羽田空港の入り口に「大きな鳥居」がポツンと立っているワケ

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羽田空港の入り口に「大きな鳥居」がポツンと立っているワケ

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シカマアキ

旅行ジャーナリスト、フォトグラファー

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羽田空港の入り口に大鳥居がポツンと立っています。いったいなぜこんな場所にあるのでしょうか。激動の歴史を生き抜いてきた大鳥居について、ジャーナリストのシカマアキさんが解説します。

車やバスから見える大きな鳥居

 皆さんは、車やバスで東京国際空港(羽田空港。大田区羽田空港)に向かうとき、空港でとても大きな鳥居を見かけたことがありませんか? 場所は空港島の南西端、多摩川・海老取川(えびとりかわ)に面した辺りです。

大田区羽田空港にある旧穴守稲荷神社大鳥居(画像:シカマアキ)



 大きな鳥居の正式名称は、旧穴守稲荷神社大鳥居といいます。さて、なぜ鳥居はこんな場所にポツンと立っているのでしょうか。

 実はこの大鳥居、アメリカとの戦争、そして敗戦を経て激動の歴史を生き抜いてきた壮絶ともいえる経緯があるのです。

戦前は観光地だった

 大鳥居のそばに、その歴史などが記された案内板があります。この案内板や大田区などの情報によると、大鳥居はもともと1929(昭和4)年、京浜電鉄(現在の京急グループ)から奉納されたものでした。第2次世界大戦以前、大鳥居が今ある場所には

・羽田鈴木町
・羽田穴守町
・羽田江戸見町

の三つの町がありました。

1932(昭和7)年発行の地図(左)と現在の地図。青枠がかつての穴守稲荷神社の場所。現在の穴守稲荷神社は西に移転している(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 明治時代、この地に鉱泉が湧き出たことで一帯には旅館、料亭などが立ち並びました。そして海水浴場や競馬場、京浜電鉄による参詣鉄道穴守線(現在の空港線)が開通し、都心の一大レジャースポットとしてにぎわいました。

 しかし日本がアメリカに敗戦した1945年8月以降、進駐軍は羽田飛行場(現在の羽田空港)の拡張を決定。三つの町に住んでいた住民全員に対し、当時の蒲田区区長とともに「24時間以内の立ち退き命令」を発令しました。

 大田区などの資料によると、退去期限は住民たちによる必死の交渉で48時間以内に延長。その後、住民全員による退去が一斉に行われました。三つの町には約1200世帯、3000人が住んでいました。

進駐軍による破壊と「たたり」

 住民たちが持てるだけの荷物を運び出した直後、三つの町は一夜にして進駐軍のブルドーザーで跡形もなく壊され、羽田穴守町にあった大鳥居のみが残されました。このとき、現在の羽田空港B滑走路南端付近にあった穴守稲荷神社も移転しています。

 大鳥居が残ったのは基盤が固く、進駐軍が何度か試みたものの動かせなかったからです。また事故なども相次ぎ、次第に「大鳥居のたたり」と呼ばれるように。

 そして、ハネダ・エアベースとして接収されていた空港が1958(昭和33)年に全面返還され、東京国際空港となった後も、大鳥居は空港駐車場のなかにしばらく残されていました。

海老取川には河口付近にある三つの神社(画像:(C)Google)



 そして1999(平成11)年、大鳥居は空港の拡張工事の影響で現在の弁天橋近くに移転しました。海老取川には河口付近には三つの神社があり、河口に近い順に

・弁天橋
・天空橋
・稲荷橋

となっています。なお、大鳥居にはかつて鳥居を囲う柵が設けられていましたが、2007年に撤去されています。

大鳥居の最寄りは天空橋駅、近くの稲荷橋に当時の名残も

 現在の大鳥居の最寄り駅は京急と東京モノレールの天空橋駅で、駅から徒歩5分ほどで着きます。近づいてみるとその大きさに圧倒されます。

稲荷橋の向こう側は空港の敷地で今も一般立ち入り不可(画像:シカマアキ)



 海老取川にかかる稲荷橋は朱色の欄干が遠くから目を引きますが、川の東側は羽田空港の敷地のため、橋を渡ったところで行き止まりになり、先へ行けません。

 前述のとおり、戦前のこの一帯には海水浴場などがあったため、多くの人々が稲荷橋を渡っていたことが想像できます。

移転後も続く穴守稲荷と空港との関係

 大鳥居と縁が切っても切れない穴守稲荷神社は、地元で「あなもりさん」と呼ばれて今も親しまれています。

現在の穴守稲荷神社(画像:シカマアキ)

 穴守稲荷神社は羽田空港敷地内から立ち退くとき、ごくわずかなものしか持ち出せなかったため、現在の境内にあるキツネの神使像のほかはほぼすべて新設です。

 海老取川の空港側は今も更地となっている場所がありやや殺風景ですが、反対側には住宅などが立ち並ぶ下町風情が漂っています。一斉立ち退きまでは、空港側にもこのような風情があったのでしょう。

 今もポツンとそびえ立つ大鳥居は、戦争に翻弄された地区の歴史を物語っています。皆さんも改めて散策してみてはいかがでしょうか。

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