連なる鳥居にただよう妖しい空気――文京区の異次元空間「澤蔵司稲荷」を知っていますか
参道脇には芭蕉句碑ひとしぐれ礫(こいし)や降って小石川 松尾芭蕉 伝通院(文京区小石川)の門前を右に善光寺坂を少しくだると、道路の真ん中にムクの巨樹が見えます。木のそばには作家・幸田露伴の旧宅。露伴の孫、青木玉は著書『小石川の家』(講談社。1995年)でここを描きました。その先にあるのが、今回訪れる慈眼院(同)の澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)です。 霊窟への鳥居(画像:伊勢幸祐) 慈眼院は小石川裏通りの閑静な高級住宅街のなかにある寺で、訪れる人もさほど多くはありません。静かに桜を見るには絶好のスポット。参道脇には、前記の芭蕉句碑があります。 この院の縁起は、一種の怪異譚(たん)です。 江戸時代初期・元和の頃、伝通院に澤蔵司という若い学僧がいました。わずか3年で浄土教学の奥義を究めるほどの俊才でしたが、その正体は稲荷明神の化身でした。 小石川に伝わる「現代のおとぎ話」 沢蔵司は修学を終えると和尚の夢枕に立ち、自らの正体を告げてこれまでの礼を述べ、今後長く当山を守護して恩に報いると約束しました。そこで彼を祭ったのがこの院の始まりとのこと。 澤蔵司稲荷の本堂(画像:伊勢幸祐) 寺の由来にはそう書いてありますが、実は沢蔵司の正体が露見したのは別の理由だったという話もあります。 彼が寝ているときに尻尾がでていたとか、そば屋での支払いに木の葉がまざっていたとか。噺(はなし)としてはそちらの方が面白く思えます。俊才の澤蔵司は、どこか抜けたところのある愛すべき狐(きつね)だったのかもしれません。 澤蔵司はそば好きで、近所のそば屋にしばしば食べにいっていたそうです。そのそば屋さんが今でも残っており、毎朝できたてのそばをお供えにこの院を訪れるとのこと。都心には珍しい、ほのぼのした現代のおとぎ話のようです。 永井荷風作品『狐』と、明治前期の小石川永井荷風作品『狐』と、明治前期の小石川 この近辺には、狐にまつわる話がほかにもあります。作家・永井荷風の生家はこの近所の安藤坂を越えたところにありました。 荷風にも幼年時代を回顧した『狐』という短編があります。 荷風が子どもの時分、この小石川かいわいにはまだ狐がでていました。あるとき、永井家で飼っていた鶏が狐に捕られます。荷風の父や書生は大仰に騒いで、弓や鉄砲まで持ち出して狐退治を開始。 ようやく狐をしとめると祝いの酒宴が催され 父は酒肴(しゅこう)にするため、荷風のかわいがっていた鶏を2羽しめさせました。 鶏を捕るという理由で狐を狩り、その祝いにまた鶏をしめるという大人たちの行為が、幼い荷風には理解できなかったようです。『狐』には 「夜更けまで舌なめずりしながら酒を飲んでいる人たちの真っ赤な顔が私には絵草紙でみる鬼の通りに見えた」 と記されます。 血気の書生は後に士官学校へ行き、日清戦争で戦死したとありますから、よほど古い時代の話です。荷風が偏屈者の生涯を送るもとになる原体験のひとつかもしれません。 この作品に「狐の穴」が描かれています。狐は穴にすむことがあるようです。 このかいわいは起伏にとんだ地で、地面がコンクリートに覆われる前には傾斜地の木の根の下などに狐の棲家の穴がいくつかあったのでしょう。 境内、崖下の霊窟「お穴」境内、崖下の霊窟「お穴」 澤蔵司稲荷に話を戻します。 この境内の一角にも、かつて狐がすんでいたという洞穴があります。江戸地誌『江戸名所図会』にも、 「東裏の崖下に狐棲の洞穴あり」と記されており、いまはほこらとして祭られています。ほこらは本堂よりかなり低くなったくぼ地にあって、階段を下りていかねばなりません。 本堂脇から見下ろすくぼ地(画像:伊勢幸祐) くぼ地への入り口の石盤に「霊窟 おあな」と刻まれています。階段を下りていくと、樹齢数百年という木々がうっそうと茂って昼なお暗い空間。外界とは空気が違っています。 なぜか黒く湿った地面に、幾重にも連なる鳥居のトンネル。ふと、村松正直の歌を思い出します。 いくつもの朱の鳥居を「わたって」いくと、隔絶した「遠くの場所」、すなわち異界へ踏み入っていく実感があります。文京区の閑静な住宅街の中に、エアポケットのようにぽっかりと口をあけた異次元空間です。 漂う妖しく、異様な雰囲気 古来、稲荷狐は民間信仰のなかで親しまれてきました。身近な祈りの対象でしたが、一方で人を化かしたり取りついたりする不気味な存在でした。 私(伊勢幸祐。フリーランスライター)が初めてここを訪れたのは約20年前。当時はこの崖下の「お穴」一帯はかなり荒れていました。 薄暗いくぼ地に、半ば朽ちかけた小祠(しょうし)が並び、おびただしい数の狐像が放置されて、その最奥に「霊窟」すなわち狐の穴が祭られています。「霊窟」は、まるで魔を封じ込めるように巨石でふさがれていました。 その頃に比べれば現在はかなり整備されましたが、一種異様な雰囲気はいまでも残っています。 霊窟の様子(画像:伊勢幸祐) 私は怪力乱神を語らず、オカルトには関心もなく、また霊感もありません。 しかしここに来ると、くぼ地全体にえたいの知れぬ何者かが犇(ひしめ)きあい潜んでいるようで、それらのすべてが私をじっとうかがっているような気がします。 長年、東京のあちこちを徘徊(はいかい)していても、これほど妖しさを覚える場所はめったにありません。なお澤蔵司稲荷のウェブサイトでは、オンライン参拝もできます。 本堂周辺は花の盛り本堂周辺は花の盛り 階段を上がって本堂正面の参道に戻ると日差しが明るく、霊窟とはまったく変わった陽気にみちています。 狐の石像が陶然と花を見上げているようでした。 花を見上げているような狐(画像:伊勢幸祐) 正門から境内を出ると坂に沿って、江戸時代に造られた院の石垣があります。隣接する善光寺も古めかしい寺で、特に花の時期には江戸・東京の時層を感じられます。古格なたたずまいの一角にいると、いまにも幸田露伴が幼い玉の手をひいて坂を下りてきそうな気配です。 霊窟(おあな)より出(いで)て狐の花観かな 古木戸や 露伴の坂の花筵(はなむしろ) 散樽
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