今まで素通りしてた? 設置理由を知れば行きたくなる「新宿の路上物体」3選

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今まで素通りしてた? 設置理由を知れば行きたくなる「新宿の路上物体」3選

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マサト

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新宿の街には興味深いオブジェ・モニュメントがいくつかあります。今回はそのなかで3点にしぼってご紹介します。

日常風景のなかにある、ナゾの物体たち

「新宿にあるもの」と聞いて、皆さんは何をイメージしますか? 新宿サザンテラス(渋谷区代々木)、新宿御苑(ぎょえん、新宿区内藤町)、東京都庁(新宿区西新宿)のほか、大きな駅やビル群などもありますね。

 しかしそれ以外にも、街中のちょっとしたところにも見どころがあります。道の傍らにたたずむ、オブジェやモニュメントです。こうした物に対し、「これって何なんだろう?」と思いつつも、つい通り過ぎてしまう人もいるのではないでしょうか。

 そこで今回は、新宿にある三つのオブジェ・モニュメントを紹介していきます。さまざまな物の存在や設置に至るまでの経緯を知れば、普段通る道もちょっと違って見えるかもしれません。

新宿住友ビルの重厚なバルブ

「三角ビル」の愛称で親しまれている、新宿住友ビル。その敷地内「三角広場」にひっそりとたたずむものを、まずは紹介していきましょう。

 こちらは明治から昭和にかけて、東京に生活用水を供給していた、「旧淀橋浄水場」で使われていたバルブ「蝶形弁(ちょうがたべん)」(新宿区西新宿2)です。1937(昭和12)年製で、一目見ただけでも歴史を感じられます。

新宿区西新宿にある旧淀橋浄水場蝶型弁(画像:新宿区)



 江戸時代には、四ツ谷大木戸から江戸各所へ分配・供給されていた「玉川上水」の水が、人々の生活の要となっていました。しかし1886(明治19)年にコレラが流行すると、衛生面の観点から政府は、近代的な新水路の建設を決定。

 そして1898年、高低差を利用して配水できる淀橋に、浄水場ができました。これが淀橋浄水場です。翌年には、玉川上水から浄水場へとつながる新水路も完成します。こうして上水道が整備されたことで、東京の衛生環境は大きく改善されました。

 ところが1921(大正10)年の地震や、1923年の関東大震災で新水路は決壊。これに伴い、施設には改良工事がおこなわれました。その一環として設置されたのが、冒頭でお話しした蝶形の止水弁とされています。

 その後淀橋浄水場は、その機能をよそへ移され、1965(昭和40)年にその歴史に幕を下ろしました。跡地は高層ビル群となりましたが、埋め立てはされず当時の地形が生かされています。そのため今でも、貯水池の高低差の痕跡を見ることが可能です。

ひときわ目を引く「LOVE」

 オフィスや店舗などが入った高層ビル、「新宿アイランド」の正面入り口にある「LOVE」のオブジェ(新宿区西新宿6)。そのかいわいではシンボル的存在となっており、待ち合わせ場所や恋愛スポットとして親しまれています。

新宿区西新宿にあるロバート・インディアナ「LOVE」(画像:写真AC)



 また2005(平成17)年放送『電車男』(フジテレビ系列)、『ラスト・シンデレラ』(2013年、フジ)など、さまざまなドラマ・映画のロケ地にもなっているので、「行ったことはないけど見覚えがある!」という人も多いのではないでしょうか。

 こちらは戦後のアメリカを代表する芸術家、ロバート・インディアナ氏が手がけたオブジェです。1995年、住宅・都市整備公団(現在のUR都市機構)によって、新宿アイランドが完成します。そして「都市で過ごす人たちの心に潤いを」という理念のもと、いくつかのパブリックアートが設置されることになりました。そのうちのひとつが、LOVEのオブジェというわけです。

 ちなみにLOVEのオブジェは、アメリカのニューヨーク、カナダのバンクーバーなど、世界中に存在しています。さらに模倣・パロディーが多いのもこの作品の特徴といえるでしょう。

 背景にあるとされているのは、ロバート氏がこのデザインイメージに著作権を取らなかったことです。「自分が使う言葉やイメージは精神で固く結ばれている」という考えのもと、彼は、著作権主張・作品へのサインなどを拒否していたとのこと。こうした作者の信念もまた、あのオブジェが広く親しまれる一因となっているのでしょう。

何に使ってた? 大学前の赤いアーチ

 新宿駅南口から甲州街道を少し歩いたところに位置する、文化学園大学。そのすぐ前には何やら、赤いレンガ造りのアーチ状の物体があります。こちらは、前述の玉川上水ゆかりの地であることを表すモニュメント「玉川上水の記」(渋谷区代々木3)です。

渋谷区代々木にある「玉川上水の記」(画像:写真AC)



 江戸時代、多摩川を水源とする水を四谷大木戸までの約43km、水面の見える開渠(かいきょ)で運んでいました。その先では地下に石樋(せきひ)や木樋(もくひ)が埋設され、江戸城中・山の手・芝・京橋まで水を供給していたとされています。

 1898(明治31)年、近代的な水道が整備されたことに伴い、杉並区和田町から淀橋浄水場の間に新水路が開削。和泉町から四谷大木戸までの下流部は導水路としての役割を終え、余水路として使用されることに。

 さらにその後には大部分が暗渠(あんきょ、地下水路)化され、その地は公園や道路になり、今に至ります。歩いてみると、流路の痕跡をたどることができるでしょう。

 文化学園大学前のモニュメントは、そんな歴史や先人たちの偉業を後世に伝えようと、明治の新宿駅地下の暗渠をモチーフとして建てられたたものです。当時のレンガを一部使用して、ほぼ原寸大で再現されました。

 ちなみにほぼ暗渠と化した玉川上水ですが、新宿付近だと京王線代田橋駅から笹塚駅の付近で、開渠(かいきょ)としての水路を見られます。付近を通る機会があれば、水道の歴史に思いをはせながら眺めてみるのも一興ではないでしょうか?

身の回りの物に、楽しみを見いだそう

 以上3点、新宿の街にあるオブジェ・モニュメントを紹介してきました。ほかにも彫刻や記念碑など、探せばまだまだあるでしょう。

 新宿に限った話ではなく、皆さんが生活している地域にも、多かれ少なかれこういったものが存在するはずです。それらを目にしたとき、「これ何だろう?」と考えたり調べたりすると、意外な発見があるかもしれません。

 コロナ禍で観光地などに出掛けられないご時世だからこそ、身近でこうした楽しみを探してみてはいかがでしょうか?

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