いくつ覚えてる? 東京から消えた「タウン情報誌」の数々

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いくつ覚えてる? 東京から消えた「タウン情報誌」の数々

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橘真一

ライター、ノスタルジー探求者

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都内のお出掛けにはかかせない存在――。90年代に一世を風靡した東京のタウン情報誌の歴史について、ライターの橘真一さんが解説します。

市場拡大のきっかけは『トウキョウ・ウォーカー・ジパング』

 近年の首都圏の書店やコンビニでは、90年代に黄金時代を築いた東京のタウン情報誌(飲食店や街歩きに特化したもの、読者ターゲットの性別を限定したもの除く)を見かけることがなくなりました。

 映画、演劇、コンサート、スポーツイベントなどのスケジュール、店舗やレジャースポットの詳細などを掲載したタウン情報誌は、いつ頃、姿を消したのでしょうか?

 黄金時代の直前、バブル絶頂期の1989(平成元)年末の時点で、東京およびその周辺にフォーカスしたタウン情報誌には次のふたつがありました。

・月刊誌『シティロード』(エコー企画、1971年12月創刊)※当初は『コンサートガイド』
・隔週刊誌『ぴあ』(ぴあ、1972年7月創刊)

 シティロードは、編集者の趣味や主張が感じられる誌面が特徴。ぴあは客観情報の網羅性が高く、1984(昭和59)年以降はチケットの予約販売事業・チケットぴあと連動させた実用性重視の内容でした。

『東京ウォーカー』(画像:KADOKAWA)



 90年代になるとタウン情報誌の市場は大きく拡大します。きっかけとなったのは、1990年3月の『週刊トウキョウ・ウォーカー・ジパング』(角川書店 = 当時)の登場です。創刊約半年後にタイトルを『週刊東京ウォーカー(以下:東京ウォーカー)』と改めた同誌は、映画やコンサートなどのスケジュールのみならず、

・デート
・ディナー
・夜景
・クリスマス
・ゲレンデ
・ベイエリア
・ディスコ

といったワードを表紙に躍らせ、バブル期の若者のニーズを満たす記事も充実させることで一躍人気雑誌となりました。

 同じ頃にぴあが週刊化され、誌名を『Weeklyぴあ(以下:ぴあ)』と変更。やがて同誌の表紙にも、それまで見られなかったデートの文字が登場する現象もありました。

チケットセゾン系列の雑誌が新登場

 東京ウォーカーに続いて、1991(平成3)年11月にぴあの発行元のライバルであるチケットセゾン(イープラスの前身)がタウン情報誌に参入します。

 同系列の出版社・SSコミュニケーションズ(当時)より創刊された隔週刊誌『apo(アポ)』です。これは東京ウォーカーに、チケットセゾンのチケット予約情報がプラスされたような雑誌でした。

週刊誌『TOKYO1週間』(画像:講談社)



 しかし4誌競合時代は長く続かず、シティロードは1992年8月に休刊。同年11月に西アドという別会社から復刊したものの、わずか3か月で再休刊。さらにapoにも1994年7月にピリオドが打たれました。

『東京ウォーカー』のフォロアーが続々誕生

 ぴあ、東京ウォーカーの2誌となった東京のタウン情報誌市場ですが、90年代後半に新規参入が続き、再び活況を呈します。

・隔週刊誌『ポタ』(小学館、95年9月創刊)
・隔週刊誌『キャンドゥ!ぴあTOKYO』(ぴあ、97年10月創刊)
・週刊誌『TOKYO1週間』(講談社、97年11月創刊)

隔週刊誌『ポタ』(画像:小学館)

「東京エリア情報誌」と名乗ったポタは、初期こそ表紙に人物写真を使用しないなど独自性を打ち出しますが、すぐに『ポタTOKYO』と改称のうえで、東京ウォーカーに寄せた雑誌にリニューアル。ただし、映画やコンサートなどのスケジュール網羅はありませんでした。

 キャンドゥ!ぴあTOKYOはぴあが、TOKYO1週間は大手の講談社が送り込んだ直接的な東京ウォーカー対抗誌のイメージでした。東京ウォーカーの影響はそれだけ大きかったのです。

携帯電話の進化で黄金時代が終わる

 ぴあ、東京ウォーカー、ポタTOKYO、キャンドゥ!ぴあTOKYO、TOKYO1週間と5誌がしのぎを削った時期は、インターネットと携帯電話が生活に不可欠なものとなっていった期間と重なります。

 そして、1999(平成11)年にiモード、EZwebなど携帯電話IP接続サービスがスタートし、外出先でも多様な情報を検索できる時代が到来すると、タウン情報誌のニーズは低下していきます。

 まず、『ポタTOKYO』が1999年に消滅。Googleが日本に上陸した2001年には、月刊誌『東京ブロス』(東京ニュース通信社)という新規タウン情報誌も生まれますが、一方で『TOKYO★1週間』(前年より誌名に★が加わる)が隔週刊化されます。

隔週刊誌『キャンドゥ!ぴあTOKYO』(画像:小学館)



 2002年にキャンドゥ!ぴあTOKYOも休刊。2004年には最後発の東京ブロスが消え、東京ウォーカーが隔週刊となります。

 唯一の週刊誌として奮闘していたぴあも、2008年に隔週刊となり『ススめる!ぴあ』と改称。この年は、iPhoneが日本で発売された“スマホ時代元年”でした。

 さらにiPadが誕生した2010年に12年間続いたTOKYO★1週間が、翌年にはついにススめる!ぴあがギブアップ……。

 最後に残った『東京ウォーカー』は、刷新を繰り返し90年代とはまったく異なる雑誌に変容しつつ(2015年より月刊に)、2020年6月まで続きました。

 このように、東京のタウン情報誌は必ずしもネットの携帯電話の普及でいきなりバタバタと倒れたのではありません。ミレニアム期から約20年をかけて徐々に消えていったのでした。

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