昭和時代は週6勤務が当たり前! 労働者の味方「週休2日制」が広まったのはいつだったのか?

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昭和時代は週6勤務が当たり前! 労働者の味方「週休2日制」が広まったのはいつだったのか?

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星野正子

20世紀研究家

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今となっては当たり前になった週休2日制。そんな週休2日制はいつごろから広まったのでしょうか。20世紀研究家の星野正子さんが解説します。

週40時間労働は1987年から

 現在では当然のこととして定着している週休2日制ですが、かつての日本人は土曜日も通勤・通学していました。若者たちはきっと驚くことでしょう。そんな週休2日制ですが、一体いつ頃から定着したのでしょうか。

 日々の労働時間は、1947(昭和22)年制定の労働基準法で、基本的に「1日8時間」と決まっています。当時は週48時間(6日間)が基準とされ、週休1日を前提としていました。

カレンダー(画像:写真AC)



 1980年代になると日本人の働き過ぎが問題となり、労働時間を短縮する方向へと制度改革が進みます。このなかで1987年には労働基準法が改定され、週40時間(5日間)に労働時間が削減されています。

 実際のところ、この法改正で一律週休2日制が始まったわけではなく、前後して週休2日制の導入が段階的に進んでいくことになりました。

 さまざまな業種があるなか、最も早く土曜日を休業とする制度改革を進めていたのは金融関連の業界でした。とりわけ銀行は、早い段階から土曜休業の実施を検討しています。

銀行が土曜休業に踏み切ったワケ

 銀行が踏み切った背景には、現金自動支払機(CD)の普及がありました。無人稼働する機械を設置すれば、窓口負担を減らせるばかりでなく、お金を24時間出し入れすることが考えられていました。その前段階として、土曜日を休業とし、CDだけ稼働させることが試みられたのです。

ATM(画像:写真AC)

 当時のCDは現在の現金自動預払機(ATM)と異なり、稼働時間も限られていました。当時のCDは銀行が休みの日にはサービスが休止していたため、土曜日を休業するには、まずCDを土曜休日も稼働させるための取り決めが必要でした。

 CDの普及を前提に、1983(昭和58)年8月には金融機関の第2土曜日の休日化が実現。1986年8月からは第3土曜日の休日化も実施されることになりました。この休日化には郵便局や信金などの金融機関も同調し、土曜休日が徐々に広まっていきました。

 このとき、いきなりすべての土曜日を休日にしなかったのには理由がありました。それは、CDが現在のATMのように多機能ではなかったからです。そのため、商取引の多い月末・月初にあたる第1・第4土曜日は窓口を営業していました。

大企業は週休2日制導入も……

 こうして始まった金融機関の土曜休業を軸に、都心の大企業では土曜日を休業とする企業が増加していきます。これを見て1989(平成元)年2月には、ついに全国の銀行が土曜全休の完全週休2日制に踏み切ります。

 CDがあれば十分に対応できると踏んでの判断でしたが、実施を前に全国の銀行では「ご迷惑をおかけしますが、ご協力を」といった貼り紙が出されました。

 またこれに先立ち、同年1月からは国の機関でも月2回の土曜閉庁を始めており、週休2日制の導入は次第に世の中の流れとなっていきました。

 しかし、東京の街では温度差がありました。大企業が土曜休業を決めて週休2日制へとかじを切る一方、中小企業では普及が進みませんでした。これは、2017年に政府が提起した「プレミアムフライデー」の状況と似ています。結局、週休2日制が世の中に広く定着するまでには、さらに約10年がかかっています。

 教育現場を見ると、文部省(現・文部科学省)が1992年9月、全国にある幼稚園、小学校、中学校、高等学校の毎月第2土曜日を休業とすることを決定。この制度は1995年4月に月2回へと拡大し、2002年にようやくすべての土曜日が休業となりました。

花金のイメージ(画像:写真AC)



 週休2日制拡大で生まれたキーワードは「花金(花の金曜日)」です。土曜日が休日になったことで金曜日の退社後に遊ぶサラリーマンやOLたちの様子を示す、この言葉は1985年頃から登場しています。

週末の終夜運転まで検討していたJR

 当時は「今遊ばなくていつ遊ぶのか」が風潮です。そのため、金曜日の夜には京浜東北線品川~大井町間、総武線秋葉原~浅草橋間では、22時以降の乗車率が250%、山手線外回りの池袋~渋谷間では200%という混雑ぶりでした。

ミラーボール(画像:写真AC)



 これに対応すべく、当時のJR東日本は終電の繰り下げや増発だけでなく、週末の終夜運転まで検討していたというから驚きです(『読売新聞』1987年6月5日付朝刊)。

 もしかしたら現在の若者たちは、土曜日の仕事よりも、土曜日が休日になったら全力で遊び始めた人で東京が大混雑していたことに驚くのかもしれません。

 この風潮は、1988年頃になるとさらに拡大していきます。

 週休2日制導入の企業に勤務する人たちの間は、土日をどこかの観光地で過ごすための移動時間として金曜日の夜を考えようになります(定時退社して、そのまま車でスキー場へ向かうのが典型例でした)。ならばと、まだ翌日が仕事だというのに木曜日の夜に遊び歩く花木(ハナモク)を楽しむ人が急増したのです。

 ハナモク族の増加によって都内で最も大きく変化したのはデパートです。この時期、多くのデパートでは木曜休業を火曜休業へと変更しています。

 週休2日制は、玉付き的にさまざまなところへ影響を及ぼしたのです。

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