【すぎやま氏 追悼】ドラクエのテーマ曲がいつまでも私たちの耳に残り続ける理由

ドラゴンクエストの音楽の作曲者として世界に知られる、すぎやまこういちさんが9月30日(木)に90歳で死去したことが発表されました。コアなゲーマーとしても知られたすぎやまさんについて、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


父親はクラシック音楽の愛好家

 そんなすぎやまさんは1931(昭和6)年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)に生まれました。父親は東京帝国大学薬学部卒業後、昭和薬科大学で教鞭(きょうべん)をとっており、のちに厚生省や防衛庁の技官を務めています。

1932(昭和7)年に発行された地図。下谷区の記載がある(画像:国土地理院)

 父親はクラシック音楽の愛好家で、それがすぎやまさんの音楽人生に影響を与えるわけですが、その愛好家ぶりは度を超していました。戦後、疎開先から東京に戻ってきたとき、父親は焼け残った自宅にあった反物をレコード屋に持ち込み、物々交換でレコードを手に入れていたほど。

 当然、終戦直後の東京は大変な食糧難が続いていました。お金があればまず食べ物。お金がなければ、家財道具をなんとか米に変えて空腹を満たすことを考える人ばかりです。そんななかでクラシック音楽に慣れ親しんだことが、すぎやまさんの作曲家としての才能に深みを与えたのです。

 当時の手回し蓄音機は低音が聞こえにくいため、歌いながら聞いていたといいますから、本当にクラシック音楽が好きで、もっと理解したいという意欲を持っていたことがわかります。

すぎやまさんと文化豊かな東京

 すぎやまさんが作曲家として大成するまでの人との出会いは、多くの人材が住む大都会・東京ならではです。

 疎開から帰ってきた後に編入した東京都立武蔵中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で出会ったのは、青島幸男(タレント、東京都知事)と砂田実(テレビプロデューサー)。進学した成蹊高等学校で活動を休止していたオーケストラを再開させると、成蹊中学校にいた服部克久(作曲家)がやってきたのです。

 地方の若者が身を立てることを志したとき、まず考えるのが上京です。すぎやまさんのこの出会いを見ていると、「人材の宝庫」としての東京のすごさを再認識します。

 その後、すぎやまさんは東京大学に合格。卒業後は文化放送に入社し、音楽で糧を得る道を切り開いていきます。東京大学卒のエリートであることは間違いありませんが、音楽大学卒でないことは驚きです(ピアノができなかったため)。

 文化放送に入社したのも、高校時代に作曲した「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」を文化放送の芸能部長だった有坂愛彦さんが気に入ったからです。

子どものためのバレエ「迷子の青虫さん」(画像:キングレコード)

 その業績とは裏腹に、すぎやまさんは音楽大学から一歩一歩階段を上っていくのではなく、むしろ「横入」のスタイルで、人生を進めていったわけです。高校時代に作曲した曲を文化放送の部長が耳にして、入社を誘いに来る……そんな出会いは東京でなければありえません。

 改めて、すぎやまさんの人生には東京に生まれて、育って、暮らしてよかったという側面があるといえます。

コアなゲーマーだったすぎやまさん


【画像】18年前のすぎやまこういちさん

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