江戸幕府を支えた「勘定奉行」 身分制社会に花開いた実力主義の役職に迫る

大河ドラマ『青天を衝け』に登場した川路聖謨でも注目が集まる、江戸時代の勘定奉行。彼らはいったいどのような仕事を行っていたのでしょうか。ブログ「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」管理人の山下ゆさんが解説します。


財政危機と戦った荻原重秀

 こうしたたたき上げの人物であり、歴史の教科書にも名を残したのが元禄期に貨幣改鋳(傷んだ貨幣を回収して新しいものを再度つくること)を主導した荻原重秀です。

 江戸時代初期の幕府財政は非常に豊かでしたが、主要な輸出品だった銀の産出の激減、明暦の大火からの復興費用などで赤字に転落します。さらに綱吉の時代になると、寺社造営のための費用や、将軍の衣服や大奥などの費用が膨張し、巨額の財政赤字となりました。

荻原重秀の墓がある台東区谷中の長明寺(画像:(C)Google)




 そんな幕府の財政危機への対応にあたったのが荻原重秀でした。重秀は不正を行った代官の粛清や、佐渡金山の立て直し、長崎貿易の改革などで頭角を現し、貨幣改鋳を主導します。

 重秀はそれまで慶長金銀貨を鋳つぶして新たに質の劣る元禄金銀貨を鋳造し、それを流通させることで、出目と呼ばれる改鋳益金を幕府にもたらしました。また同時に、この改鋳は貨幣需要の増大に応えるという側面もありました。もちろん貨幣量が増大したことで物価は上昇しましたが、元禄金銀による物価上昇はそれほどのものではなかったといいます。

 ただし1703(元禄16)年の南関東大地震、1707(宝永4)年の富士山噴火、将軍代替わりの経費などに対応するためにつくられた宝永丁銀・豆板銀の発行は物価の高騰を招きました。新井白石は、重秀のやり方を幕府政治そのものを破綻させるものとして厳しく批判し、ついには重秀の解任に成功、貨幣改鋳を否定し、質をもとに戻した正徳金銀をつくります。

 ここからしばらく、幕府は財政を倹約と増税の緊縮路線によって立て直そうとする時代が続くのです。

出世で約20倍の給与を得た神尾春央


【画像】武田真治さんが「青天を衝け」で演じた勘定奉行

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