彼女が欲しいなら「焼き芋」をオゴるべき? 昭和~平成の東京で流行った「恋愛テク」の数々

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彼女が欲しいなら「焼き芋」をオゴるべき? 昭和~平成の東京で流行った「恋愛テク」の数々

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猫柳蓮

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マッチングアプリなどがなかった昭和~平成時代、男女ともに出会いに渇望していました。そんな当時の状況について、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。

イケイケだった80年代の出会い

 男女の出会いのツールとして、東京でもっとも使われているのはマッチングアプリでしょうか。明確なデータはありませんが、コロナ禍による普及は著しいようです。マッチングアプリが登場したころは

「わざわざ、そんなものを使ってまで出会いたいの?」

という声もありましたが、現在では「気軽な友人探し」としても使われています。

 いまやマッチングアプリだけでなく、さまざま出会いツール・サービスが存在しますが、昭和~平成前半までの出会いにはもっと努力が必要でした。

 東京に多くの人たちが暮らしていますが、チャンスを待っているだけでは誰とも出会えません。当時も必要なのは行動でした。そのため、男女ともに雑誌を読んでは出会いの方法や恋愛テクニックを磨いていたのです。

焼き芋(画像:写真AC)



 そうしたなかには、現在では少し考えられないようなものがありました。今、それらの記事を読み返してみると、個人情報に対する意識が明らかに異なっています。タレントでもなんでもない一般人が当たり前のように顔を出して、「恋人募集中」「○○な人がタイプ」とコメントしています。

 個人情報保護の意識の高まりから、現在こうしたコメントを取るのは難しいですが、当時の若者向け雑誌の編集者に聞いてみたところ、「お手軽だった」といいます。なぜなら、どの編集部にも学生アルバイトがいたため

「○○なページをつくるから、友達を集めてきて」

と指示すれば、すぐに集まったとのこと。また、男女ともに顔や名前を出したがる人が多かったそうです。その結果、今となってはとんでもない記事も生まれました。

 夏冬のシーズンになると、女子大生のサークルの合宿先や日程がそのまま記事として掲載されたのです。例えば『平凡パンチ』1980年7月7日号を見ると、

「女子大テニス同好会 この夏の合宿全スケジュール」

という記事が4ページにわたって繰り広げられており、軽井沢や山中湖といった、合宿場所のおおまかな地名と日程がすべて掲載されているのです。もちろん無断で情報を載せているわけではなく、掲載サークルに所属している女子大生へのインタビューもあります。

 今読んでみると、

「だからどうした?」
「誰が得をするの?」

と首をかしげたくなりますが、当時は「ここまで公開しているのだから、ぜひ自力で出会ってください」という叱咤(しった)激励だったのでしょう。ちなみにスケジュールをよく見ると、多くのサークルの合宿先は軽井沢か山中湖でした。

露骨な欲望をさらけ出した80年代

 この類いの記事は80年代を通じて、手を替え品を替え掲載されています。次は『週刊プレイボーイ』1984年7月17日号の記事を見てみましょう。タイトルは何と「ナンパ大地図 夏休みオンナはここで待ち伏せだ!!」です。現在、編集者がこんなタイトルを付けたら編集長に説教されるのは間違いありません。

 肝心の記事は、女性誌に掲載されていたお勧めの宿や店を羅列して「ここで待ち伏せれば出会える」というもの。当時の『週刊プレイボーイ』は恋愛テクニックをネタに、こうした記事がたびたび掲載されていました。

街なかで女性に声をかける男性(画像:写真AC)



 1980年6月24日号には「職業別ギャル ラブラブ大作戦」という記事も。職業別に女性の特徴を分析し、こう口説こうと解説されています。内容を信じる信じない以前に、現代の価値観では許容しづらいものもあります。

 対する女性誌も妙な記事が目立ちます。なかでも『エフ』1985年9月号掲載の「殺し文句の研究」は秀逸です。

 テーマは女性が男性にささやかれてクラっとくるひと言で、次のような「女のコのハートを直撃した殺し文句」が掲載されています。

「初めて会ったばかりだからダメなの? 5回目ならいいの? だったら今すぐ別れて5分後にまた会おう。そうすれば25分後には、キミの部屋に入れるんだね」
「きょうは16時間もいっしょにいられたね。今度会うときは17時間、18時間て、デートの延長記録をつくろうね」
「猫はオマエ一人だけで十分だよ」

 今読み返してみると、すごい時代だったと改めて感じます。

マニュアル本がベストセラーになった90年代

 こうした恋愛テクニックは80年代後半になって高度にマニュアル化され、90年代には恋愛マニュアル本が書店でひとつのコーナーとなるくらいに拡大していきます。

現在のカップル(画像:写真AC)



 80年代と90年代の大きな違いは、後者がえたいの知れない口説きのテクニックを生み出していったことです。とりわけ男性向け恋愛マニュアル本の需要は高く、90年代初頭には多くのマニュアル本がベストセラーになっています。

『女を口説く200のマニュアル』(三笠書房)は15万部、『早い話がナンパの本』(KKロングセラーズ)は8万部を記録しています。こうしたことから、粗製乱造の恋愛テクニックは増殖していきました。次の内容は、実際のものです。

・女性の気をひくためにリコーダーでバロックの名曲を吹いてみせる
・インテリ女性に「キミの考えは間違っている!」とガツンとかます
・女性のストッキングが伝線したときに備えて予備をそっと渡す
・女性は焼き芋に弱い

 これらを真に受けた世の男性たちは、今となっては布団をかぶってもん絶したくなることでしょう。東京にはそんな男性たちが無数にいたのです。

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