さが今ほどではなかった昭和時代の終わりまでは、プールの帰りにおでんを食べる習慣が、東京の一部に残っていました。 おでん (画像:photoAC)ハイカラな月島海水浴場グルメ 大正時代、銀座から歩いていける場所に海水浴場ができました。現在の勝どきに存在した月島海水浴場です。 銀座から近い都会の海水浴場だけあって、月島の海水浴グルメはハイカラなものでした。戦前からラーメンやカレーライスが出されていたのです。 ラーメン (画像:photoAC)カレーライス (画像:photoAC ) 東京では明治時代末に浅草でラーメンが普及。大正時代には東京中の蕎麦屋がラーメンを出すようになりました。詳細については「身近過ぎて知らなかった! 東京のそば屋が「ラーメン」を出しているワケ」を参照してください。 また、1900年頃からカレーライスが大衆化しはじめ、大正時代には大衆食堂、社員食堂の定番メニューとなっていました。詳細については「【鬼滅のグルメ】大正時代の浅草では、すでに子どもが自分の小遣いでカレーライスを食べていた」を参照してください。 中華料理や西洋料理の大衆化が進んでいた東京ならではの海水浴グルメが、ラーメンとカレーライスだったのです。 戦前の海水浴場にも存在した「カフェー飯」 ラーメンにカレー、おでんに焼きそば。昭和の海の家といえばそんなメニューが思い浮かびますが、現在の湘南あたりの海の家には、まるで都心のカフェーかと思うようなおしゃれな食事メニュー、カクテルやデザートが並んでいます。 実は戦前の湘南の海水浴場にも、おしゃれなカフェーが存在しました。 桑原甲子雄著『私的昭和史 桑原甲子雄写真集 上巻 (東京戦前篇)』(2013年刊)には、1935(昭和10)年の鎌倉由比ヶ浜の海の家の写真が掲載されていますが、その看板には「銀座コンパル 鎌倉由比ヶ浜出張所」の文字があります。 当時銀座で有名だったカフェー・コンパルが、海水浴場に出店していたのです。 看板のメニューに並ぶのは、ハイカラな洋食の数々。まさに言葉通りの「カフェー飯」が、戦前の海水浴場にも存在していたのです。
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