「食べていけない」 東京の難関大学で“博士号”を取った女性が、いまも派遣社員を続ける現状

博士号を取ったものの、大学の教員にはなれず企業への就職も難しい「ポスドク問題」。渦中にいる当事者は、どのようなことを経験し、何を感じているのでしょうか。現在、派遣社員として生計を立てる女性の話から、ポスドクの現状を考えます。


団塊ジュニア世代、地方から東京へ

 重要な仕事を任されることもあります。しかし、派遣はやはり派遣であって「キャリアを積んだ」と言えば世間の人は笑うだろう、と沢田さんは思っています。

 団塊ジュニアとして、大勢のライバルがひしめき、1点の差が合否を左右するという受験戦争をへて、沢田さんは西日本から東京の難関大学に現役入学しました。当時はまだバブルの余韻が残っており、県外でひとり暮らしをするための経済的なハードルも今ほどは高くありませんでした。

 もともと本を読むことや学ぶことが好きな沢田さんは、将来は研究者もいいなと考えていました。それが現実味を帯びてきたのは、先輩たちがバブル崩壊のあおりで就職活動に苦労するのを見てからです。

 女子の就職は「ゲジコ」でないと、と耳にしました。「現役・自宅・コネ」が成功の条件だと言われていたのです。残念ながら沢田さんには「現役」しかありません。そこで、親の理解もあって大学院への進学を決めました。しかし、大学院に入る際に1浪してしまいます。当時、大学院の定員は少なく、沢田さんの同級生たちにも浪人せざるを得なかった学生は何人かいました。

変化していく大学院のあり方

 一方で、1990年代には当時の文部省が主導し、大学院重点化政策が進められています。そのため「博士」学位の取得がそれまでよりハードルの低いものに。所定の単位を取得し、論文を提出すれば「課程博士」の学位が得られます。

 大学の教員になるためは教員免許は必要ないが、博士号は基礎ライセンスのようなもの。だから、沢田さんは研究に必要な資料代や学費を奨学金やアルバイトでまかないつつ、必死に取り組んだのです。

 しかし誤算もありました。研究はひとりでできるものではありますが、同じ研究室での上下関係や教授からの雑用などもこなさねばならなりません。そして、沢田さんはそうしたものを回避するのが苦手。

「いつも振り回されてしまっていました」

 それでも努力していれば良いことがあると、自分の選択を信じて努力を続けました。

変化していった目標とハードル


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