1日50万人が利用する「都営バス」 誕生のきっかけは100年前の関東大震災だった!

日々多くの人たちが利用する都営バス。その始まりは関東大震災の復旧からだったことをご存じでしょうか。解説するのは、鉄道ライターの弘中新一さんです。


関東大震災で壊滅した路面電車網

 この背景には、1918(大正7)年に警視庁が荷車取締規定を定めたことにあります。

 荷車取締規定とは、道路の破損原因のひとつであった荷馬車のサイズや積載量を規定し、トラックへの転換を促すものでした。当時のトラックは高価でしたが、補助金制度もこの時期に始まっています。なぜなら、トラックは戦時に徴用して使えるからです。

 このとき、トラック輸送への参入を警視庁から求められた堀内が乗合自動車の営業も求めたことで、東京の市街地にバスが登場することになります。

 民間に先に許可を出したことに対して、議決機関である東京市会では反対論もありましたが、一蹴され営業運転が始まります。営業には、アメリカから輸入された30台のトラックを改造した車両が採用されました。車体の状況や当時の道路事情を考えても、乗り心地は決してよいものではなかったことが想像できます。

関東大震災直後の銀座。1923年(画像:時事)

 こうして民間から始まった東京のバス路線の事情を大きく変えたのが、1923年9月1日に発生した関東大震災でした。震災で東京都の路面電車網は壊滅的な被害を受けます。路線の復旧は早期に進みましたが、肝心の乗客を運ぶ電車の多くが損傷していました。

 震災から1か月ほどがたった10月6日、東京市会は応急処置として、乗合自動車の導入を決定。即日承認され予算200万円がつけられます。警視庁も翌年7月までの期間限定で許可を出します。

 事業を進めるため、東京市電気局の長尾半平局長は三菱造船所に勤めていた技師・矢板豊一をスカウトします。

 長尾局長は、アメリカで大量生産されているTT型フォードを輸入して自動車の確保を考えていました。面接にやってきた矢板技師は、カタログと写真を渡されて、その場で購入計画の書類の作成を指示されました。「もう、今日明日にでも自動車が欲しい」という切実な状況だったのでしょう。

 10月25日にはディーラーと1000台(後に800台に修正)の契約が結ばれます。しかし自動車はそろったものの、今度は、それらが運ばれてくるまでに運転手を確保しなければなりませんでした。

みすぼらしいが便利だったバス


【画像】「円太郎バス」を見る

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2021/09/210925_toei_05-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/09/210925_toei_06-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/09/210925_toei_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/09/210925_toei_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/09/210925_toei_03-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/09/210925_toei_04-150x150.jpg

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画