身近過ぎて知らなかった! 東京のそば屋が「ラーメン」を出しているワケ
2022年1月9日
ライフ東京のそば屋には、ラーメンを提供する店が少なくありません。いったいなぜでしょうか。著書『お好み焼きの戦前史』においてそば屋のラーメンの歴史を、『牛丼の戦前史』においてそば屋の丼物の歴史を明らかにした食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。
食事難民の増加
東京府の人口は、1898(明治31)年に305万人であったものが、1925(大正14)年に448万人と、27年間で約1.5倍に膨れ上がります。
急激な人口増加は、産業構造の変化により、地方から東京へと人々が移住することによって引き起こされました。当然のことながら、その中には若い独身者が多くいました。
コンビニもスーパーも、ファストフード店も存在しない時代です。自炊しようにも、貸間には冷蔵庫はおろか、台所すらありません。急激に増えた独身者たちは、食事難民となったのです。

彼らに食事を提供するための場、学生食堂や社員食堂があらわれたのが大正時代です。東京市が公設の食堂を各地に作ったのも、大正時代でした。
しかしながら、これらの食堂は学生街やビジネス街、繁華街に多く、住宅街には少なかったのです。帰宅した独身者に食事を提供できる店は、銭湯とともに住宅街を網羅していたそば屋しかなかったのです。
製麺機の普及がラーメン導入の決め手に
増大する食事需要に対応するために、そば屋として比較的簡単に導入することができた料理が、ラーメンや丼物でした。
いずれもそば屋の食器である丼が流用できますし、天丼用の天ぷらはそば屋が得意とする料理です。そばと同じ麺類であるラーメンも、そばの調理技術をそのまま応用することができました。
そしてラーメンの導入を後押ししたのが、製麺機の普及です。

藤村和夫著『そば屋の旦那衆むかし語り』によると、1921(大正10)年頃には、東京のほとんどのそば屋が手打ち麺から機械製麺に移行したそうです。
製麺機のおかげで、中華麺製麺所が近所になくとも自家製麺することができました。また、製麺機による省力化により、ラーメンや丼物などを調理する時間的余裕も生まれたのです。
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