50年以上前の東京に、エコを先取る「トロリーバス」が走っていた!

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50年以上前の東京に、エコを先取る「トロリーバス」が走っていた!

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弘中新一

鉄道ライター

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近年、エコな乗り物が注目されていますが、70年前の東京に排ガスを出さないバスが走っていたのをご存じでしょうか。その歴史について、鉄道ライターの弘中新一さんが解説します。

「新時代の交通機関」と呼ばれた性能

 最近、次世代エネルギーを使った自動車開発が話題になっています。ガソリン車に変わる「本命」は、電気自動車と水素燃料電池車です。都営バスも2018年から水素燃料電池を使ったバスを導入しています。

 エコなバスが少しずつ増えていますが、かつて都内に排ガスを出さないバスが走っていたのをご存じでしょうか。それは都営トロリーバス。1952(昭和27)年から16年間というの短い間存在していたバスです。

在りし日の都営トロリーバス。『都営交通100年のあゆみ』より(画像:東京都交通局)



 トロリーバスとは、道路の上に張られた架線から電気を得て走るタイプのバスで、いわば路面電車のバスバージョンです。現在は富山県の立山トンネルトロリーバスのみと、極めて珍しい交通機関ですが、かつては「新時代の交通機関」として脚光を浴びていました。

 モータリゼーションが進化するまで、路面電車とバスは、都会人たちが使う交通機関として極めて重要視されていました。

 そうしたなかで登場したトロリーバスは、路面電車に比べてレールを敷く必要がありませんでした。また、一般的なバスに比べて車体の仕組みが簡単というメリットもありました。

 トロリーバスが開発されたのは19世紀のドイツで、1901年にドイツとフランスで相次いで営業運転が開始されています。この新しい交通機関を東京でも導入する計画は戦前から存在し、1922(大正11)年には東京市が青山六丁目~明治神宮正門の路線を計画しています。

 しかし、これは関東大震災の影響で中止に。その後も東京ではトロリーバスの計画は進まず、日本初の座を、京都市が1932(昭和7)年に開業した京都市営トロリーバスに取られています。

 東京のトロリーバスの計画が急きょ進んだしたのは、戦後復興期のことです。焼け跡からの復興で、都内では交通量が増大し、交通機関の拡充が求められていました。

トロリーバスが有望視された理由

 さて、戦後に焼け跡となった東京でなぜ交通量が増大したのでしょうか?

 軍需専業は日中戦争期から拡大し、労働者は急増しました。その一方で、都市部での住宅供給は追いつかず、遠距離通勤を強いられる人が増えていました。戦時中から既に「交通地獄」と呼ばれる状況が発生しており、終戦後にはさらに加速したのです。

 当時、多くの人は自宅と会社の距離が離れているのは当たり前でした。以前都心に住んでいた疎開者は終戦で都心に戻ろうとしたところ、行政によって転入抑制が行われたために戻れず、遠距離通勤を強いられることに。この状況に加えて、復興事業による人の移動が増えていきました。

 これに対して、東京都でも交通機関の拡充が図られました。路面電車を新たに敷設するには膨大な予算が必要です。しかし、バスの利用はガソリンの投機的な値上がりで非現実的でした。そんな状況で最も有望視されたのがトロリーバスだったのです。

イタリアのトロリーバス(画像:写真AC)



 トロリーバスが有望視されていたのは、東京都以外にも路線を計画する企業があったためです。大和自動車交通では北品川~東陽町などを、西武鉄道では新宿駅西口~荻窪駅北口を、京成電鉄では錦糸町~日暮里を、運輸省(現・国土交通省)に出願していました。

 運輸省は審議の末、トロリーバスを東京都の特許として認めました。こうして1952(昭和27)年5月、上野公園~今井間の101系統が運行を開始。続いて、池袋駅前~品川駅前の102系統、池袋駅前~上野駅前の103系統、池袋駅前~浅草雷門の104系統が開業します。102系統は新宿・渋谷を経由。104系統は巣鴨、滝野川、新三河島を経由しているので、都心をぐるりと半周するような路線でした。

惜しまれつつ1968年に消滅

 この都営トロリーバスには先進的な車両も存在していました。一部の車両ではディーゼルエンジンが搭載され、自走することも可能だったのです。

 103系統と104系統は、山手線を始めとするいくつかの鉄道路線と交差していました。踏切部分はトロリーバス側の架線がなく、横断時にはディーゼルエンジンで自走する仕組みになっていました。

 しかし当初は持てはやされたトロリーバスも、路面電車と同じくモータリゼーションの波に飲み込まれます。自動車の交通量が増えると、トロリーバスは交通を阻害するやっかいもの扱いされるようになってしまったのです。

 1967(昭和42)年に就任した美濃部達吉都知事は、

「都電、トロリーバス、都バスは、乗客1人運ぶのに6円の赤字、1日2千万円の赤字を出し続け、大衆輸送機関としての使命を果たせなくなっている」

として、都電とともにトロリーバスの廃止を明言しました。こうして1968年にトロリーバスは東京から姿を消しました。

江戸川区松江にある一之江境川親水公園(画像:(C)Google)



 今ではトロリーバスの痕跡も少なくなりましたが、一之江境川親水公園(江戸川区松江)はモニュメントが設置されています。

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