【すぎやま氏 追悼】ドラクエのテーマ曲がいつまでも私たちの耳に残り続ける理由

ドラゴンクエストの音楽の作曲者として世界に知られる、すぎやまこういちさんが9月30日(木)に90歳で死去したことが発表されました。コアなゲーマーとしても知られたすぎやまさんについて、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


コアなゲーマーだったすぎやまさん

 さて、すぎやまさんはエニックス(現・スクウェア・エニックス)のパソコンゲーム『森田和郎の将棋』(1984年)をプレイしたときに疑問を感じ、アンケートハガキを出しました。それがきっかけで『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』(1986年)の作曲をエニックス依頼され、これがドラクエにつながったことはよく知られています。

昭和のゲーマーイメージ(画像:写真AC)




 また、すぎやまさんはコアなゲーマーでした。もともとバックギャモンやスロットマシンなども集めており、早い時期からパソコンゲームに熱狂していました。ドラクエで一躍名が轟いた1988年に、すぎやまさんの港区の自宅を訪問した新聞記事が残されています。

「机の上にはパソコンが2台。後ろにはCDなどのオーディオ機器、ピアノ、シンセサイザー。いすを回転させるだけで、これらの仕事道具に手が届く。そして、机の前方にはテーブル型のテレビゲーム機が2台とアメリカ製のスロットマシンもある。天井を高くとってあるため、これだけのものがあっても広々とした印象。はしごで上がる屋根裏風の収納スペースに本や楽譜類は片付けてある。大ヒットしたファミコンゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽もすぎやまさんの作品だが、伝統的なバックギャモンをはじめ各種ゲームのコレクターとしても知られる。机の上のパソコンも、すぐゲームの画面に変わってしまう」(『読売新聞』1988年6月2日付朝刊)

 なんともうらやましい書斎……いや、「オタク部屋」といったほうが正しいでしょう。港区でこんな充実した部屋を持っていたのですから、夢は広がります。しかもゲームソフトは家には置ききれず、「ゲームハウス」という家を別に持っていたのです。

 文化の爛熟(らんじゅく)した東京で、すぎやまさんが長くを過ごした人生は本当に充実していたのだろうなと容易に想像できます。

 ドラクエの楽曲がいつまでも私たちの心を奮い立たせる理由は、クラシック愛好家だった父親からの影響、才能ある友人たちとの邂逅、洗練された東京文化などの存在があったからといって間違いないでしょう。


【画像】18年前のすぎやまこういちさん

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