近年、認知度倍増のSDGs なんと前身に「MDGs」があった!

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近年、認知度倍増のSDGs なんと前身に「MDGs」があった!

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タキダカケル

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昨今の環境保全意識の高まりにより、認知が広がっているSDGs。そんなSDGsの前身に「MDGs」というものがあるのをご存じでしたか?

SDGs戦略で注目される東京

 SDGsはメディアの力を借りながら、ようやく私たちの生活に浸透してました。街なかではSDGsの公式バッジをつけたサラリーマンを見かけますし、プロサッカーチームの「J2 東京ヴェルディ」はチームウエアにSDGsのロゴを掲載することを発表しました。SDGsがビジネスやスポーツと業界を超えて支持されるのは良い兆候といえます。

SDGsポスター(画像:国際連合広報センター)



 東京都でみると

・豊島区
・江戸川区
・墨田区

といった地域は「SDGs未来都市」に選ばれており、区独自の施策でSDGsを推し進めています。

 また2021年に東京都が策定した「『未来の東京』戦略」では都、都民、企業、大学が一緒になってSDGsを進めるための具体的戦略が掲げられました。さらにこの東京都のアクションは「Tokyo Sustainability Action(トウキョウ サステイナビリティ アクション)」という英文書にまとめられ、世界の大都市が課題に向き合うためのロールモデルになると期待が寄せられています。

 言葉のキャッチーさから、SDGsはまるで「真新しい考え」のような印象を受けますが、その歴史をたどると、思いのほか古いのです。SDGsの原点には「MDGs」という前身のアイデアが存在し、およそ20年以上も前からその取り組みは継続しています。

MDGsとは何か

 MDGsは「Millennium Development Goals(ミレニアム開発目標)」の頭文字に由来しています。ミレニアムとは「1000年」を意味する言葉で、次なる1000年の節目となった2000年、ニューヨークに世界189か国が一堂に会し「国連ミレニアム・サミット」が開催されました。

 この国際会議では平和・安全、貧困、環境、人権といった観点で21世紀に国際社会が取り組むべき課題を「ミレニアム宣言」として集約しました。のちに、この宣言と過去の主要な国際会議の採択をまとめた概念こそがMDGsなのです。

 MDGsは八つの目標と21のターゲット、60の指標が定められ、発展途上国の普遍的人権の促進と啓発が目指されました。八つの目標は次のものです。

1.極度の貧困と飢餓の撲滅
2.初等教育の完全普及の達成
3.ジェンダー平等推進と女性の地位向上
4.乳児死亡率の削減
5.妊産婦の健康の改善
6.HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病のまん延の防止
7.環境の持続可能性の確保
8.開発のためのグローバルなパートナーシップ

 発展途上国への開発援助は、MDGsが提言されるずっと前から政府開発援助(ODA)という形で実施されていました。MDGsは従来の開発援助とは、主に三つの特徴から区別されます。

環境保護のイメージ(画像:写真AC)



 ひとつめは、MDGsの目標が開発成果を重視していることです。過去の開発援助では先進国が莫大(ばくだい)な資金を投じたものの見合った成果が得られず、資金援助の必要性を疑問視する声が上がった事例がありました。そんな背景を踏まえMDGsでは、いつまでに達成すべきなのか、またどの程度まで達成すべきなのか、開発目標を定量的に示したことで援助を行う妥当性が強調されています。

 ふたつめは、MDGsは発展途上国に「オーナーシップ」を要請していることです。オーナーシップとは途上国が自助努力を行い自ら責任をもって課題解決に取り組む仕組みです。開発支援を行う国々は「パートナー」と位置付けられ、支援国の一方的な介入に終わらぬよう援助を受ける側と援助を施す側の立ち位置を明確にしています。これにより発展途上国の自立的な成長が促されることとなりました。

 三つめは、八つのターゲットはお互いに補完性があることです。MDGsの達成目標「極度の貧困と飢餓の撲滅」と「初等教育の完全普及の達成」では一見関連性の低い分野のようにみえます。

 しかし「初等教育の完全普及の達成」の開発促進によって初等教育が進むと進学率の向上や働き口の確保につながり、結果的には貧困層を減らす効果も見込まれ、「極度の貧困と飢餓の撲滅」に帰結するのです。このように分野の垣根を越えてそれぞれの目標を達成できる枠組みであることもMDGsの大きな特徴です。

