50年以上前の東京に、エコを先取る「トロリーバス」が走っていた!

近年、エコな乗り物が注目されていますが、70年前の東京に排ガスを出さないバスが走っていたのをご存じでしょうか。その歴史について、鉄道ライターの弘中新一さんが解説します。


トロリーバスが有望視された理由

 さて、戦後に焼け跡となった東京でなぜ交通量が増大したのでしょうか?

 軍需専業は日中戦争期から拡大し、労働者は急増しました。その一方で、都市部での住宅供給は追いつかず、遠距離通勤を強いられる人が増えていました。戦時中から既に「交通地獄」と呼ばれる状況が発生しており、終戦後にはさらに加速したのです。

 当時、多くの人は自宅と会社の距離が離れているのは当たり前でした。以前都心に住んでいた疎開者は終戦で都心に戻ろうとしたところ、行政によって転入抑制が行われたために戻れず、遠距離通勤を強いられることに。この状況に加えて、復興事業による人の移動が増えていきました。

 これに対して、東京都でも交通機関の拡充が図られました。路面電車を新たに敷設するには膨大な予算が必要です。しかし、バスの利用はガソリンの投機的な値上がりで非現実的でした。そんな状況で最も有望視されたのがトロリーバスだったのです。

イタリアのトロリーバス(画像:写真AC)

 トロリーバスが有望視されていたのは、東京都以外にも路線を計画する企業があったためです。大和自動車交通では北品川~東陽町などを、西武鉄道では新宿駅西口~荻窪駅北口を、京成電鉄では錦糸町~日暮里を、運輸省(現・国土交通省)に出願していました。

 運輸省は審議の末、トロリーバスを東京都の特許として認めました。こうして1952(昭和27)年5月、上野公園~今井間の101系統が運行を開始。続いて、池袋駅前~品川駅前の102系統、池袋駅前~上野駅前の103系統、池袋駅前~浅草雷門の104系統が開業します。102系統は新宿・渋谷を経由。104系統は巣鴨、滝野川、新三河島を経由しているので、都心をぐるりと半周するような路線でした。

惜しまれつつ1968年に消滅


【画像】四谷にあった都営トロリーバス乗り場

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