熱き格闘バトルの記憶! 90年代の都内ゲーセンにあって、現代のオンラインゲームに無いものとは

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熱き格闘バトルの記憶! 90年代の都内ゲーセンにあって、現代のオンラインゲームに無いものとは

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オンラインゲームやeスポーツが盛んな現代のゲーム業界。しかし振り返れば90年代、ゲームセンターで向かい合い、熱いバトルを繰り広げた人々がいました。当時のゲーマーたちを熱狂させたものとは。そして現代のeスポーツの礎となったものとは――。

日本初のプロ格闘ゲーマーとは

『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』(KADOKAWA)という作品をご存じでしょうか。実在する現役プロ格闘ゲーマー、梅原大吾選手の少年時代を描いた漫画です。

 ウメハラ選手は2010年(当時29歳)に日本人で初めてプロ格闘ゲーマーになった先駆者として知られています。

「30歳目前の29歳でプロゲーマーになった」と聞くと、プロゲーマーになるために努力をしてきて、その結果が29歳のときにやっと報われたのかな、と思うかもしれません。

 しかし、実はそうではありません。ウメハラ選手は17歳のときすでに世界一の座を手に入れており、10代の頃からプロゲーマーに匹敵する腕前を誇っていたのです。

 ではなぜ29歳までプロゲーマーにならなかったのでしょうか。それは、そもそも当時はプロゲーマーやeスポーツという概念がほとんど存在していなかったからです。

 ウメハラ選手は少年のときから、見返りが約束されていないゲームの中の世界で、ただ強さを追求し続けていたのでした。結果としてアメリカのとある企業の目にとまり、29歳のときにスポンサー契約する形でプロゲーマーとなったのです。

かつてのゲームセンターのイメージ(画像:写真AC)



『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』では、ウメハラが数々の東京のゲームセンターでドラマティックな戦いを繰り広げます。

 巣鴨の「ナムコ プレイシティキャロット巣鴨店」(現在の「namco巣鴨店」)、池袋の「マルゲ屋」、新宿の「アミューズメントフォーラム モア」など、格闘ゲーマーのメッカともいえる東京のゲームセンターがいくつも登場するのです。

 今回は、本作を通して90年代東京のゲームセンターがその後のゲーム業界に残したインパクトについて探ります。

1990年代の東京とゲーム

『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』の舞台は、ウメハラ選手がまだ10代の少年だった頃の1990年代。

ウメハラFIGHTING GAMERS!1(画像:KADOKAWA)



 当時は現代のようにインターネット環境が普及していなかったので、最新のゲームで遊ぶならゲームセンターに行くのが常識でした。そこでは「ストリートファイターⅡ」、通称・スト2をはじめとした格闘ゲームが異様なほどの盛り上がりを見せていました。

 プレイヤーたちはそこで、プライドをかけた真剣勝負を繰り広げていたのです。

 そう、90年代のゲームセンターには、異常ともいえる熱意でゲームに取り組むプレイヤーが数多くいました。「我こそが最強」と信じるゲーマーたちの戦いは、20~30年ほどを経てようやく「eスポーツ」として認められるようになりましたが、『ウメハラ』はそんなeスポーツの原点ともいえるゲームセンターでの戦いを描いています。

 同作には巣鴨、池袋、新宿など、東京のゲームセンターがいくつも登場します。その中でも特にウメハラが印象的な戦いを繰り広げるのが、池袋のゲームセンターです。

伝説のゲーセン「池袋マルゲ屋」の記憶

 同作には、大貫というウメハラのライバルにあたるキャラクターが登場します。大貫は「ヌキ」の愛称で知られる大貫晋也選手がモデルです。

 2021年11月現在、現実世界の両氏は一緒にゲーム配信をするなど交流を深めていますが、当時は会話すらしたことがないバチバチのライバルでした。

 そんなウメハラとヌキは、東京・池袋にあった「池袋マルゲ屋」という今は無きゲームセンターで行われた、「ヴァンパイアセイバー」というゲームの大会で初めて相まみえました。

 池袋は現在でもオタクの街として認識され、ゲームセンターがいくつも営業されています。

90年代ゲーセンの魅力とは

『ウメハラ』にも描かれているように、90年代のゲームセンターには、現代のeスポーツとは異なる魅力がありました。当時は情報が少なかったために、どこにどれくらい強いプレイヤーがいるのかがつかめなかったという点です。

 そのため、腕に覚えがあるプレイヤーは、まだ見ぬライバルを求めて各地のゲームセンターを渡り歩いたのです。まるで大航海時代のような冒険の楽しさがそこにはありました。

ゲーム内でバトルするライバルたちのイメージ(画像:写真AC)



 また、90年代のゲームセンターの魅力といえば全国大会でしょう。当時発行されていたゲームセンター専門誌『ゲーメスト』は毎年のように全国大会を開催していました。全国大会の出場は、多くの格闘ゲーマーにとっての目標であり、さながら高校野球でいう甲子園です。

 大会には各地から猛者が集います。自分こそが一番と信じるプレイヤーが一堂に会する様子は、まさにお祭り的だったと言えます。

eスポーツの魅力とは

 現代では全国大会の代わりにeスポーツが行われています。全国大会の盛り上がりを知る筆者からすると、少し寂しくもありますが、eスポーツにはeスポーツの魅力があります。

現代のeスポーツのイメージ(画像:写真AC)

 eスポーツの魅力といえば、まず「平等性」が大きいと言えます。ゲームの攻略情報は、インターネットさえあればどこにいても入手可能です。加えて、自宅からオンラインの対戦ができるので、誰にでも上達のチャンスがあるのです。

 また、プロゲーマーの存在なくしてeスポーツは語れません。ゲームの実力を認められれ、たとえば世界大会で優勝すれば、地位や名誉だけでなく高額賞金が手に入ります。

 ウメハラ選手がプレイする格闘ゲームであれば、数百万円超の優勝賞金をかけた大会がいくつも開催されているのです。

 ゲームの腕前一本で、大スターへの道を切り開けるのがeスポーツの魅力です。

似て非なる存在のゲーセンとeスポーツ

 90年代のゲームセンターには冒険のようなワクワクする気持ちと、自分たちしか知らない秘密基地のような楽しさがありました。ただ一方で、当時どれほどの偉業を成し遂げたとしても、一部のファン以外には認知されにくいというもどかしさがありました。

 半面、eスポーツには誰にでも開かれており、平等にチャンスがあります。ただしインターネットの普及によって、90年代のゲームセンターのような「まだ見ぬ強敵との出会い」と言う興奮はほぼ無くなりました。

 eスポーツと、その原点である90年代のゲームセンターは一見似ているようで、真逆の存在なのです。

東京の有名ゲーセンは今

『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』には数々の東京のゲームセンターが登場します。今はもう存在しない店舗や、名前を変えて営業している店舗などさまざまです。

在りし日のゲームセンターのイメージ(画像:写真AC)



 オンラインゲームや家庭用ゲーム機の普及によって、ゲームセンター離れが顕著な昨今。それでもゲームの大会を開催しているゲームセンターはあり、そこには90年代と変わらないコミュニティーがあります。

 90年代を知る大人たちにとっては懐かしく、eスポーツ世代の若者にとっては新鮮な世界が、そこには広がっているでしょう。

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