なぜMDGsが世界的に必要になったのか

 ここまでの内容は、MDGsの一般的な考えといえます。ここからは

「なぜMDGsの考えが世界的に必要になったのか」

の背景を掘り下げて説明します。

 先に、MDGsは過去の国際会議と国連ミレニアム宣言が起源になったと書きました。ここでいう過去の国際会議とは、主に1990年代に開催された会議です。1990年代は、「子どものための世界サミット(1990年)」を皮切りにして、教育、人権、食糧問題、性別格差といったさまざまな社会問題が活発に議論された時代です。それは単なるトレンドではなく、考えるべき理由があったからだといえます。その理由が1980年代に実施された「構造調整計画」です。

 構造調整計画とは、世界銀行と国際通貨基金(IMF)が援助を必要とする国の財政政策に介入するかわりに、融資を行う開発援助のことです。

 資金援助を受けた国は教育や農業などの社会インフラにお金を投資し、自国の経済発展を促すことが期待されました。当時中米やアフリカ諸国が構造調整計画の主な対象だったのですが、当時これら国々の経済活動の柱となっていたのが「モノカルチャー経済」です。

風力発電のイメージ(画像:写真AC)



 モノカルチャー経済はある特定の作物の生産・輸出に依存するもので、非常に不安定な経済活動といわれています。なぜなら作物生産は天候に左右されるため、一度作物がダメになると輸出ができず国力は低下し、国全体が貧困に陥ってしまうためです。当時の発展途上国では国家主導でモノカルチャー経済が進められており、この経済構造を打破するために構造調整計画は導入されました。

 世界銀行とIMFによる構造調整計画は、貧しい国々の発展を支える頼みの綱と思われましたが、根深い問題を生み出すきっかけとなりました。というのも構造調整計画によって資金援助を受けた国々は借りたお金で自国の1次産業を支えようと試みたのですが、発展途上国が軒並み同じ作物を国際市場に提供したことで、輸出物の国際価格が下落し競争力低下を招いてしまったのです。

 これにより資金調達に首が回らなくなり債務返済が困難になった国は、医療や教育といった社会的セクターへの予算を大幅に減らし始めたのでした。その結果国民が当たり前に享受すべき生活インフラが機能しなくなり、エイズやマラリアなどの感染症流行の原因となっていったのです。

 こうした出来事が多くの開発途上国で問題となったのが1980年代です。貧困を脱するために資金援助を受けてさらなる貧困をもたらす「絶対貧困」と呼ばれる国がでるまで状況は深刻化していました。MDGsはこうした歴史的な社会問題を根元から解決するために必然的に必要とされたのです。

MDGsの結果と課題

 MDGsは八つの目標において活動成果を出しています。MDGsの達成期限である2015年に発表された最終報告書の「ミレニアム開発目標(MDGs)報告2015」によると

・極度の貧困(1日1.25米ドル未満で生活)で暮らす人の数は、19億人(1990年)から8億3600万人(2015年)と、半数以下に減少
・5歳未満児年間死亡数は1270万人(1990年)から590万人(2015年)と、53%減少
・エイズウイルス(HIV)の新たな感染は、推定350万人(2000年)から210万人(2013年)と、約40%減少

など15年間という短期間ながら一定の成果がうかがえます。

 しかし、SDGsに途上国の課題解決が掲げられていることからもわかるように、MDGsは大成功というには多くの課題を残しました。

母親と乳幼児(画像:写真AC)



 例えば、乳幼児死亡率や妊産婦の健康改善に対する目標では、南アジアの一部地域やサハラ以南のアフリカ地域において未達に終わっており、開発の手が十分に行き届いていない地域がいまもなお存在するのも現状です。

 またMDGsは開発に重きがおかれ、自然を保護する観点が不足していたことも指摘されています。大規模な開発の裏で自然環境がおざなりになっていた事実も度外視できません。MDGsはインフラ事業への支援が主なもので、政府主導による活動が目立ちました。そのため、MDGsのスポットライトが日本に住むわれわれ一般市民に当てられず、参加者や当事者が限定的であったことも課題といえます。

「誰一人取り残さない」が強調される理由

 こうしたMDGsの歴史と課題を振り返ると、SDGsで「誰一人取り残さない」というコンセプトが強調される理由もより明確になります。

 MDGsの活動自体は2015年でめどが立っていますが、そのアイデアはいまもなおSDGsへ脈々と受け継がれており、MDGsを負の遺産とするか、はたまた歴史の教訓とするかはいまを生きる私たちの手にかかっているのです。

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