バブルに翻弄された巨大プロジェクト「臨海副都心」 開発の背景には一体何があったのか?

港区台場と江東区青海・有明と、品川区東八潮からなる臨海副都心。1980年代から始まった同エリアの開発計画から完成までの背景について、ブログ「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」管理人の山下ゆ さんが紹介します。


東京圏の商業地は1年間で1.5倍の価格に

 こうなると国と東京都の開発のイニシアチブをめぐる綱引きが始まります。

 当時の鈴木俊一都知事は東京都中心の計画の策定を急ぎますが、そのために計画立案のスケジュールは圧縮されました。普通ならば2年ほどかかるところを6~8か月程度で行わざるを得なくなったのです。

 さらに計画には、世界的な建築家の丹下健三が関わることになります。

 丹下健三は1964(昭和39)年の東京オリンピックでは国立代々木競技場を設計し、1970年の大阪万博では建築プロデューサーを務めますが、東京オリンピックを副知事として支え、大阪万博では万博協会事務総長だったのが鈴木都知事でした。

鈴木俊一都知事。1991年撮影(画像:時事)

 丹下健三は、コンクリートによる人工地盤を中心とした開発計画を引っさげて、臨海副都心計画に食い込もうとしていきます。これは著者らの考えた計画とは相いれないもので、著者らは丹下健三という世界的権威にも悩まされることになります。実際どうだったのかはともかく著者の丹下健三に対する評価は非常にネガティブで、それは本書のいたるところに出てきます。

 このように巨大化していくプロジェクトですが、それを後押ししたのがバブルです。

 東京圏の商業地の価格は1986年から1987年に1.5倍に、さらに1988年には1.6倍に高騰していきます。こうしたなかで、臨海副都心計画には広大な土地を供給することにより地価の高騰を一服させる役割が期待されました。

 このため、土地は売却せずに長期貸与する手法が採用されます。ただし、商業地の地価は1平方メートルあたり平均253万円と強気の価格設定がなされ、しかも権利金として地価の50%、賃料は地価の3%で、3年に1回賃料が「年率6%プラス物価上昇率(想定は年2%)」分上がっていくという仕組みになっていました。

 市場の動向とは関係なく、賃料が年に8%近く上がるというのは、現在では想像できないような条件ですが、それでもバブルの最中には進出したいという企業が殺到し、一区画あたり約6倍の競争率となりました。

突如湧いた「東京フロンティア」構想


【画像】75年前の「臨海副都心」を見る

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