環状7号線の下には「戦国城跡」が眠っている!? 高度成長時代に失われた歴史の痕跡を探して

東京23区にある城跡といえば、誰もが思い浮かべるのが「江戸城」。しかしそれ以外はほとんど知られていません。遺構の残っていない城跡を探す歴史ライターの永嶋信晴さん、今回は、葛飾区内に眠る「葛西城跡」を巡ります。


なぜ城跡のど真ん中を環七が?

 葛西城は痕跡が全く残っていないと書きましたが、その大きな原因のひとつは、環状7号線の建設です。

 葛西城跡にある御殿山公園に、当時の曲輪や水堀の位置を示した城絵図があります。それを見ると、一刀両断という形で城のど真ん中を環状7号線が貫いていることが分かります。

環状7号線の両サイドにある、御殿山公園と葛西城址公園(画像:(C)Google)

 この地域に環状7号線が開通したのは昭和40年代。それまでは城の痕跡が多少残っていたそうです。現在であればその建設に対して、多少の遠慮というか遺跡の保護がさけばれたかもしれません。

 歴史を勉強していると、高度成長時代に多くの遺跡が失われていることに気づきます。一切の忖度なしに道路が建設されたのは、昭和という時代背景だったのでしょう。

 日本の GNP(国民総生産) は、1966(昭和41)年にフランスを、翌1967年にイギリスを抜き、1968年にはアメリカに次ぐ世界第2位になりました。

 当時の中高年は皆、戦争に負けた悔しさを体験している世代。私も子ども心に、経済で欧米を見返してやるという大人たちの気迫を感じていました。“一等国”の仲間入りをするため、遺構の保護よりも、新たな工場や道路の建設を優先したのでしょう。

 葛西城も戦国の歴史の一部なら、環状7号線も昭和の歴史の一部。どちらも、その時代に生きた人たちの切羽詰まった思いが込められているのは間違いありません。ただ、戦国時代の人たちの思いが込められた遺構も、この目で見たかったですが……。

戦国時代、激戦の舞台になった葛西城


【画像】戦国城跡とその周辺(計14枚)

画像ギャラリー

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