銀座・数寄屋橋交差点ビルでお馴染み? 不二家の止まらぬ「藤井3冠的」進化力とは

銀座の数寄屋橋交差点にあるビルや、近年の棋戦主催で知られる洋菓子メーカー・不二家。その歴史について、ライターの近藤ともさんが解説します。


「ペコちゃん」の誕生は1950年

 東京進出は1923(大正12)年で、銀座6丁目店が最初でした。しかしこの年の9月には関東大震災で店舗を失います。それでも翌年には銀座店と伊勢佐木町店を再開、やがて会社組織となり、支店や工場を増やし成長しきていきました。

 終戦から5年たった1950(昭和25)年には、早くも「ペコちゃん」が誕生。翌年にはミルキーを発売するなど、現在に至る礎を築いていきます。数寄屋橋店の開店はその3年後でした。この年には、今でも七五三に欠かせない千歳飴(ちとせあめ)を、翌年には「ポップキャンディ」「パラソルチョコ」を発売。1962年には「ルックチョコレート」、1964年には「ネクター」も登場しました。こうしてみると、不二家が実に多くのロングセラーを生み出しているかがわかります。

 製品の増加にしたがい、不二家は各地に工場を建てていきます。また、1965年には東京、大阪、名古屋の各証券取引市場第1部に株式上場し、日本を代表する洋菓子メーカーに。ぐるぐると渦を巻いた模様が懐かしいキャンディー「ノースキャロライナ」や「ホームパイ」が登場したのはこの少し後です。なお、今でも愛され続けている「カントリーマアム」は1984年に発売開始しています。

 転機が訪れたのは2007(平成19)年。1月に消費期限切れ原料使用に端を発する一連の問題が発覚。生産・販売がほぼ停止する事態となりました。これにともない、スーパーなどでの取り扱いが停止。その余波で粉飾決算なども報道され、創業家出身の社長が辞任。3月に山崎製パンとの業務資本提携を締結することで、止まっていた生産・販売の再開がようやく可能となりました。

ポーチになった「ペコちゃん」(画像:ヴィレッジヴァンガード)

 ただ、山崎製パンとタッグを組んだことで、消費者にとっては商品のバリエーションが増えて楽しみも増えたのは事実です。ミルキー味の製品の多角的展開や、お菓子を超えたペコちゃんの活躍は、現在もファンを楽しませてくれています。

叡王戦のおやつの中身


【貴重画像】64年前の「不二家 数寄屋橋店」

画像ギャラリー

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