都内絶滅寸前の「水田」が足立区にあった! 田んぼを守り続けた農家の意地を聞いた
2022年1月15日
知る!TOKYO足立区の扇地区に、なんと区内唯一の水田があります。いったいなぜ残っているのでしょうか。編集者・ライターの小野和哉さんが取材しました。
江戸自体以降、新田開発が進んだ足立区
かつて足立区(旧足立郡)は稲作が盛んな地域でした。
地勢平たん、地味肥沃(ひよく)で、農業地として適した土地であり、江戸時代以降、特に足立区の東部は新田(開拓してできた農地、村のこと)開発が積極的に行われ、多くの農民が入植してきました。足立区内では、慶長年間から正保(しょうほう)年間のわずか三十数年間で13もの新田が開墾されたそうです。

江戸幕府による治水政策が進んだこともあり、江戸中期には水田はすっかり開発され尽くされ、現在の荒川区を含む隅田川と江戸川に挟まれた東京東部低地(東郊地域)は、大部分(7~8割)が水田として利用されるようになりました。
田植唄が伝わる足立区
ちなみに足立区には「十よ七」という田植唄が伝わっています。
サァーヤーレ十よ七は/今年初めて/田植田植/しかも、この田は/良くできたヨイ/(サァー植えて去れ植えて去れ)/サァーヤーレこの田は/丈が一丈で/穂が五尺/枡(ます)はヨイいらぬで/箕(み)で計るヨイ/(サァー植えて去れ植えて去れ)(出典:『新修足立区史』)

この唄は、荒川以北の足立区から埼玉県草加市にかけて、田植えの時期になるとあちこちの田んぼから聞こえてきたといいます。
人々の生活に根ざした稲作・水田がなぜこつぜんと姿を消してしまったのでしょうか。
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